久しぶりで聞く書名だった。
毛沢東の『矛盾論』である。
この著作のことが飛び出したのは、先日行われた石原慎太郎東京都知事による「辞任表明」の記者会見だ。
石原さん、いわく。
「私は共産主義が嫌いでして、国父とされている毛沢東が書いた方法論『矛盾論』『践論論』がある。私も学生のころ見ました。テキストがありまして、特に矛盾論。目の前にあるやっかいな問題ということだが、矛盾を解決するためには、目の前の背後にあるもっと大きな問題を解決しなければならないと言っている。まさにその通りだ」
(2012.10.25 産経新聞)
石原さんは、「都知事の仕事を途中で放り出して、国政に行くのか」という批判にこたえる形で、この「矛盾論」を引っ張ってきたらしい。
ほう、「矛盾論」にそんな部分があったのか、と思って書棚を探した。
中央公論社版『世界の名著64 孫文・毛沢東』を取り出す。
この本のページを開くのは本当に久しぶりだ。
それこそ、この本を大学の生協で購入して読んだのは、中国現代史を専攻しようとしていた1年生の頃だから。
で、該当すると思える箇所を発見。
毛沢東、いわく。
「どんな過程でも、多くの矛盾が存在するばあいには、かならずそのうち一つが主要なものであって、指導的、決定的な働きをし、そのほかは、副次的、従属的な地位にある。したがって、どんな過程を研究するにしても、二つ以上の矛盾が存在する複雑な過程であるならば、全力をあげて、その主要な矛盾をさがしださなければならない。主要な矛盾をつかむならば、問題はすべて、たちどころに解決される」
なるほど。
しかし、これと石原流解釈を比べると、少し意味合いが違うような気もするが(笑)、まあ、大目に見るとして。
実は、このあと、毛沢東は続けてこうも言っているのだ。
「しかし、こうした状況は、固定したものではなく、矛盾の主要な側面と主要でない側面とは、たがいに転化しあうのであって、事物の性質も、それにともなって変化を起こす」
つまり、情勢の推移によって、主要な矛盾とそうでないものとが、入れ替わったりもするというのだ(笑)。
多分、石原さんは、今後何らかの方向転換をする際にも、また「矛盾論」を持ち出して(好きなように援用して)、ご自身の行動を正当化するんじゃないだろうか。
ま、いいですけど(笑)。