「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

七里ガ浜住宅地のサクラ / 小町通り電線地中化工事

2010-04-08 16:34:12 | 環境・土地
我が七里ガ浜住宅地のサクラは、現在ハラハラと散っているところ。誠に残念。自宅前もたくさん花びらが溜まっている。



なぜなら斜め前のお宅にはこのような立派なサクラの木があるから。今朝の写真だ。毎年、勝手に楽しませてもらっている。借景。有難い話だ。

しかし電柱と電線が邪魔だなぁ。どう考えても、空を切り取ってしまいサクラと調和しない。そう私は思うが、最近はこうした風景も「日本独特のもの」として評価する人々も出て来ている。日本の道路交通の中心、日本橋の上の首都高などと同様に、「日本的」として評価されたりしているらしい。いろいろなモノの考え方があるものだ。



昨日東京に出た帰りに鎌倉駅で途中下車し、まずは鎌万で買い物し、それから駅前の松林堂書店に寄ったところ、店主さんに「小町通りの電線地中化工事の進捗具合をご存じ?」と尋ねられた。毎夜のようにその工事をしているのは知っているが、進捗状況までは知らなかった。すでに南の方から順調に進んでいるらしい。小町通り中ほどにまもなく消える電線と電柱もあるという。店主さんは「あるうちに見ておいたら」とおっしゃった。



で、見に行く。上画像右下の黄色い看板は、ご存じラーメン店「ひら乃」。小町通りの鎌倉駅側入口からこのあたりまではすでにもう電柱はない。180度回転して北側を見ると、電柱がまだある。○で囲ったところがまだ残っている電柱の中で最南端にあるもの。これらも順番に撤去される予定。



商店街ではないだけに、電柱電線の目立ち度では実は我が住宅街の方がひどい。撤去してもらえればうれしいのだが。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七里ガ浜住宅地にも春が来た

2010-03-02 00:01:31 | 環境・土地
我が住宅街の花のプロムナードではサクラの木がスタンバイ。3月ですもんねぇ。春は皆さん、なんだかうれしそう。

正直申し上げると、私は春が気分的に苦手である。3月ともなるともうその後に来る夏を予感させる日もあり、ちょっと怖い。関東平野の夏は最近亜熱帯化していて、かなりスゴイから・・・。子供の頃の夏なら、夕方になると急に黒い雲が出てザァーッ降る夕立ちがあるが、その後はウソのように涼しくなるなんてことが多かった。しかし今やそんなことはない。あるのは時間不定のヘンな集中豪雨とTOKYOのヒートアイランド現象。夜中も気温が高いので暗闇でセミが鳴く。



しかし、とにかく春が来た!・・・ようである。
緑のプロムナードもちょっと春のムード。



これも緑のプロムナード。



サクラの芽はまだ固い。



ミモザの花が満開。真っ黄色である。



緑のプロムナードの植え込みの陰は、カエル天国。先日来お伝えしているカエル達だらけ。
ひどいのになると5~6匹重なり合っているところも。ご覧のは3匹。クックック♪ クックック♪と鳴いている。



すごいでしょ? ヌメヌメ、ヌルヌル。てかりが照焼き的だ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街並み - A Vision of Britain - 七里ガ浜で考える - 住民協定

2010-02-12 12:39:51 | 環境・土地
前回、日本の住宅街の「南信仰」について書いていて、思い出したのがこの本だ。プリンス・オブ・ウェールズ(HRH)の「A VISION OF BRITAIN」。すでにこのブログでも何度か引用して来た。とても面白い本だ。皇太子がテレビや著作や講演会で、民間デベロッパー、建築家、工務店等、建築のプロのやることを正面から批判するというのだからすごい。



HRHはいろいろと発言するので、反発が出る。しかし反発の多くは建築家によるものだ。行政事務遂行の専門家を自認する公務員に行政を任せておくと、しばしばでたらめをすることは皆さんすでにご存じのとおり。同様に、建築のことを建築家に任せておいてはいけない。彼らの多くは、どうやって自分の作品を目立たせようかと必死になるし、街並みを調和させることに関心は希薄である。建てることが商売なので、新たな建物が建たないようでは困るし、奇抜なものを建てようとする。



HRHは英国内の建物を具体的に次々と挙げ、「これはダメ」「あれは良い」といろいろ言う。上の画像もそうやって批判を浴びた建物の一つだ。テムズ川側からこれを見て「ワードプロセッサーみたいな形のビルだ。これがまともな人間の仕事か?」と言った具合にHRHはコメントする。こんなのよりもっとひどいのが、日本にはたくさん建っているが・・・。

HRHの考えでは個々の建物のデザインだけでなく、それが周囲とどう調和することが出来るかが非常に重要視される。デザイン、高さ、素材、色。すべてが重要な要素である。この背景には「風景をそんな簡単に変えてはいけない」という思想がある。現時点で見て周囲と不連続であったり、また時代的にも直近の過去と不連続な風景をつくってしまっては、その風景や建物が魂を失うという考えに立脚している。下の画像は良い例として挙げられたもののひとつだ。



再開発事業も批判される。「こんな高い建物が本当に必要なのか?」とHRHは建築家と議論する。



このお顔。建築家の意見を一応聴きながらも、「そんなことはないだろぉ?」というお顔である。



HRHの挙げる10の原則のひとつはHarmony。「合唱と調和して歌え、一人だけはずれて歌うな!」とおっしゃる。文脈からすると、この画像は、良い例なのだろう。確かにうまく合唱している。



ガソリンスタンドの例もある。左は商業主義丸出しで景観を傷つける例。右はかなり稀なタイプのガソリンスタンドで、控えめで好印象、ということだ。



こういう記述に出会うたび、私は東京の玄関口、JR東京駅八重洲中央口前の風景を思い出す。



一方、極端な比較かもしれないが、リージェンツ・ストリート。美しい弧、色彩、様式、高さ。あらゆる意味で八重洲口とは対照的にそれぞれが周囲と調和。世紀が二回変わっても変わらぬ風景。時間的連続性も保証される。



様々な建築規制があることを私は良いとは思わない。「日本の原風景」あるいは「美しい街並み」と人々が思うようなものが、日本でもあちこちに自然に見られ保たれるような世の中なら規制は不要だ。しかしそんな心持は今の日本に見られない。経済先進国でおそらく最も「景観の公共性」の概念が希薄で、「自分の土地で何しようが勝手」がまかり通る国では、規制も必要だろう。しかしながらその規制当局がまったくセンスを持たないどころか、土建国家的姿勢を今も堅持しているように見受けられる。



上の画像は英国の新興住宅街。HRHはこれもいろいろ批判的にコメントする。私にはまだ上等な部類に見えるが・・・。

下の画像は我が七里ガ浜住宅地。いろいろあるけれど、住民の皆さん、せめて住民協定を守って住みませんか?



HRHがすべてではないけれど、その考えの多くに同意出来るし、参考になる。翻って我が住宅地。住民協定という決まりがあるのにそれを無視し、その景観を蹂躙する行為はあまり尊敬されないだろう。HRHが挙げる10の原則(Ten Principles)の一番目「景観を蹂躙するな」と真っ向から対立する行為だ。



HRHに七里ガ浜自治会館に来てもらい講演してもらおうと私は考えた。一生懸命頼んだら来てくれるのではないか、と思った私は手紙を出した。そうしたら何と!返事が来た。
Dear Ocha-san,
・・・
I would be pleased to support your thought.
How can I help you? 
Sincerely,
Charlie <署名>

ウソ。そんな事態は想定しにくい。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の住宅街の「南信仰」

2010-02-11 17:43:59 | 環境・土地
以前も書いた話だ。敷地がどんな条件のものであっても、南を至上の方角として敷地内での住宅の配置やデザインを決定する、日本の住宅街の「南信仰」についてである。最近私がある人に、これについて「やっぱり日本の住宅街って不思議ですねぇ~」と言ったら、びっくりされてしまったので、具体例を挙げてまた書く。

下の画像は日本の典型的な新興住宅街。実は40年前には「新興だった(過去)」我が西武七里ガ浜住宅地の画像である。真上が北だ。道路がどういう方向を向いていようが、南側の道路あるいはそれになるべく近い道路を選び、自分の敷地内でそこからなるべく離した地点、つまり北に寄せて家を建てるのが日本の「常識」である。東道路、西道路の家は道行く人に対し、90度ひねって横を向けて建てられる。北道路の家は背中を向けて建てられている。


(Source: Google)

各戸はどんな状況でも南側に庭を確保し、建物壁面に開口部を多く設け、目一杯採光しようとする。南道路の敷地が並ぶ家並みは良いが、北道路のみの敷地が並ぶところは道路のギリギリまで建物が寄って来て、各戸の中で北側に集約された水周り(台所、トイレ、風呂、洗面所)を示す小さく不揃いな窓や、何とも中途半端な高さに来る階段の踊り場の窓が見え、湯沸かし器などの器具類や配管が見え、植栽が少ないかゼロ、そしてスチール製の物置が並んでいたりする。

下の画像は私が数年前まで住んでいた別の住宅街である。こちらも真上が北で、狭い敷地内で精いっぱいの家の「北寄せ」が見られる。その法則は各敷地がどこで道路と接しているかとは無関係に貫徹されている。


(Source: Google)

私はこれを「どうしてか?」と不思議に思うのだ。家の北側をどうでもいい「死んだ」景観にしてしまうのはなぜか。そんなに南が有難いのか。太陽が一日中照りつける南が。今の日本の中心部は亜熱帯並みの気候なのに、そんなに太陽を室内に入れたいのか。


(Source: Google)

日本よりもっと寒く日照条件の厳しい欧州北部の国々だって、そんなことはしていない。上下の画像は英国を代表する開発住宅地である。ウェルウィン(カタカナでは「ウェリン」とも書き、その方が音的には近い)・ガーデン・シティーと言う。ただし開発は古く、100年近く前のものだ。こうした住宅地に彼の国では「ガーデン・シティー」という名前がしばしば与えられる。日本ではこの場合の「ガーデン」は「田園」と訳された。このウェルウィンに先立ついくつかのガーデン・シティーも参考にして計画された東急東横線のある住宅街が今も「田園調布」と呼ばれるのは、その名残である。同じく東急田園都市線の名にある「田園都市」とは正にこの「ガーデン・シティー」の訳である。

残念ながら日本のガーデン・シティーでは、名前を彼の国から頂きながら、その建築の思想が研究されることにはならなかったようである。

私は敷地面積の広さを言いたいのではない。道路が東西南北、敷地のどちら側に面していようが、家は最寄りの道路を向いてデザインされ配置されていることを示したいのである。彼の国ではもっと狭い敷地しかないところでも、同様である。道路側から各戸ほぼ同じくらい十分に一定の距離を置いて、そこを前庭とし、道路に向けて家を最も良いデザインで建て、道行く人に見せることを考えている。方角など関係ない。決して「南道路ではないから」という理由で、道路から見える家の外観をないがしろにしたり、「背中を向けた」家づくりはしないのである。


(Source: Google)

こうした外国との比較をすると、「景観の公共性」という概念が日本において希薄であることが感じ取れる。

欧州の都市郊外に住んだ経験のある日本人も、多くがこの点を指摘する。東西南北の方角で家の建て方を決めるのではなく、各戸が接する道路がどちらにあるかで建て方を決める彼の地の住宅街のような方法が、いかに景観を改善しうるかについて彼らは認識を深めているからだ。しかし日本に帰って来た彼らでも、こうやって「北寄せ」で並んで家を建てている日本の住宅街の中で、自分の家一軒だけで別の建て方を選ぶことなど難しい。それこそ周囲に対し「不調和」な家となってしまうからだ。

方角とは無関係に道路を向いて家を建てることについて「外国の話だろ。日本には日本のやり方がある」と言う方もきっといるだろう。しかしどうもその理解は正しくないらしい。下の画像は、以前にここで紹介した本である。お暇があれば是非読んで頂きたい。稀な調査レポートだ。グローバルに見て現代の日本の住宅の建て方が変わっているというだけでなく、実は日本の歴史を顧みても、今の日本の住宅街の様相は、景観や街並みに配慮しない無頓着な態度が顕著なようである。江戸時代の街並みは、方角とは無関係に、道路を向いた構えの家づくりが基本になっていたようだ。



大岡敏昭著「幕末下級武士の絵日記」(相模書房)についての詳細はこちらのURLで。
http://blog.goo.ne.jp/kama_8/e/1e193f17e7a061d2f27f86038a7aaf7b

この手の話題についてはどうも長くなる。続きをまた次回に。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び西武七里ガ浜住宅地の住民協定問題 / 新たにプロムナード沿いで「地区計画」のアンケート!

2010-01-25 23:45:06 | 環境・土地
新たな動きがあったので、ちょっとお固い話題だけれど、またこの問題を取り上げる。

西武七里ガ浜住宅地の住民協定はかつて住民が自らが判を押し、住民が皆で定めたこの住宅街のルールである。それによれば区画の分割、共同住宅の建設、盛り土の造成、屋上の建築は不可だ。

ところがそのルールを守らない人々が少数ながら存在する。
●協定違反の不動産取引や工事をする住民自身(不動産の買い手、売り手、工事の発注者)と、
●住民にそうした取引や工事をそそのかす不動産流通業者と工務店
である。



大半のまともな住民は、このような他者の行為によりネガティブな環境的影響を被る。また大半の住民は自分が得られたかもしれない経済的な利益が得られなくなることを承知で、愚直なまでにこのルールを守っている。一方それに乗じてルールを破る人達は、法的罰則がないのを良いことに、他がルールを遵守することにより維持されている好環境の中、自分だけが上手くメリットを得ようとする。少なくともルールのある当住宅地に住もうとするか、あるいはそこに関わってビジネスで利益を得ようとするのなら、まずはルール(=住民協定)に従うべきだろう。そうでないとしたら、あまりにも厚顔である。

これに関して最近新しい貼り紙(上の画像)が掲示されている。自治会の役員さん達の苦労も計り知れないものがあるのだ。私は自治会の役員ではないが、いくつかの会合に出て初めてそのご苦労を認識した。

住民協定破りの取引や工事がある度、その付近の住民から自治会へ「協定破りの連中をなんとかしろ」との声が上がる。自治会役員は当該住民あるいは工務店、不動産業者との話し合いという、気の重くなるような仕事を何度も繰り返すこととなる。それはたいてい長期にわたるが、全てボランティアである。中にはあまりに礼を失した態度を取る住民や業者がいる。彼らの多くは厚顔で「法律的に罰則がない」とばかりに、結局は自分達がやりたいことをやろうとする。


<直近のかなりホットな問題を経て、最近立った看板である>

こうした自治会役員の恐ろしいほどの精神的、時間的負担。近所で協定破りに関して交わされる噂話から始まって、激烈に怒っている隣接の住民相互の会話。住民協定を無視して不動産を売る、買う、工事を行う等のそれら行為に関わる全ての人達は、それを理解しているのだろうか。それでも平気だと言うなら、あまりに厚顔である。これだけ看板もあるのにまったく知らなかったと言うなら、あまりに鈍感である。

彼ら違反者の言う「法律的罰則がない」なんてことは言い訳にもならない。洗練された社会人のマナーとは、法律などが遥か及ばぬもっと高いレベルの立ち居振る舞いを指す。協定だってそうだ。それを「法律的罰則」という何とも低レベルなモノが無いのを理由に、自分が好きなことをするというのはあまりに野蛮で幼稚な行為である。そういう人は、例えば自分の子供が、自分が協定を無視していることに気付いた時、「法律的罰則がない場合は、それをすり抜けて上手く自分だけが得するのが賢い大人なのだよ」と教えるのだろうか? そんな子供の倫理観は将来どうなるのだろうか? まともな大人なら、とても恥ずかしくて子供にそんなことを言えないだろう。住民協定破りとは、正にとても恥ずかしくて自分の子供にストレートに説明出来ない行為である。



上下の画像はもう何年も前から、この住宅街のあちこちに掲げられた看板である。これを見て、そして周囲の当住宅地の現状を見て、幼い子達はどう感じるのだろう。それを親はどう説明するのだろう。住宅地の皆が同意して作ったルールを、皆が同意して修正するのなら修正すれば良い。しかしそれもないまま、ルールを決めておいてそれを守らないことや、また守らない者を放置することは良くないだろう。ルールを守る真っ当な者が馬鹿を見るような状態は不公正である。



何年か前、そして最近も当住宅地で、この問題に関してアンケートがあった。その結果は惨憺たるものである。まず回答率があまりにも低い。そして回答者の中では「協定は守るべき」とする住民が多いもののその内訳を見て行くと、「(強制力のある)地区計画の導入」には消極的であり、「住民協定破りも、その背景にある各戸の事情を斟酌すべき」などという意見も多い。しかしそんなものを「ルール」とは呼べないのである。既存住民の回答にも「自分が売る時には有利に・・・」という魂胆がかすかに見え隠れしている。当住宅地住民はそれほどルーズなのだろうか。



住民協定は共同住宅の建設を禁じているが、上の画像は共同住宅の擁壁に堂々と、余りにもキチンと貼られた掲示である。もはや、そもそもの意味を考えずに貼られたとしか思えず噴飯ものだ。

どんな土地や家も、それだけで存在しているわけではない。誰もがある家に住むからには、その土地や家の周囲も含めた環境全てから受ける影響を考慮した上で、納得しあるいは気に入って住んでいる。そうであるとすれば当然、自分の土地や家も周囲に甚大なる影響を与えることに思い至るべきである。こうした簡単なことが理解出来る人なら、景観は公共的なものであって「自分の土地だから」「法的罰則がないから」と何でも自分の好きにして良いわけではない、ということくらいは理解出来るだろう。ましてやここは成文化され市にも届けられた住民協定が存在する住宅地である。



この問題を真剣に考えて下さっている市役所の担当部署と話し合いもあり、自治会は地区計画の厳密な意味合いを理解し、次の段階へと進んだ。「自治会だより」にもあったように、プロムナード沿いのお宅にアンケートを実施する。前向きな意見が集約出来ることを期待する。

以下はこれまでにこのブログで記事にしたこの問題のメニューだ:

2008.04.12 西武七里ガ浜住宅地の住民協定(1)  →(6)まであり。

2009.03.15 地区計画についてのアンケート by 七里ガ浜自治会

2009.10.04 住民協定の捉え方@七里ガ浜東 (1)  重要事項説明の意味  →(2)まであり。

2009.11.24 住民協定違反の取引に関して会合@七里ガ浜
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七里ガ浜住宅地の周辺がいかに山深いかを命がけで証明する  【広町の森へ!】

2010-01-22 00:05:33 | 環境・土地
ずいぶん前にこのブログで「七里ガ浜の住宅街と言えば海!・・・というよりも山!」と書いたら、「そんなことねーだろーが」と言う意見が出た。しかし下の地図をご覧頂きたい。ど真ん中にあるのが我が七里ガ浜の住宅街だが、周囲はグルっと山というか森に囲まれているのだ。確かに南側は太平洋だ。あるいは相模灘というべきか。しかし東、西、北の方向は山ばかり。西側は「広町の森(黄色い字)」という広大で自然豊かな森で、鎌倉にいくつかある自然保護運動の聖地、シンボルみたいな場所である。



聖地「広町の森」とはどんなところか?

こんなところである(↓の画像)。我が住宅街の西端はこの広町の森に長く接している。この画像は、住宅街側から森を撮影したものだ。立派でしょう?



ここは住宅街の端っこ。西武七里ガ浜住宅地に共通する大谷石の石積み。その向こうに見えるのが広町の森への入口だ。今日はここから広町の森に入り、七里ガ浜の住宅街の周囲が山であること、そしてそれが深いものであることを、これを読んでいる人に証明するのである。広町の森への入口はここだけではなく、広い森の周囲のあちこちにあるが、今日は我が住宅街西端、浄化センター脇の入口から入る。



入るなり、急峻な登りに悩まされる。道は細いし左側は絶壁である。



このとおり。下の写真で、私の進行方向は上だ。説明すると、右(高い)から左(低い)へと落ちる急峻な崖である。左に足を滑らせると命がない・・・なんてウソだが、捻挫くらいはしそうだ。。自分の住む住宅地の周囲が深い山であることを証明する行為は、このように危険と隣り合わせなのである。家から数分でこの危険を味わえる。七里ガ浜ワンダーランドは究極のデンジャラス・スポットでもある。



しかし今日は足元もバッチリだから大丈夫。数年前の厳冬に私が氷雪のマッターホルン登頂を成功させた時に履いていたのと同じ靴・・・それもウソだ(念のため。何でも本気にする人がいるので。ウソが多過ぎるブログだ。ウソつきはドボローの始まり。ドボローにならないよう気をつけよう)。これでマッターホルンに登るのは真夏でも無理である。これは確か1994年あるいは1995年に買ったMerrell社のウォーキング・シューズである。私は物持ちがいいな。くるぶしまでを高く包み、非常に歩きやすく気に入っている。前日大好きなアウトドア・エッセイストの加藤則芳さんの本を読んだので、こういう靴を履いて森の中にいると、自分がかなりのアウトドア通になった気になる。途中メスのキジを発見し、ますますそういう気になる。ここではキジとリスを多く見かける。美しく敷きつめられた落葉、そして木々の上をリスが走り抜ける。ん~、アウトドア・エッセイ風の文体になって来た。乗せられ易い性格。



控えめな標識がある。大桜に向かう。



桜の大木が多いスポットだ。春は見事な景色が楽しめる。



これが有名な桜の大木。稚児桜伝説もある有名な大木。屋久島の縄文杉の次に訪問者が多い老木として有名(それもウソです)。平日なら入口から5分以内で誰にも会わずに、この木まで辿り着けるだろう。



このあたりは国有地。「明後日、鎌倉市民の希望者先着1名に297平米(約90坪)のこの土地が無償で譲渡されます!」という意味の看板である・・・なんてことはありません。ここは分譲地ではありません。しかしこれは何のための標識あるいは看板なのか??



次は市道の看板。鎌倉市は看板で国と張り合っているのか。1km以上にわたり、山の中でも市道。市でも国でも、歩く人にとってはあまり関係ない。



次は私有地であることを示す看板。「立入禁止! この先は民有地です」との掲示が。今度は民間も看板で張り合っている。しかしその看板の左下には、石切場はこちら(→)との標識もある。石切場に行っていいのか、悪いのか。



登って降りる。やがて急峻な下りが現れる。その横手の絶壁に、岩が露出している。それが石切場だ。



寄ってみましょう。ホントだ。確かに切り取られている。いつ誰がどういう目的で、ここから石を切り出したのか。



切り取られた岩の下から怖々撮影。切り取られた岩の上に大きく露出した岩があり、それらを抱きかかえるように根を伸ばした大木がその上で成長する。石切場の生き証人である大木。



全体はこんな様子だ。



誠に残念だが、そろそろこの冒険からの退却を考えねばならぬタイミングだ。「帰りに西友七里ガ浜店で買い物をして来るように!」と妻から私への厳命が下っていたからだ。サンマがこの日限定で1尾39円という価格で提供されているらしい。この厳命を成し遂げるため、私は再び危険と隣り合わせで絶壁沿いの道を進む。健気だ。サンマのために命を落とす可能性もあるのだ。



鎌倉市景観部公園海浜課の看板が登場! しかし斯様に「鎌倉は海、というより山!」な状態なのだから、「景観部公園海浜&山課」に改名されてはどうだろうか。



ここからだと間もなく、鎌倉山の住宅地の端っこに出る。ほらっ、住宅が見えて来た。



住宅地側に降りたところ。振り返って広町の森からの出口を撮影。本日訪れた稚児桜や石切場は、広町の森の中ではややマイナーなスポットかもしれないが、とにかくおわかり頂けただろうか。七里ガ浜住宅地の周囲は山だらけなのである。



ここからは七里ガ浜の住宅街が見下ろせる。自宅も西友七里ガ浜店も徒歩で10分かからない。



同じ海沿いの湘南でも鎌倉、逗子、葉山は、中心部を除くと山が海に迫っている場所が多い。それがメリットであり景色が変化に富む。そしてデメリットは坂が多いことだろう。だから自転車はちょっと難しい。「どこでもチャリ」とは行かず、不便である。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉山の住宅地・七里ガ浜の住宅地・その間の住宅群

2010-01-18 00:00:30 | 環境・土地
鎌倉山が別荘地として分譲されたのは昭和初期の話である。当時の政財界、映画スターが購入している。当時の豪邸は徐々に分割され風情もなくなりつつあるが、今もその名残は十分ある。地勢自体を大きく変えるような大掛かりな造成工事は技術的にも不可能な時代だったので、当時の建物は比較的平らなところを選んで建てるか、そうでなければ斜面の一部を切り土する形で建てられていて、大きな敷地になるとその中でかなりの高低差があるところも多い。

一方鎌倉山から眼下に太平洋を見下ろすと、その手前には西武七里ガ浜住宅地が広がっている。ここは戦後西武グループが大規模な開発をし、1960年代に分譲を開始したものである。その頃には造成技術は大幅にパワーアップしていて、大きく景色を変えてしまう開発が行われた。今なら許可されそうもない規模である。自治会員戸数1600戸。隣接の飯野不動産開発の分譲地も加えるとスゴイ広さだ。皆キレイに整地され、四角く切り取られた整形地である。



海岸線から急斜面を標高で数十メートル登ると、七里ガ浜住宅街がなだらかに広がっている。そこからさらに急斜面を数十メートル登ると、そこに鎌倉山の住宅街(旧別荘地)が広がるという「2段階方式」が長い間定着していたのだ。

ところが造成あるいは基礎工事のための技術や重機はその後さらに発達し、二つの住宅街の間の急斜面にも住宅が建つようになった。



斜面に一部独立基礎(基礎は地下ではつながっているが、地上はコンクリートの柱のような状態)を用いた家もみられる。



家が上下に重なるように、斜面に建っている。玄関に到達するための階段も長い。でも眺望が毎日楽しめる。



浄化センター前から撮った画像(下)。人気の傾斜地!



近寄ってみましょう・・・真ん中のお宅は下から階段で、上がる。後ろの高いところのお宅はそれは無理で、玄関は建物反対側の高い道路に面している。裏側にもう1本道があり、そこで家の2階に設けた玄関と通じているようだ。横浜根岸あたりで有名になった傾斜地マンションのような構図だ。



さらに奥へ行くと・・おおおっ!下の地面から考えると、コンクリートの量が半端じゃない。用へきの垂直面の面積が、その上に載る敷地の面積よりも大きいかもしれない。そういうのもアリなのか?!



造成技術の進歩はスゴイ。大昔、鎌倉山の別荘地が大人しく開発され、ちょっと昔、七里ガ浜住宅地が激しく開発され、近年はその間の急斜面がスーパーパワーと技術力で造成されてしまう。「そして全部が家で埋まった」の図だ。茶々之介もびっくり。



これらの上段のお宅の裏側はこんな感じ。ここから家に入れるようだ。一見平屋だが、実はこれが皆2階。



平らな世界でも、工事が。年度末だからか、我が住宅街でもあちこちで歩道の工事。



こちらにも工事用車両と資材が。



上ばかり見上げていたので、首が痛くなりました。さあさあ、細い平らな路地を歩いて帰りましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南不動産情報(2) 住宅ローン編 参考:スルガ銀行鎌倉支店

2009-12-09 19:49:44 | 環境・土地
前回の話の続き。じゃあこれから江ノ電沿線に住み換えたい人が多いとしたら、どうしたらいいのか? 今も借家で次も借家というなら一番楽なパターンだ。今は借家でこれから江ノ電沿線に家を買うと言うなら、それもまた一定の条件を満たす人なら簡単なことだ。一番大変なのは現在持ち家があり江ノ電沿線のどこかに引っ越したいと思っているが、ここ20年くらいの間に今の家を買っていてかつ住宅ローンの残債を抱えている人だ。そんな人のうちの何割かは、家を売っても、ローンの残債すら返済出来ないだろう。不動産価格の下落の影響は大きい。



スルガ銀行鎌倉支店からの折り込み広告が我が家のポストに。「担保評価不足」と他行に言われた人にも、借り換えの可能性があるらしい。スルガ銀行は知る人ぞ知る、住宅ローンに積極的な銀行なのである。同行鎌倉支店の所在地は鎌倉の一等地。若宮大路沿いの、鎌倉駅前交差点の近くだ。



私がアパートを建てることを決めるはるか前に、いくつかの金融機関にアパート・ローンが可能かどうかを打診したことがある。もし万が一、大きなアパートを買うかあるいは新築することになった場合、一時的にしろ多額のローンが必要になるかもしれなかったからだ。

さすがに今の銀行や生保等金融機関のローン担当者は、10年前の彼らの常套句であった「アパートなんて農家の土地持ちがやることですよ。止めておかれては・・・」などとは絶対に言わない。今世紀に入ってから彼らの多くは融資スタンスを変え、新参者のアパート・オーナーに散々貸し込んだし、それで今ひどい目(つまり債務者の債務不履行)に会ったりしているので、今さらカビの生えたような常套句など使えないのである。

しかしひどい目に会ってしまったが故に、今の彼らは貸し出しにかなり消極的になった。そんな中では、スルガ銀行はアパート・ローンにも積極的だと言われる。私はスルガ銀行に接点がないのでよくわからないが。

(スルガ銀行鎌倉支店)


5ヶ月前のこと。相手は某メガバンク。私は自宅のローンを全額繰り上げ返済した。そうしたら繰り上げ返済のための手数料を取られた。またローンを借りた時には保証会社にローン保証を頼んだが、その時払った保証料など、全額繰り上げ返済だと言うのにろくに返ってこなかった。今さら文句を言うつもりはない。金融機関の事情やローンの仕組みなど私はよく知っている。単なる会話として、その某メガバンクの若い担当者に、私はそれを話したつもりだった。

ところがその担当者は、なぜ繰り上げ償還の手数料が必要か、そしてなぜ保証料があまり返って来ないかを、生真面目に延々と説明し始めた。生真面目にほどがある。当方にとってみればあまりにもくだらなく、聞きたくもない話なのだ。なぜならもはや昨今の住宅ローンは:

●繰り上げ返済はいつでも自由
●その際繰り上げ手数料は不要
●ローンの保証料が返って来るかどうかを悩む必要なし
●なぜならそもそもローン保証料を取らないから

そういう時代に入っているのである。それで金利が他行と変わらないローンを提供する金融機関があるのだ。それが出来ない金融機関もあろう。それはそれぞれの事情だから、私は構わない。しかしそんな状況で、自行の繰り上げ返済手数料の存在理由と保証料の戻し額の少なさについて、延々と勝手な理屈を、ムキになって顧客たる私に説明する担当者はあまり利口とは言えない。

また金融機関があれこれ審査して私の土地建物に対し、ローン金額に比して過大な抵当権まで設定しておいて、どうして保証会社が必要なのか。そんな抵当権を設定するなら、保証会社も保証料もそもそも不要だったのではないか。さらに、保証料を取る保証会社だって怪しいものだ。保証会社って親会社に相当する金融機関の早期退職者の受け皿になっているところが多い。金融機関にとってみても、自分が倒れたら生き残れないような子会社の保証会社にローン債権を保証してもらっても仕方ないだろう。結局、私のローンに係わる金利や多種多大な手数料で、金融機関の従業員からその退職者まで全部を養っているようなものである。



金融機関はいつも自分の利益を優先し、保護行政のもと、勝手な理屈付けを通してきた。住宅ローン等の手数料だけではない。借入や株式保有という形で彼らに依存している事業法人への彼らからの圧力はひどいものだった。しかしそれも崩れ始めていて、個人取引でも法人取引でも彼らが「これだけは必要」と言っていた様々な手数料が、最近どんどん下がったり、タダになったりしている。また取引上の不公正な慣行は罰せられるようになってきた。

証券会社の株式取引手数料など昔はべらぼうに高かったが、今ではそれはタダに近くなった。

日本の生命保険会社は一応資産運用機関だが、海外の一流資産運用会社に今も太刀打ち出来ないままだ。生命保険会社は一般勘定や特別勘定で長年積極運用して来たが失敗の連続だった。一方、それだけとは言えないものの、古くからただ持っていただけの状態の株式の含み益があるから、それを食いつぶすことで生きて来たようなものだ。しかしそれでは「運用」機関とは言えまい。またクラシカルな営業体制を今も維持していて、あまりに高コスト体質だ。彼らがもっとまともだったなら、保険契約者ははるかに効率の良い保険商品を享受出来たはずである。

個人客だけではない。貸出や持合い株式その他を理由に、事業法人の取引先など生保から・・・あぁ~、今回の話題からどんどん離れてしまった。



話を戻す。スルガ銀行の住宅ローンの詳細を私は知らないが、ほら、上の写真の一番下。江ノ電沿線に住み替たいのだけれど、今の家を売ったら売却損が出るからそれが出来ないと思っている方。スルガ銀行さんが助けてくれるかもしれないですよ。自分にとって都合のよい金融機関を取引相手に選ぼう!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南不動産情報(1) 江ノ電沿線人気 

2009-12-08 22:37:05 | 環境・土地
今日の日経新聞朝刊。



一面に色々な記事が。普天間問題。これ、いったい、どーーなっているのか? これは朝刊であるからして、少なくとも昨日の段階では、まだ何も決まっていないわけだ。ハッキリせい、ユキオ! これはちょっとまずいよ。



で、日経新聞のどんどん後ろの方を見る。「住むなら江ノ電沿線」の文字が。マジすか?・・・ってこの言葉づかいはひどいと、尊敬するある学者が書いていたので、撤回。まじめですか? 江ノ電沿線ってチョー不便じゃん。「チョー」も止めておこう。すごく不便なんですけど。



江ノ電ってこれです。我が家の中も江ノ電が走っている。



1都3県の住民を対象に日経新聞が行った「住んでみたい路線」のアンケート結果だ。1都3県って東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県のこと?埼玉県、千葉県の人々もアンケート調査に答えているのに、「住みたい路線」としてどこにも埼玉県や千葉県内の路線名が出てこない。それだけではない。例えば東京都を走る、あの小田急なんてのもない。不思議だ。

しかしスゴイ結果だ。ここに名前の挙がった各線の長さ、沿線住民人口や住宅数、乗降客数を考慮した場合、この結果はちょっと異常に映る。 隣り合わせの市である鎌倉と藤沢を結ぶ人力車並みのノロノロ単線かつチョー短線の江ノ電がですよ、都市を支える大動脈の大私鉄各線を抜いて1位かい?東急東横線、東急田園都市線、京王線より人気度が上かい? 小田急や京急なんて名前が出てゃしない。沿線住民の人口で比較すれば、江ノ電なんてそれら長大な私鉄各線の数百分の1の規模なのではないか??? 



江ノ電沿線では「仕事と週末ライフ」も確かに両立しなくはない。都心に住む人からすれば、ここは年中リゾート気分でいられる場所だろう。加えてここには都会的な雰囲気を持つ人が多く住む。本当の都会の一部より、ここは都会的な人が多いかもしれない。

江ノ電沿線のうち中心部の極楽寺~腰越間は山がすぐ海のそばまで迫っている。風光明媚なのはそれが理由のひとつだ。だから当然ながら急坂だらけ。

自宅を出て坂道をえっちらおっちら江ノ電の駅へ、そこから江ノ電に乗って鎌倉あるいは藤沢にチョー低速な江ノ電で移動し、JRに乗り換えるってこと、たったそれだけでかなりの時間を使うのよ。そこから東京に出るのって大変で、相当な覚悟が必要よ。江ノ電の終電って早いよ。タクシーに鎌倉駅から七里ガ浜の私の自宅までちょこっと乗って10時以降の料金払ったら1700~1800円くらいよ。連日それやったら結構大変なんだけど・・・。



やはり海が近いのが良いらしい。デメリットも多いんだけど。



皆さん、よく考えて、調べて結論を出そうね。犬は確かに幸せそうだ。

なっ! 茶々之介。ロングリード引きずったヘンな茶色い犬を七里ガ浜で見かけたら、それはこの子かも。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住民協定違反の取引に関して会合@七里ガ浜

2009-11-24 14:39:02 | 環境・土地
またもや七里ガ浜住宅地の住民協定の話。大半の住民が不利を承知で環境維持のために守り続けている住民協定。そうした協定がある当住宅地の良好な環境を全体から享受しながら、自分だけは協定を守らず土地分割売買取引で何がしかの経済的メリットを受ける。それがいかに不公正であり、その取引の結果、当住宅地の景観がいかに劣化しているか。それについての詳細は先日住民協定の捉え方@七里ガ浜東(1)http://blog.goo.ne.jp/kama_8/e/931b3faf1cd63388051d7a316261aff7同(2)http://blog.goo.ne.jp/kama_8/e/38d37c07021b272ce30f78fd42024e3bで書いた。

その時掲載した画像がこれだ(下)。この区画については不動産業者と自治会役員の間で何度か話し合いは持たれていた。ここは当住宅街の景観のシンボルでもあり誰もが笑顔で散歩するプロムナード沿いの土地である。自治会としては当然ながら、住民協定の順守を業者に訴えた。業者は「努力する」と言ったが・・・そんなわけはない。いつもの通りだ。当初から2分割案の広告をつくり、その広告を手にした土地購入希望客が次々と現地にやって来た。



前回予測したとおりの工事が行われた。道路に面した大谷石の石組みは全部撤去された。枝が見事な巨木も切られた。ここを2分割すれば、土がもっと掘られ、2軒の家のための駐車場と、通路(あるいは門)が出来てそれで目一杯の敷地の長さとなる。石段はなくなり、敷地の一辺が道路からフラットにコンクリートで固められよう。大谷石も生垣も巨木もそこにはないだろう。

住宅地の景観の豊かさは、まずは緑の多さ、そして高低差や道の曲がり具合等の変化でほぼ決まる。それにはある程度の敷地の余裕が必要で、大谷石の石組みがあり、生垣があり、その向こうに背の高い木が見える様子を見て、住民は安心するのである。それを守るため、住民は住民協定を定めたのであり、自主まちづくり計画が存在するわけだ。どちらも住民の合意を経て市役所に届けられている。



敷地のど真ん中に打ち込まれた境界。2分割である。「努力します」などまったく口先だけのことである。2分割した方が、早く、そして合計金額では高く売れるからで、彼らは最初からそのつもりだ。



下の画像は古いものである。今回の工事で、すでに高い桜の木も含めて右半分の景観が吹っ飛んでいる。



自分達の街の協定、自主まちづくり計画には合意し、市役所にも誇らしげに届け出て、自分がこの街に住んでいる間はその恩恵を受ける。しかし自分が街を出る段階で「後は野となれ山となれ」と無配慮に業者に売却する住民。業者が「土地を買い取りたい」と言って来たら、かなりの確率で、その土地はその後分割され売却されると思ってよい。「業者に土地を売る=間接的に自分は協定を破っている」と住民は考えるべきだ。

そして業者はそのことで散々自治会と揉めておきながら、その事実は隠して何も知らない買い手に分割された土地の購入を勧める。重要事項説明も何もあったものではない。買い手も住宅街を歩けばここが住民協定地域であることくらいはわかるはずである。だってあちこちにその「分割は出来ません!」と書いた看板が立っているのだから。

法律的に罰則規定がなければ何をやっても平気、というのは文化的にはただの野蛮である。こうしたことが頻発しているので、先日自治会役員の一部と市役所の関係部署とで会合があった。私は自治会役員ではないが、それに係わっているので参加することになった。



上の画像はその時市役所から配布された資料だ(当住宅地の自主まちづくり計画についてのページ)。市役所からは自治会として何が出来るか、ということについて、とても有意義な話が聞けた。過去の例や市内、市外での動き。住宅街での合意形成の手法。いろいろな情報がもらえた。その話の中で、不見識でただ強欲なだけの業者を相手に市役所の担当部署がどれだけ苦労しているかも垣間見た気がする。なんでも出席してみるものだ。

そしてあれこれ意見交換して、質問もずいぶんさせてもらった。こちらがその気になれば、いろいろと協力してもらえるように見受けられる。



最近住宅街内で、こうした新しい掲示を見た方もおられよう。これは土地を買い取り分割し売却しようという業者、あるいはその土地の一般購入希望者へ向けたものだ。自治会の役員の皆さんは、ボランティアなのに広範囲な問題を抱えて多忙である。この問題でも、ものすごい時間を割いておられる。業者との話し合いもしゅっちゅうである。業者の中には態度が極めて悪く、机を叩いて退出して行く連中もいると言う。

そうした役員の皆さんの時間的、精神的負担を経て、なんとか維持されている環境。それをなんとも思わず、ぶち壊す取引をする住民や業者。



業者が「土地を買い取る」と言ったら、それはほぼ土地分割取引につながるということを、土地を売る人はよく考えて頂きたい。また買う人も同様だ。良心的な業者なら最初から当住宅街の住民協定についてもっときちんと説明するはずだ。私がここの土地を買う時の業者もそうだった。見るからにきちんとした担当者は私に「当社はここでは住民協定違反の分割取引は手掛けないようにしているので、協定基準に照らして適格な土地を選んで買ってくれ」と言った。買い手は、まともな業者とつきあった方が良い。そうでないと、結果として、彼らの協定破りに加担したことになる。

「江戸しぐさ」というものがある。都心の地下鉄で座席に座る時は、体をすぼめて両隣になるべく当たらぬようにする。狭い歩道で雨傘をさしてすれ違う時は、お互いが歩道の両端に遠ざかり傘を歩道の外側に傾ける。別に法律ではないが、これが混みあった場での洗練されたマナーである。それと同じで、密集した当住宅街にこれから新参者として住むことになる人は、普通の人なら、以前から当住宅街に存在したルールやマナーと異なる行動をするのに抵抗があるはずだ。ちゃんと事前にそのルールやマナーについて十分な説明をしてくれるような業者と取引することが必要と思う。住民協定は住民自身が決め、明文化され、市役所にも届けられたルールなのだから。
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする