kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

秋の風吹く

2016-08-12 20:08:13 | kaeruの五七五

  今朝は朝方にお墓の掃除を済ませる積りで昨夜は割合早く寝たのはいいのですが、夜中に何度も目が覚める、暑い、そよとも風がない。

  扇風機が止まっている、タイマーが切れたのかうちの奥さんが止めたのか、起きだしてスイッチオン、ところが強すぎるのか隣で寝ている奥さんが咳をするのが気になって……、そんなこんなやらで熟睡できなかったことを口実にお墓へは朝飯を済ませて出かけました。

  子供連れにお爺さんという感じの白髪が一緒に掃除をしています。お婆さんという感じの人がいないのでもしかしたらそのお婆さんが先に亡くなり、この八月が新盆?

   そういうケースもないわけではないでしょう、うちの義父母の場合も母が父より14年早く亡くなっています。何時も話に出る小父さんも小母さんが先立ちましたが、全体としてみると断然男性先行型です。ある高齢者向けのダンス同好会のメンバーの六割以上が女性でその八割が夫を看取った人だそうです。

  我が身を考えれば断然多数派でいけると思っています、まあかなり先のことにしたいと思いますが。お墓の掃除という作業はそんなことを考える時間をつくってくれるので大事なことです。

こんな句が浮かんできました。

  清拭のごとく義父母の墓を拭く   kaeru


  タイトルの説明を忘れるところでした。

  夕方、窓辺の風が涼しく昨夜の暑さはなんだったのだ、ーと。

  涼しさから肌寒ささえ感じて窓を閉めました、やはり七日の立秋も過ぎているわけですから風が秋の気配になっても不思議ではありません。

 秋立つやしみじみ思ふ人の縁    星野 椿


ブログの縁も人の縁です、不思議といえば不思議です。

  秋風の窓辺にブログ弾み書き   kaeru


変化の一年。

2016-08-11 22:41:56 | 信州、なかでも上田。
 
昨日の今日の途中まで。
塩田平の兄宅にて一泊、今日は父母の墓参りのあと祢津へ向かう予定。兄宅の玄関のカエル君は我が家のカエル君の兄にあたるのです。玄関に居座って無事帰って来ると「おカエリ」と鳴くそ......
 

年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず

  この言葉の前後に幾つかの言葉があるですが、一年前の貴方です、とgooからこうやって送られてくると、兄のいなくなった事実が改めて目の前におかれます。

  兄の死は私ことですが、同時にこの時期一年後の参議院選挙で野党共闘が実現するなど思いもしないことでした。しかし予兆はあったわけです。

   市民連合の中野晃一さんは【 昨年(2015年)の夏の安保法制反対のたたかいのなかでは、「総がかり」(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)にしても、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の金曜日行動にしても、いろいろな場に野党の政治家を呼び込んで、ともに抗議の声を上げるということをやってきました。そうやって野党共闘が国会前から準備をされていったのでした。】と言っています。

  この時期私も何度か国会前に足を運んでいました、「国会前から準備をされていった」は実感できます。

2015年9月19日戦争法採決の前夜の国会前です。

2015年9月18日の「kaeruのつぶやき」

  時代が次の節目に向けてどう変化するのか、その兆しの現場にいたことが教えるのは、歳々年々に変化することは私ことだけでなく社会全体のことでもあるということです。当たり前のことですが、夏の熱風の昼から夜に入り風の気配に秋をみるように目をつけていないと見落とすことでもあります。

   そして一年という期間ですが、相当の勢いで変化するであろう時代を現していると、ブログを振り返っても思えます。


「てんがらもん」229回 川柳の日

2016-08-11 19:55:45 | 「てんがらもんラジオ」

   今日は「山の日」、今年から8月11日が国民の祝日の一日になりました。それならば「川柳の日」はいく日でしょう、8月の25日です、国民の祝日ではありませんが。

嘘は申しません、ここに書かれています。

 

さて、どなたの紹介されたものか?

今日の「てんがらもんラジオ」川柳の先生、石神紅雀さんのブログです。直接お読み下さい、

http://synjyoko.exblog.jp/23240249/

さらに当日の長崎新聞の記事です、

http://www.nagasaki-np.co.jp/news/mizusora/2011/08/25090134.shtml

 

   今日の「川柳教室」で詩人サトウハチローの「川柳は言葉のつばさ」が紹介されていました。かなり長いものですが、村永さんのブログに全文あります、http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/e/5542f92d7a004a17086f1d3ac2abb875

   ここで詩人サトウハチローは、五七五の効用を詠み込んでいます。なるほどと納得でき五七五への関心が深まります。

  五七五といえば俳句があります、さて「俳句の日」は?

  これは簡単で「は=8、い=1、く=9」で8月19日です。この日は「バイクの日」でもあるそうです。

   こうなると8月19日から25日の7日間を「五七五週間」にしたらどうなんでしょう。サトウハチローさんが「わたしたち日本人の心の糸は 五・七・五にすこぶる敏感」というように、和歌短歌もふくめて五七五調は各種標語にまで染み込んで日本人の心をとらえます。

  7月号の「川柳 つばさ」誌に「短詩文芸の二重表記について」という一文がありました。例えば、

   強引な縁談今は二重◎    

と記して◎に「まる」の振り仮名が振られています。

   俳句川柳という世界一番短い文芸の表現の可能性を求めていくうえで、日本語独特の表記法の活用はこれからの課題のように思えます。印刷物とラジオとインターネット、縦書きと横書き、漢字ひらがなに音読み訓読み、それにローマ字が入ってくる、こういう表記を駆使できる可能性を持つ言語民族は日本人だけではないでしょうか。

五七五には楽しさいっぱいという感じです。


酩酊。

2016-08-10 22:01:37 | 葉山そして人

   月例になっている15日の月命日に小父さんと夕食を共にするのが、小父さんが15日には小母さんの墓のある地に向かうので不在、今夜をそれに替えて来ました。

   何時ものように食卓を囲みながら、オリンピック観戦それも杯を重ねながらでしたのですっかりできあがってしまいました。ということで今夜はおやすみなさい。ということで


原爆忌 長崎。

2016-08-09 21:35:58 | kaeruの五七五

  広島へは原水爆禁止世界大会参加で行ったことがありました。第9回の時だったはずで、今検索したら1963年のことで53年前でした。いわゆる分裂大会で歴史に残る会場にいたわけです。

   参加するにあたって当時の東京港区田町駅頭でのカンパ活動や周辺の家々を廻り署名をもらいながら募金を募り広島へ向かったものです。爆心地広島にはそいういうつながりがあるのですが、長崎へは仕事場の同僚と慰安旅行の先というつながりしかありません。

   記憶に残っているのは石段の坂の街と平和公園で、原爆資料館の記憶はありません。それだけに一度は原爆の被爆地・長崎をきちんと足で立ち目で見ておかねばと思います。

   消えてより蜥蜴の蒼さ長崎忌      鍵和田秞子

   被爆地としての長崎で訪れなければと思うのは浦上天主堂で、ここでも水原秋桜子の句を紹介したことがあります、「長崎、二つの天主堂」  でした。

長崎在の医師下村ひろし(1904〜1986)の句を三句、

   浦上は愛渇くごと地の旱    下村ひろし

   水乞ひし人は屍や西日没り    下村ひろし

   原爆症診て疲れ濃き秋の暮    下村ひろし


秀吉の遺言状、辞世

2016-08-07 22:10:37 | 「真田丸」

   手元にあるはずの鈴に手を伸ばし寝台から転げ落ちる太閤秀吉、こうなると死に瀕する一老人、ただ転げ落ちながらなお床に落ちている鈴に手を伸ばし、指を伸ばしつつ息絶えるの図は印象に残りました。鈴を手にし鳴らそうという意思をブロガーに例えれば、最後の一瞬まで発信しようという姿になると、手前勝手に描くのです。

   今回は秀吉の遺言状をめぐって家康正信の企み、それへの三成側の反撃それに挟まれて意識朦朧状態の秀吉が操り人形化、見兼ねて寧々の一喝が入ります。秀吉の遺言状はこう書かれています、

こうあるわけですがそういうやりとりがあって出来たものでしょうか。

(小学館『大系 日本の歴史 8 天下統一』p340)

辞世が展示された時の写真がありました、

 

つゆとお(落)ち  つゆとき(消)へにし  わかみ(我身)かな  

                                  なには(難波)のことも  ゆめ(夢)の又ゆめ ” 

 この展示については、

https://thepage.jp/osaka/detail/20140818-00000009-wordleaf 

でご覧下さい。


原爆忌 広島。

2016-08-06 23:22:54 | kaeruの五七五

  今日もあと1時間半ほどで明日に移ろうとしているのですが、今日を広島忌として九日を長崎忌として詠んだ俳句を書き記しておきたい思います。

  そして、毎月6日と9日日には原爆忌を詠んだ句をここで紹介すべきではないかと思っているのです。

それでは、

   核のろうための残生広島忌      伊丹三樹彦

   立葵朱に咲き上る広島忌         金箱戈止夫

   いっせいに山羊吾を見る広島忌   柚子紀子

   つつぬけのこゑそらにあり広島忌   日美清史

   言うまじ今日の暑さを広島忌    坂津 堯

   川岸にただ来てをりし広島忌    上野谷良美

   広島忌蝉は鳴きつつ焼かれたる    上田フサ子

   ヒロシマ忌泳ぎし素足地を濡らす    鈴木六林男

   まぐなぎを払ひてゐたり広島忌    辺見じゅん

   広島の忌や浮袋砂まぶれ    西東三鬼

   ゆっくりと歩く首すじ  ヒロシマ忌    政成一行

   赤ん坊にうつくしき爪ひろしま忌    山崎冨美子

   八月六日空の無疵をかなしめり    渡辺幸子

   捨てきれぬ水筒一つひろしま忌    船木幸人

   青春を焦土の中に広島忌    重本泰彦

   あかがねの蝉ひた鳴けり広島忌    中拓夫

   秒針が頭蓋に移るひろしま忌    松本鶴枝

   木の登り八月六日の空を見る    弘友春子

   ていねいに三和土掃きます広島忌    古川塔子

   刈り伏せの草も熱もつ広島忌    木下むつみ

   首すじに齢の見ゆるひろしま忌    佐竹としを 


エンゲルスの死んだ日。

2016-08-05 23:15:35 | kaeruの『資本論』

   スマホのカレンダーに「エンゲルス死去」と記されてきました。こういうカレンダーは予定表としての役割を果たすものです。となるこれは何をする日なのか、ほっとけば確実に忘れ去るであろうエンゲルスについて思い起こしそれらしいことに取り組んだらどうですか、という過去の自分から今日の自分への問いかけなのです。

  問いかけですから、余計なお世話ですと言って無視もできますし、今日は他の事でエンゲルスさんには気が向きません、と断りを入れることもできます。8月5日は毎年くるので去年はどうしたのだろうと振り返ってみたら、この日孫と婆さんと東北へ向かっていました。

  今年は気を入れてこの日らしいことをつぶやきます。

  まずは先月『資本論 第二部』に入ったばかりですから。何よりも今日私たちが『資本論 第二部』を読めるのはエンゲルスの尽力努力によるのです。さらにこのところ「市民」という言葉にこだわっています。戦争法反対運動から参議院選挙に向けての国民的運動が日本におけるはじめての市民革命的な運動とも言われました。それは3・11以後の原発反対闘争からの動きもふくめて言われる場合もあります。

   原発反対の金曜日行動から戦争法反対の国会前行動に参加しての私の実感から言っても60年安保闘争との違いが分かるのです。そこに登場してきた人々はまさに聴濤さんのいう「先進資本主義国の労働者と市民(これはいま一体となっている)は世界を変える力である。」を感じる現場でした。

  実は今、つぶやきつつ今夜の「日本共産党創立94周年記念講演会」のビデオを見ています。それは「市民」ということを深めるうえでも必要と思ってのことで、特に来賓としての3人の方の挨拶を聴いておきたかったからです。そのあと新参議院議員となった3人の発言にも耳を傾けることになってしまい、さらに志位委員長の講演につながっていきそうですので、中途ですがここで休止します。

  「日本共産党創立94周年記念講演会」のビデオはこちらで視聴できます、よろしければご覧下さい。

https://abemafresh.tv/jcp/28146  

https://youtu.be/f_KW7Hisyx0


世界史をつくる「市民」とは。

2016-08-04 22:56:23 | せいじの政治カフェ

   「先進資本主義国の労働者と市民(これはいま一体となっている)は世界を変える力である。」と昨日は聴濤さんの言葉を紹介し、その現代の「市民」はどういう特徴を持っているかを今日は紹介します。

   そこに入る前に聴濤さんがこう書かれていることを記しておきます。

【 マルクス、エンゲルスは国際情勢をみる場合、それを打開するために何をしなければならないかも明らかにしていたことである。】

  国際情勢論が解釈解説で終わってはいない、運動方向を示したものであった、ということです。これは今日に引きつけていえば「市民・市民運動」の発展を視野においていることでしょう。

   それではその「市民」とは、

【 この運動に参加する「市民」はいま普通には誰からもいかなる組織からも押し付けられたり動員されたりするのではなく(それを一番嫌う)、ネットで情報を集め、集めた情報をみずから精査し「主催者の一人」として自分自身で考え行動する人として理解される。しかもその人々が現実に社会を動かす力を発揮する。素晴らしいことである。彼らは「自由、民主主義、基本的人権」を普遍的価値としている。なぜこうした人々が形成されるのであろうか。いくつかの要因があると思う。

① 憲法精神と民主主義の定着による人間意識の変化。自己判断能力と自己表現能力が発展したこと。ここではエリート意識は通用しないようになる。

② イデオロギーを価値基準にしない。したがって要求は人間的かつ現実的である。ここでいうイデオロギーというのは「社会主義対資本主義」といった場合のようなイデオロギー対立のことである。

③ しかし現代資本主義経済がもたらす未曾有の格差拡大・労働の強化が何かをしなければならないという意識をつくりだしている。

  もちろんこのことは政党の役割の低下を意味しない。今回の戦争法反対闘争でも共産党はいうまでもなく他の反対する諸政党の国会での活動が、運動を促進したことはいうまでもない。要は政党が階級・階層の「諸集団」の利益を代表するだけでなく、市民感覚をもった集団でなければならないということである。

   それと同時に「市民」という場合、政治関連に限定するのではなく、日本でいまNPO、各種協同組合、社会的企業などの市民運動が広範に発展していることを重視しなければならない。高齢社会に不可欠な医療・介護・福祉を直結させたネットを地域に張っていくという貴重な仕事をこれらの市民運動はおこなっている。これをすべて行政の下請けとみることは現場を知らないためである。社会を身近なところから変えていく重要な運動である。マルクスが協同組合を重視したことは知られているところであるが、医療・介護分野までにもそれが発展していることは知る由もないところであった。

   総じてマルクスがこうした市民・市民運動をいまみたとすれば何というであろうかこれはわれわれ自身が考えるべき問題である。先進資本主義国の労働者と市民(これはいま一体となっている)は世界を変える力である。このことはいまの世界をみる基本的視角の一つになるであろう。筆者が本書で最後にいいたいのはこのことである。】

  かなりだぶって引用しました、そこは筆者と引用者がいいたいことでした、あしからず。


「てんがらもん」228回 原爆ほど悲しいものはない。

2016-08-04 15:32:55 | 「てんがらもんラジオ」

  7月の「てんがらもんラジオ」で指宿の花瀬望比公園を紹介された時、その碑文の意味を深めたいと感想に書きました。

それは碑文のここです。

私たちは  それに応えているや  二度とこんな事を  起こしてはならない

親から子へ孫へ  無惨痛哭の太平洋戦争を

そして壮絶  艱難辛苦の戦後もまた  語り継いで  行かねばならない  

  今回のゲスト岡元由美子さんは長崎の被爆二世として、まさにここで言われている「語り継いで」行く人です。公園の碑文は岬の先にあるフイリッピンの島々と海底に眠る47万余の同胞への思いですが、岡元さんもまた「二度とこんなことを起こしてはならない」の思いです。

そんな思いを岡元さんがこう言い表しました。

「平和ほど尊いものはない、戦争ほど悲惨なものはない、原爆ほど悲しいものはない。」とくに「原爆ほど悲しいものはない」の「悲しいもの」に思いの深さを感じます。それは直接被爆した者へのこのうえない悲惨にとどまらず、胎内児をも被曝させているからです。さらにその地を訪れた一定期間内の人をも被爆させるのです。

  広島長崎での原爆被災者は被災の状況を語るになんらかのちゅうちょするものがある事を今日も話されました。自らが被爆者であることまたはその二世であることを知られることへの恐れもあります。東京大空襲などの被災者と違う思いがあるように感じます。

   ここに「原爆ほど悲しいものはない」という意味があると思うのです。同時に悲しみを味わった人ほど優しくなれるし強くなれるという事も岡元さんの「被爆二世の会」の活動を通じての実感だと受けとめました。そして、被爆問題だけでなくこの社会の様々な苦しみや悲しみを持っているからこそお互いが理解しあい優しくなり強い繋がりができている、という姿が今日の「FMぎんが  てんがらもんラジオ」のスタジオだったということをこの写真が示してくれてます。

その説明は村永さんの言葉で……、こちらです。

「岡元さん向井さんの涙」

今日の「てんがらもんラジオ」は、

http://www.ustream.tv/recorded/90257431  です。

岡元さんの話にあった写真家・吉田敬三さんについては、

http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/08/blog-post_6.html で。