旦那が以前から行きたかった修学院離宮。
宮内庁管轄地なのでネットから申し込んで、リターンのバーコードの入った証明書と本人確認証を持参して当日9時に門の前に着く。
そこでチェックされて、中の休所へ。
10人程度の人数で説明を受けながら見学。
そもそも修学院離宮とは江戸時代初めに後水尾上皇が山荘して建物を建てるために上皇の第一皇女梅宮が得度し草案を結んでいた円照寺を移築し、そこに上、下の茶屋を造営されたそうだ。途中で第八皇女光子内親王と東福門院(上皇の皇后、徳川秀忠の娘)の建物を移築したのが中離宮である。
下離宮へ入る門
下離宮
寿月宮
虎渓山笑の絵
欄間も凝っている。
杉戸絵 夕顔 作者不明
お庭、小さな滝の上の石は富士山に観たてたそうだ。
次の門を抜けると
中離宮と上離宮の間に広大な農地が広がっている。その間に走る馬車道
ここを明治天皇が訪れた時には場所でお走りになったようだ。
棚田や畑も広大にあった。貸農地にして近所の人が耕しているらしい。農作物はその方たちの物になるそうだ。
中離宮へ
蔵
ここは楽只軒、光子内親王の居室。
内部は女性らしい内装になっている。
祇園祭りの鉾を描いた杉戸、可能敦信作
杉戸の鯉は作者不詳。100年後に絵の鯉が池に逃げ出すのでそのために網を描いたのは円山応挙。本当かな?
途中でわざと網が破れたように描いてあるそうだ。
お庭
後に御所から移築された部分
ここからまた田地へ戻って、階段を上り丘の上になっている上離宮へ
たどり着いたのは隣雲亭ここで休憩。結構質素な建物である。
縁側のたたきには漆喰に小石を一つ、二つ、三つと埋め込んである。「一二三石」
眼下には京都の街並みが見渡せる。
前の浴龍池
池に浮かぶ窮邃亭。ここで上皇はいつも夕日を眺めてはったそうだ。
わざと空を遮った窓。
きっと心休まる眺めだったろう。
そこへ行くまでに千歳橋
てっぺんの鳳凰は御所の方を向いているそうだ。
池で舟遊びにも興じた。
滝もある
ここまで1時間15分くらい。無料。
上り下りがあるのでヒールとかは大変だし、日向を歩くことが多いので真夏もちと辛い。
曇り空で蒸し暑かったけど良かった。
という感じで建物は思ったより質素でフランスのプチトリアノンのような雰囲気だった。
この日は下関の骨董屋で買った黒地に青の紋様の紗着物を初めてきたのですがランチと着物姿は次回。
宮内庁管轄地なのでネットから申し込んで、リターンのバーコードの入った証明書と本人確認証を持参して当日9時に門の前に着く。
そこでチェックされて、中の休所へ。
10人程度の人数で説明を受けながら見学。
そもそも修学院離宮とは江戸時代初めに後水尾上皇が山荘して建物を建てるために上皇の第一皇女梅宮が得度し草案を結んでいた円照寺を移築し、そこに上、下の茶屋を造営されたそうだ。途中で第八皇女光子内親王と東福門院(上皇の皇后、徳川秀忠の娘)の建物を移築したのが中離宮である。
下離宮へ入る門
下離宮
寿月宮
虎渓山笑の絵
欄間も凝っている。
杉戸絵 夕顔 作者不明
お庭、小さな滝の上の石は富士山に観たてたそうだ。
次の門を抜けると
中離宮と上離宮の間に広大な農地が広がっている。その間に走る馬車道
ここを明治天皇が訪れた時には場所でお走りになったようだ。
棚田や畑も広大にあった。貸農地にして近所の人が耕しているらしい。農作物はその方たちの物になるそうだ。
中離宮へ
蔵
ここは楽只軒、光子内親王の居室。
内部は女性らしい内装になっている。
祇園祭りの鉾を描いた杉戸、可能敦信作
杉戸の鯉は作者不詳。100年後に絵の鯉が池に逃げ出すのでそのために網を描いたのは円山応挙。本当かな?
途中でわざと網が破れたように描いてあるそうだ。
お庭
後に御所から移築された部分
ここからまた田地へ戻って、階段を上り丘の上になっている上離宮へ
たどり着いたのは隣雲亭ここで休憩。結構質素な建物である。
縁側のたたきには漆喰に小石を一つ、二つ、三つと埋め込んである。「一二三石」
眼下には京都の街並みが見渡せる。
前の浴龍池
池に浮かぶ窮邃亭。ここで上皇はいつも夕日を眺めてはったそうだ。
わざと空を遮った窓。
きっと心休まる眺めだったろう。
そこへ行くまでに千歳橋
てっぺんの鳳凰は御所の方を向いているそうだ。
池で舟遊びにも興じた。
滝もある
ここまで1時間15分くらい。無料。
上り下りがあるのでヒールとかは大変だし、日向を歩くことが多いので真夏もちと辛い。
曇り空で蒸し暑かったけど良かった。
という感じで建物は思ったより質素でフランスのプチトリアノンのような雰囲気だった。
この日は下関の骨董屋で買った黒地に青の紋様の紗着物を初めてきたのですがランチと着物姿は次回。