碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

バレンタイン・デーは「ザ・カハラ」のオリジナルチョコ

2010年02月14日 | 日々雑感

気がつけば、今日14日は、いわゆる「バレンタイン・デー」。

今年は日曜だから、女性陣が会社などで「義理チョコ」を配布する負担も軽減されたんだろうか。

我が家の中学生は、ガールフレンドから手作りチョコを受け取るべく、昼前から勇んで出かけております(笑)。

父親のほうは、毎年、家内から明治や森永の板チョコ(笑)などを拝受するのですが、今回はちょっと豪華。

ハワイのザ・カハラ・ホテル&リゾートのオリジナルで、「マカダミアナッツ・チョコレート3種類セット」 (写真) です。

ハワイ好きとしては大変嬉しい。感謝。

これをバリバリとかじりつつ、原稿の仕事中です。

民放ラジオの「ネット同時送信(放送)」解禁

2010年02月14日 | テレビ・ラジオ・メディア

さあ、面白いことになってきた。

民放ラジオの大手13社が、「ネット同時送信(放送)」を解禁するというのだ。

昨日の『朝日新聞』の記事では・・・


見出し:
民放ラジオ13社、ネット同時送信へ 首都圏・関西

記事本文:
在京、在阪の大手民放ラジオ局13社が3月から、ラジオ番組をインターネットに同時に送信する新サービスに乗り出す。電波で流れている放送がCMもふくめて同時刻にパソコンで聴けるようになる。ラジオ離れが進むなか、放送と通信の融合が本格化した。

同時送信を始めるのは、在京のTBSラジオ▽文化放送▽ニッポン放送▽ラジオNIKKEI▽InterFM▽TOKYO FM▽J―WAVEと、在阪の朝日放送▽毎日放送▽ラジオ大阪▽FM COCOLO▽FM802▽FM OSAKAの計13局。昨年12月に「IPサイマルラジオ協議会」を共同で設立し、準備を進めてきた。

協議会によると、専用のホームページ「RADIKO」を開設。パソコンで放送局を選べば、特別なソフトがなくても無料で音声を聴くことができる。著作権について関係団体と調整し、原則としてすべての番組を放送と同時に流す。

地方局に配慮して、当面は聴ける地域を制限するとしている。在京局は首都圏の1都3県、在阪局は関西の2府2県のパソコンからしか聴けないような仕組みを工夫するという。3月から試験的にサービスをはじめ、9月に本格稼働する予定だ。

独自番組を配信するインターネットラジオとは異なり、電波と全く同じ内容の番組が聴ける。地域密着型のコミュニティーFMでは多くの局がネットでの同時送信を始めているが、大手ラジオ局が試みるのは初めてだ。

背景には、ネットや携帯電話におされてラジオを聴く人が減ったことや、高層ビルが多い都市部で電波の状態が悪化していること、広告収入の落ち込みが激しいことがある。電通の調べでは、2000年に2071億円だったラジオの広告費は、08年には1549億円にまで落ち込んでいる。

各局は、ネットへの同時送信で新たな聴取者を掘り起こし、広告媒体としてのラジオの価値を高め、収益増につなげたい考えだ。欧米では同様の試みがすでに始まっており、聴取者が増えているという。
(朝日新聞 2010.02.13)


・・・地上波と同じ放送内容を、インターネットでもサイマル(同時)送信。CMもそのまま流れる。

これって、かなり衝撃的なことなのだ。

ラジオにおける、「放送と通信の融合」が本格的に“形になった”のだから。

放送の「ネット解禁」といってもいい。

果たして、これがラジオの浮揚や再生につながるのか。

そして、この先に、テレビの「解禁」はあり得るのか。

とにかく、“山が動いた(動き出した)”ことは事実だ。

バンクーバー五輪開会式、そして長野

2010年02月14日 | テレビ・ラジオ・メディア

バンクーバー五輪の開会式を見た。

まず全体が、過剰に華美だったりしなかったことに好感が持てた。

“ラスベガスのショー”的なものや、全体主義的“マスゲーム”の類もなかった。

何しろ、個人的には、楽曲で一番印象に残ったのが「青春の光と影」だ。懐かしい(笑)。

そしてカナダという自分たちの国への愛情というか、誇りというか、そんな気持ちに溢れていた。もちろん、先住民への敬意も。

詩の朗読や、W.O. Mitchellの「Who Has Seen the Wind(誰が風を見たか)」も含めて、徹底的にカナダにこだわっているところが良かった。

また、屋内会場ということもあり、照明と映像を使った自在な演出が見事だった。

鯨も、海も、飛び立つ鳩だって現出させることができる。


つい先日、98年に開催された長野オリンピックの開会式にまつわる原稿を書いたばかりだ。

フジテレビ調査部が発行している専門誌『AURA(アウラ)』の、今月末に出る最新号の特集が、「スポーツこそがテレビ的コンテンツ」なのである。

そこに、「オリンピックを“映し出す”ということ」と題した文章を寄せている。

軸になっているのは、長野オリンピック「開閉会式制作プロジェクト」に、約3年間携わっていた体験だ。

総合プロデューサーだった劇団四季の浅利慶太さんと共に、シニアプロデューサーとしてプロジェクトを推進した萩元晴彦さんの仕事と、“映像としてのオリンピック”を重ねながらの論考である。

当初、浅利さんは照明を生かした演出を考えていた。

だが、実際には、長野の開会式会場は屋外スタジアムで、しかも午前11時開始。

光の演出には限界があったのだ。

もしも、バンクーバーのような会場設定だったら、長野での浅利演出はどんなふうだったんだろう。

開会式の中継を眺めながら、ふと、そんなことを考えていた。