葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

DD、ダブルダウン。

2016-01-21 22:22:29 | どこまで続くかこのブログ

年明けから去年までの150%の範囲に仕事が増え、その地域を回っての昼間のダウン、夜は「民悠会」の新年会で飲んでダウン。

昨日の約束の「資本論」のことと「てんがらもんラジオ」の視聴のことは明日に延期させてください。

それだけで寝るのも寝心地悪いので、写真を二枚。

新年会の会場の横浜・東神奈川駅付近の残り雪。

横浜駅のなかで「飛騨高山・信州物産」の売り出し、主に飛騨地方のものが多かったのですが、これは松本の製菓所のものです。

今川氏と北条氏が甲信に塩を封じため甲信の住民が難渋しました。それを耳にした上杉謙信は戦っている相手ではあるが、武田領に塩を送り信濃の住民を救います。松本城下の住民は爾来毎年一月十日に塩市の祭事を催したそうです。今でも飴市と改名されながらも続いていると、袋の裏に書かれてます。

それではお休みなさい。

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株価が下がっている。

2016-01-20 22:14:51 | kaeruの『資本論』

年明けから株価が下がり続けています。

どのくらい下がったか、関心のない人には知ってもあまり感じないでしょうし、関心のある人は当然知っていることですからここで数値を書く必要はないでしょう。

今日の「資本論講読会」前回の後半が残っていたので最初の30分くらい報告しました。該当したのが第1部第4篇第13章第7節で、ここに「経済循環についての『資本論』での最初の言明」という部分があるのです。そう指摘しているのは参考にしている不破さんの『資本論』の講義集です。

その内容に触れる前にこの本を、

第1ページに「1997年版まえがき」があります、こう書き出されています。

「本書は1955年に初版が発行された。以来40年以上、版を重ねている。この本がこれだけ長いこと売れ続けているのは、著者はともかく中身がいいからだと評価していただいているようだ。まずいくらかは役に立つかも知れない。だがこの本が時代を超えて長寿を保っているのは、別に理由がある。増刷され本屋の店頭に並ぶたびに、バブルや株安など何事かが起きるのだ。するとこの本への関心が高まる。そう遠くない昔に好景気が一転して深刻な恐慌につながったときのことを、多くの人が知りたいと考えるからだろう。」

私も「この本への関心」を高めて買ったのは数年前、奥付では2008年10月15日第3刷となっています、第1刷が9月25日ですからわずか半月ほどで増刷を重ねた様です。

世界史でも特筆される「暗黒の木曜日」1929年10月24日、NYのウォール街で起こった株式の大暴落です。この「まえがき」でガルブレイスはこう言っています。「私が言いたいのは、この現象は何度となくくりかえされてきたということだけです。」そして、“ 市場があやしい雲行きになったとき、政府の常套句、すなわち「経済は基本的には健全である」とか「ファンダメンタルズは問題ない」というものだ。この台詞を聞かされたら、何かがうまくいっていないと考える方がいい。”

先ほどTVで聞いた言葉を思い出しました。

肝心の『資本論』の方のことは明日にします。

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句あれば楽あり。

2016-01-19 21:28:11 | kaeruの五七五

ことわざとしては「苦あれば楽あり」なんですが、ここはタイトルのように、もっと分かりやすく言えば「句あれば楽しみあり」ということです。

ゴミのように重ねた書類の山を整理していますと、遺跡を掘るように過ぎた日々が出てきます。1998年から2002年くらいの間の「ぎんなん句会」という集りに出ていた頃のものがわんさかと、それに紛れてその少し前に通っていたカルチャーセンターでの「俳句入門講座」の記録が。

インターネット句会との出会いはそれ以前だったのか、壊れたPCの中に閉じ込められているのでわからなくなっています。こうして見ると俳句を通じて人と交流しはじめたのがこの頃でした。もっとも少年といっていい頃、自分だけで詠んでは日記などに書いていたことはあります。一度当時の受験雑誌の俳句欄に投稿して「その他大勢」の中に入ったことがありました。その時の入選作との差が余りにも大きすぎて落胆し、投稿はやめました。

やはり俳句は「座の文学」と言われるように句会に顔を出し、詠み手と読み手の立場を楽しむことが大きな役割を持っているのでしょう。

挟み込まれた中に「椿」を詠んだ句が幾つかありました、忘れていたものですが記録しておきましょう。

句の内容からみて鎌倉に行って詠んだようです。

  苔の段窪みくぼみの落椿     ( これは杉本寺でしょう )

  殺生の都や椿と寺をみる

  椿道稼ぐ肩が降りていく

  あの世とは椿の精と通ふ道

  この世とは椿に触れつ通ふ道  

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ダウン!

2016-01-18 22:21:15 | どこまで続くかこのブログ

何か言うことある?

ない、つぶやくことならある。

なら、つぶやいたら。

つぶやき句。

  ダウンして床に潜るや痩せ蛙   

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「真田丸」二度見と第2回。

2016-01-17 18:11:48 | 「真田丸」

面白いドラマは筋が分かっていても面白いです。映画は脚本で決まるといわれますが、当然テレビドラマもそうです。脚本とは筋書のことではなく筋書の現れ方のことでしょう。

その意味で昨日「真田丸」の第1回を再度見て、面白かった、ということはこのドラマは面白い、脚本三谷幸喜だからといえるのかも知れません。といっても以前の「新撰組」の印象はあまり残っていませんから今回はやはり「真田幸村物語」だからという面が強いのです。

幸村といってもこのドラマでは信繁名で出ています、それが実名で幸村という名は、いつごろ誰がいいはじめたかわからないそうです。1770年代の『翁草』という本には「世間では一般に幸村といっているが、……」と記されていて天明(1780年代)の前後には真田幸村の名前が一般化していたそうです。

私などの頭の中では、幸村の名は猿飛佐助や霧隠才蔵などと一緒になっていますので、信繁などといわれても他人様という感じです。でも三谷脚本では幸村の名前は出てこないとか、このドラマを通じて幸村=信繁の等式を頭に染み込ませようと思います。

第2回「決断」も「戦国時代」を想像する場面の積み重ねでなかなか面白かったです。船出した真田丸が戦国時代という荒海を乗り越えていくうえでの頭首の決断の様子が描かれ、草刈正雄の演技もあってこの時代を乗りきっていく姿に然もありなん、と思わせられました。また次の土曜日も二度見になりそうです。

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雑誌「俳句現代」。

2016-01-16 21:46:13 | kaeruの五七五

暮のうちにできなかった机の周りの整理をしていたら、雑誌「俳句現代」の創刊号が出てきました。

この雑誌は創刊号から終刊号まで購入した記憶があります。が出てきたのは創刊号の1998年12月号と1999年分の12冊に2001年1月号だけでした。いつ頃終刊になったのか「雑誌俳句現代」で検索してみましたが見つかりません。

2001年1月が「読本 西東三鬼」と特集になっていますので、創刊号からの一年分と西東三鬼特集を手元に置いたのかも知れません。それにしても検索で出てこないというのも不思議です。「角川春樹」をwikiしてもこの雑誌に触れた記事はありませんでした。

何れにしても発刊時に私としてはかなり期待して手にした様です。

創刊記念大特集と名打って「角川春樹俳句批判  現代文学にとって俳句とは何か」が目に付きます。文学としての俳句の可能性という様なことも当時頭にあったものですから期待につながったのでしょう。特集には平井照敏氏をはじめ8人の俳人が稿を寄せています。各稿のところどころの文章の部分に線を引いてありました。

平井文では「こうしたこころの底へのひびきを得ることなくして、俳句をつくる何の意味があろう」。

中村苑子文「よい俳句が成立するには、その作者の人間を形成している確たる人生哲学が根底にあることが必須であり、それに作者の上等な言葉の技術が加わって、はじめて読者の共感を喚起するのだ」

関森勝夫文「凡庸で、表層的なものは写生ではない。真に大切なのは、ものの核心を衝いた表現にこそあるのだ。要は作者の精神の盤石さである」

などなどです。

私の本棚には他の俳句雑誌も何冊かみられますが、この創刊に期待していたのはなんだったのか、全巻を探し出し目を通してみたいと思います。

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100戦100勝。

2016-01-15 23:01:03 | どこまで続くかこのブログ

100戦100勝と言ってもゲームの話です。

このブログでも紹介しましたフリーセルというゲーム、これです。

単純なkaeruでもできるというゲーム、トランプカードを数字順に重ねるだけです。

でも100連勝するというのはなかなかなのです。旧のタブレットで99連勝してあとひとつで負けがつき、100戦100勝を狙っていました。

100回の平均時間が11分16秒ですからこの遊びに要した時間は1100分1600秒、約19時間です。よほど暇な人間いやカエルでなければやらぬでしょう。冬眠中のカエルの夢仕草としてご理解のほどを!

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「てんがらもん」199回 「剣士」の信念。

2016-01-14 23:35:35 | 「てんがらもんラジオ」

今回の番組はこちらで、ー「てんがらもん」199回 ゲスト 外山雄大さん

番組を視聴する前に村永さんのブログに紹介されていたhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/薩摩剣士隼人  を見ました。
番組の視聴を2倍楽しめます、というわけで視聴前でもあとでも読んでみて下さい。
 
「西伊敷出身外山雄大(とやまたけひろ)」と自己紹介されました。番組のなかでも外山さんのブログにもこんな自己紹介が続きます。
 
中学時代から特撮ヒーローにあこがれて自作のコスチュームをつくり、文化祭や体育祭に乱入して停学になること多数! 卒業してからは天文館で占い師を開業したり、ストアー前で焼き鳥を焼いたり、イッシーやツチノコ等の未確認生物を捜し求めて池田湖に泊り込んだり日本中を旅したり・・・!

ネッシーを探しにスコットランドのネス湖に一ヶ月間滞在したこともあります。

そしてこんな破天荒な私がどうにか今まで生きてこられ、「薩摩剣士隼人」の監督をしていられるのも「鹿児島」ならではの温かさがあってこそだと感謝しています!

この鹿児島の温かさに通じるのが「薩摩剣士隼人」の用いる剣です、この剣には刃が無いというのです。その理由は剣は相手の命を奪わない、闘う相手をも仲間にしてしまう、それが鹿児島の懐の深さだというのです。

そして、武士は殿様への忠義のために戦うが剣士は信念のために闘う、それは相手の悪いところを正すためである、と。こういう思いは子供の頃夢中になったウルトラマンで、怪獣がただ体が大きいというだけで殺されてしまうことに疑問を感じたことに根っこをもっているとのことです。

さらに西郷隆盛の好んだ「敬天愛人」の「愛人の思想」は人を殺すことでない、だから「薩摩剣士隼人」のチャンバラの場面をよく見て欲しい、剣士の剣は相手の刀とは当てあうが相手の体には当てたことはない、と。それは戦うことから相手も学ぶのだ、そして相手も仲間にしてしまう、そいうことなのです、と。

レギラーの皆さんが「奥が深い!」と口を揃えて言われました、まさに鹿児島の歴史の上に立った考えだろうと思います。剣士の立場が「敬天の自覚」をもっていればこそと思われます。この「薩摩剣士隼人」が「あまりの人気」だとwikipediaに書かれ、全国各地から海外にも人気の輪が広がっています。

外山さんの思いは「鹿児島っていいよね!」を発信していきたい、鹿児島へ行きたくなる人を増やしたい!ことにあります。

前回紹介した向井明美さんの賀状の「鹿児島で会いましょう」や今回の村永さんの「鹿児島においで下さい」が強く響く番組でした。

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黒縁の賀状。

2016-01-13 21:07:20 | どこまで続くかこのブログ

昨日の「つぶやき」へのコメントでも賀状を出さなくなる話がありました。

色々な理由はあるので人それぞれとしか言いませんが、それならばkaeruはどういう手でいくか、自分で喪中ハガキを賀状として出すという手に気がつきました。そこには一休和尚の

   門松は冥土の旅の一里塚   めでたくもあり  めでたくもなし

を書くか、それまでに俳句の詠みの腕をあげて、これはと思われるような辞世の一句を認めるか、まだ先のことですのでゆっくりと思案しましょう。

そのためにはあの世へ行く三日前ぐらいまで、PCで賀状を印刷できるくらいの体力と気力を残しておかなければ実現できないのでしょうが。いや、印刷は本人でなくてもできます。宛名も表書きもPCですからこれこれを頼む、と人生最後の依頼事で可能になります。ただし依頼された方がバカらしいと思って、ハイハイ分かりました、出しておきますよという空返事だったら?

これは名案でなく迷案なのでしょうか。

ちあきなおみの「喝采」の歌詞を思いつつ…….。

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賀状の効用。

2016-01-12 21:28:25 | どこまで続くかこのブログ

年に一回賀状の交換で消息を知り合う人もかなり多くなりました。

平均寿命の年齢に近ずくとこれを出さないでいるといつの間にか死んだことになってしまいそうです。今日届いたのは賀状ではなく手紙、その中に私が死んだのではないか、という話が出ていて、なるほどそういう年齢になったのかと思った次第です。

というのは、w(私)とKとTは60年安保の頃の仲間で、途中つながりが切れていたこともありましたが、この数年賀状での交流を続けてきました。一昨年Tがフェイブックをやっていることを知り、ブログも紹介して一二度コメントももらいました。

Tは昨年一月に奥さんを亡くしたと聞いていたので、喪中ハガキはきませんでしたが賀状を出しませんでした。Kからの手紙によると5月にTの地に行った時、TがWのブログと繋がらなくなった、「亡くなったのと違うか」と言っていたそうです。

だから私の賀状に反応して「よかった、よかった」と大書してきたのです。

ブログが繋がらなくいというのは、私がタブレットを変えてからフェイブックを使わなくなったことをいうのでしょう。それにしても消息が途切れたわけですから、もしかしたら? と思われる歳だということでした。

近いうちに横浜あたりで会いましょうと声がかかっています、生きている証を身をもって示しに出かけましょう。

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