「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

d'ArenbergのHermit Crab Viognier Marsanneとカキのバター焼き

2008-12-07 14:28:16 | 食べ物・飲み物
本日のランチのお供はオーストラリアの著名ワイナリーd'Arenbergのヴィオニエ + マルサンヌのブレンド(1番目の画像)である。オセアニアワインなら何でもおまかせの強力なディーラー、ヴィレッジ・セラーズの通販で買った(2番目の画像がそこの最新カタログ)ものだ。ここからはもう10年くらい続けて購入しているが、このワインは比較的最近買うようになったものだ。



自分が歳をとり、食べ物の嗜好が変わったのだと思う。以前はオーストラリア産シラーズの濃厚な赤ワインをよく飲んだが、白ワインはあっさりしたシャルドネを冷やしてビールの代わりに飲むような使い方がたまにある程度。ところが最近は肉料理を食べることが減り、赤ワインの消費量が減った。一方魚介類を食べることが多くなり、白ワインの種類をあれこれ真剣に選ぶようになった。

このHermit Crab Viognier Marsanneは、ちょっとばかり重い。そしてまったりした複雑な香りを、飲んだ後の舌の上に残す。このあたりの分野まで来ると、国産のワインは外国産の優れたものにまったく太刀打ち出来ない。生産地の気候や土壌の適性と歴史や経験の違い、さらに言えば飲む側の食文化の違いだろう。それでいてこのボトル、買って家で飲むなら2000円ほどで手に入る。



ワインがこうなると、刺身では味が負けてしまう。シーフードでもちょっとしっかりした味付けの料理が必要になる。今日のランチはカキのバター焼きだ。小麦粉を少しだけつけて塩コショウし、バターで焼いて仕上げる(私は食べただけ、作ったのは妻)。一部にはフレンチ・ハーブ・ミックスがかかっている。レモンを絞って食べ、このワインを飲む。



日曜日ってなんとも気楽で楽しいが、明日は月曜日だと思うと、遊ぶにも食べるにも若干の悲壮感が漂う。しかし先日テレビでウイーン・フィルが演奏していたことを思い出しチャイコフスキーの交響曲第5番のCDをかけたら、最後はワグナーみたいに壮大に聴こえて来て、私の気分もどんどん大きくなってしまった。「この世に悪いことなど何もない!あっても私ならそれと戦える」という気分になるのである。チャイコフスキーの5番は、サラリーマンのやや憂鬱な日曜日に相応しい曲だ。

カキをつまむ。ワインを飲む。カキをつまむ。ワインを飲む。繰り返していると眠くなり、しっかり昼寝した。

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ブレイス代表丸山さんの名言とコンクリートの玄関ポーチ

2008-12-07 04:27:26 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
八ヶ岳の山荘、その近くの私の両親の家、さらに鎌倉七里ガ浜の自宅。この3軒を建ててくれたビルダー集団ブレイスの代表は丸山さんという方である。山荘建築の打ち合わせをしていたある日、丸山さんは私に「施主のすべてが建築資金としてもう少しお金が手に入れば・・・と思っている」と言った。まったくお金がないし、借金も出来ない人。少し貯金はあるが、借金はしたくない人。貯金はないが、借金は出来るので目一杯借金しようとする人。借金なんかしないでも、4000万円までならキャッシュで家を建てられるという余裕のある人。施工業者としての彼が出会う施主の経済状態は様々である。しかし経済的レベルは異なるものの、誰もが皆それなりに「もうちょっとお金があればなぁ」と思っているらしい。

例えば、まったく貯金がない施主は「銀行は800万円しか貸してくれないらしい。あぁ、あと400万、せめて合計1200万円借金出来ればなぁ」と思っているとする。彼あるいは彼女からすれば「キャッシュで4000万円用意出来るリッチな施主に一体何の悩みがあるだろうか」というようなものだろうが、リッチな施主はリッチな施主で「あぁ、あと1500万円キャッシュがあればなぁ」と思っているわけである。以前私はこのブログで「施主は施工業者の信用、経営の継続性を云々し厳しく批評するが、施工業者は数知れぬ施主に会い目は肥えて、もっと厳しい目で施主を見ている」と書いた。上の丸山さんのコメントはそうした経験に裏打ちされたなかなかの名言であると思う。



山荘を建てようとしていた段階での私は「ほとんど貯金なしだが、少しは借金も出来る、しかしながら希望する建物に必要な総額を工面するのは難しい」という状態にあった。最初に丸山さんが作ってくれた、金も無い私の勝手な要望をすべて満たすてんこ盛り豪華プランの見積りを見て、私は「とても払えない」と思ったので、順番にコスト・カットを試みた。「このドアはオーク材を止めて、ヘムロックのにしたらいくら下がる?」「洗面所はタイル張りを止めて、パイン材の床にしたらいくら下がる?」と計算を依頼した。丸山さんは辛抱強くサクサクと計算してくれて答えを出してくれた。

そうした減額修正の試みの中で、私がやったやや非常識なものがコンクリートのままの玄関ポーチである。普通、住宅雑誌でよく紹介されるローコストを謳う家でも、玄関ドアの外側スグの所はタイルあるいは石の乱尺張りにしていることが多い。コンクリートを固めて終わりというのは、あまりに素っ気無く見えるのだろう。しかし山荘において、私はそれをやってみたのだった。

山荘は建築から10年近く経過したが、その小さな玄関ポーチは今も笑ってしまうほど素っ気無い。しかし、ポーチの上には常にカラマツの葉や薪の木屑が一杯落ちていて、コンクリート製の無骨さ味気無さに違和感はない。それ以来それは我が家の「伝統」になった。両親の家も現在の鎌倉七里ガ浜の自宅も、玄関ポーチはコンクリートのままである。この上で荒っぽいことも平気で出来るし、外に向かって家が一定の主張をしているように見える。私はお勧めするが、やや常識はずれであることは否めない。上の画像は自宅のものである。掃除好きな妻が常に塵や落ち葉を完璧に排除するので、そのまま全てがむき出しであり、まだ白っぽく若造な感じだ。



しかしコンクリートも年月を経れば味わいが出る。上の画像のように、一部が流れ、中に入っていた小さな石が露出し、汚れて丸みも増す。やがて自宅のポーチも少しはこれに近づくだろう。外出から自宅に戻った時、私は玄関ポーチを見ていつも丸山さんの名言を思い出すのである。誰もがそれぞれにまったく違うレベルで「もう少しお金があればなぁ」と思っているわけだ。味わい深い言葉である。
コメント (4)
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