震災の日以降、テレビの様相がすっかり変わりました。
震災から数日は「AC(旧:公共広告機構)」のCMばかりが続けて放送される様になりました。
あまり詳しいわけではないですが、地震で企業がCMを自粛する中で、そのCMの枠をACが使っているのだそうです。
ACのホームページには「広告を通じてさまざまな提言を発信し、住みよい市民社会の実現をめざす民間の団体です。」とあります。
なるほど、ACの広告は企業のCMと違った示唆に満ちていて、時々、ふ~~んと思ったりもします。
CMの中で使われたり朗読されたりしている詩の本に問合せが相次いでいるのも、それなりに共感を受ける人があるのだろうと思います。
また、一方で同じCMばかりで不愉快だとか耳障りだといった苦情が多く寄せられ、大急ぎでCMの種類を増やしたと聞きます。
確かに「ぽぽぽぽ~~ん」を年中聞いていると、どういうモノだろうと思う事はあるのですが、それなりの役目を負っているCMでもあり、一方的に不愉快だとしてテレビ局にクレームを入れるのもどういったものかと思います。あるいはTV局とか新聞とか自分から距離の遠い公共性と云うのはクレームが入りやすいのかもしれません。
先日、きはだやのお客様から手紙をいただきました。震災後に関するそれなりに長い手紙でしたが、
「スーパーにはすっかりモノが無くなりましたが、食べる物が無い訳ではなくて、食べたいモノがない程度です。戦争の時には本当にモノがなかったのです。云々」
僕も子供の頃に食べ物で好き嫌いをすると父親に「戦争の頃は食べるものも無かった。我がままを言うな」と言われました。
「頑張ろう」みたいな言葉が大きく聞こえてきます。能動的でいい言葉です。この言葉に人が集い大きな力になるのだと思います。他方、戦争と震災を一律に比べる事自体ができませんが、社会の大きな出来事や事物の欠落の中で、十分ではない事を甘受する事もまた必要であるかもしれないと思うのです。