「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

収納(2) - 単純なリズム、統一感

2009-05-09 11:17:00 | 内装・インテリア
前回このブログに掲載した画像と同じデザインの扉が、我が家の収納スペースのすべてを覆っている。家の中のデザインが単純なこと。暮らし方にもよるだろうが、家の総床面積の2割近くを収納に割けば、収納以外の場所から雑多なモノは皆消え失せる。最初の画像は階段脇に作った収納の扉。扉の向こうには棚やプラスチック容器やビニール袋があるだけなのだが、それらはすべてゴミ関連用品あるいはゴミそのものである。

燃えるゴミ、燃えないゴミ、ペットボトル、金属、薄い紙、分厚い紙、缶、ビン・・・とゴミのリサイクル率で日本の自治体No.1のポジションにある鎌倉市の分別方法に従っている。市の手を離れた後にどれだけのゴミが最終的にリサイクルされているのか、またリサイクルされているとしても、すべてのゴミを高度な燃焼能力を持つ焼却炉で燃やしてしまう(=何も分別せず、リサイクルもせず一挙に燃やす)ことと較べ、総エネルギー・コスト的に見て、どれだけ見合うことなのかを判断する材料を私は持たないが。



次の画像が玄関脇の収納。手前が犬の収納である。「犬の収納」というからには、この中に犬を閉じ込めておくのである。床面積わずか2平米弱の真っ暗なスペースだ。1日1回、犬をそこから出して餌を与えるだけだが、犬という動物はそれで十分なのである・・・なんて残酷なことは、「犬様」に対して我が家はしない。我が家では「彼」はいつも一番良い場所に陣取っている。「犬の収納」という言葉は適当ではなかった。「犬そのもの以外の犬関連グッズすべての収納」と言うべきだ。そのグッズとは、リード、ウンチ用ビニール袋、散歩用雨合羽、ドッグ・フード(場所を取る)、トリミング用品、獣医さんの診察券、犬のおもちゃ、犬の散歩の時に使うバッグ等を指す。

向こう側は靴の収納である。前回このブログで「我が家では要らないものは捨てる、というスタイルが徹底している」と書いたが、ひとつ例外があることを思い出した。愚妻の靴だけは別である。以前私が「愚妻」と発言したらある方からお叱りを頂いたことがあるので誤解のないように言っておくと、漢文的には「愚妻」は単に「私の妻」という意味である。「愚かしい妻」という意味はない。だから逆に「私の愚妻」という表現はあり得ない。それでは「私の私の妻」という繰り返しになってしまうだけだ。愚弟、愚息も同様だ。話を戻そう。その愚妻が立派な靴をたくさん所有しているのである。私の通勤の革靴より高価なシャレたイタリア製の靴、それもある特定のメーカーの靴を多数秘蔵している。履き心地がどうも良いらしい。



七里ガ浜という場所に住む海洋民族の普通の生活パターンにおいては、イタリア製のヒールの高い高価な革靴が必要とされることはほとんどない。しかも大型犬と一緒の暮らしである。ゴム製ビーチ・サンダルかスニーカーでほとんど通年OKなのだ。愚妻の普段履かない立派な靴の数々はこの収納に入り切らず、写真を撮られ、オリジナルの箱に入れられ、写真を箱に貼って納戸に保管されている。同じメーカーの靴ばかりなので、そのメーカーのロゴがついた同じ箱に入れられると、外からはどの箱にどの靴が入っているのか見わけが付かないのだ。だから靴の写真を撮って、その写真を箱に貼りつけるというなんとも手間のかかることをしている。妻よ、あなたは七里ガ浜のイメルダ夫人か。

「ほとんど使ってないモノは捨てる」というポリシーをかざし、古くヨレヨレとは言え場所を取るわけでもないネクタイを捨てるよう私に迫る妻にしては、彼女は彼女自身のポリシーにまったく合わないことをしているじゃないか!と私は不思議に思うものの、温厚な性格が災いし、私はそうした正当な主張をすることすら躊躇してしまい、何も発言出来ない。



最後の画像(上)は2階居室の収納である。ここも愚妻の収納・・・いや、愚妻をここに収納しているわけではない。この中には、いろいろと彼女のお着物が入っているらしい。いったいいつ、また年に何回着る機会があるのだろうか?・・・などと夫は疑問を持ってはいけない。

話が逸脱してしまったが、我が家の収納の建具はこのような具合である。ヘムロックの材を使った安い輸入材を組み立てた扉であるが、家中同じなので、統一感だけは強い。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする