染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
皆様の気軽なコメントをお待ちしています。

横綱 稀勢の里

2017年01月25日 | 店主の一日
久しぶりの日本人横綱が誕生です。

14勝1敗も数字で言えば立派な数字です。
これはこれで喜ばしいと思うのですが、いかんせん初場所の全体像が気になるとこです。
横綱は三人いますが稀勢の里と当たる前に東西の上位横綱が休場。しかも金星連発で進呈。
もう少し横綱のハードルが高くないといかんのかなあと思います。
しかも二大関が大きく負け越し。
横綱三人、大関四人、関脇二人、小結二人の星を数えたら78勝64敗休場23とほぼ「くんろく」
とても相撲全体の内容が誉められた内容ではないなあと。

その昔は初代の貴乃花が後年「くんろく大関」なんて揶揄された時期がありましたが、上位みんながそれではどうかと思います。
千秋楽の談話で横審委員長が「白鵬に勝ったのが大きい」と言っていましたが、14日目に優勝を決めた時点ですでに横綱の話がでているのもちょっと性急であったなあと。
まあ、何にせよ白鵬に勝っての優勝で随分、遅い横綱だそうですが、安定感のある相撲を見せて欲しいものです。

今回は天覧相撲の際に歌手の研ナオコさんが土俵下にいるのが目立ったのもたのしかったです。
他方、やたらと座布団が飛ぶ〜まあ、あれだけ上位者が負ければそれもそうか〜のもなんとなく気になるし、千秋楽の稀勢の里コールと拍手もなんだか随分、行儀の悪い感じです。

次は春場所強い上位陣を見たいものです。
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初場所千秋楽

2017年01月17日 | 店主の一日
大相撲初場所も千秋楽です。
大関稀勢の里の横綱昇進をほぼ手中に収めての優勝です。
久しぶりの日本人横綱です。
それはそれで、喜ばしいのですが、横綱は二人休場するし、角番大関は負け越すし、三役も負けすぎです。
一人残った横綱白鵬ですら、11勝4敗です。
ʅ(◞‿◟)ʃ
個人的には相撲はあまり荒れないで、上位が常に強い方が面白い気がします。
アナウンサーも昔に比べると、盛り上げるというか、煽るというか。
今日は表彰式では稀勢の里コールが出てましたが、どうも国技館向きではないように思えます。
ちょっと相撲も傾向が変わってきました。
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薄型テレビ

2017年01月17日 | 店主の一日
テレビはもうみんな薄型になってしまったので、今更「薄型テレビ」なんて言う必要はない。
では薄型になってどれだけよかったといわれてもピンときません。
確かに持ち運びにはよくなりましたね。ブラウン管よりずっと軽い。
置く場所を取らないのは利点なのですが、どこの家に行ってもテレビは角っこに置いてあるので、薄くなった分、後ろに隙間ができてしまい、コードも増えたので、年末の掃除が大変な感じです。

他方、テレビが薄くなった、上に物を載せる事が出来なくなりました。「ちんころ」あたりはテレビの上辺りが定位置だったのですが、すっかり行き場がなくなってしまいました。
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一夜三尺、一日五尺

2017年01月16日 | 店主の一日
「一夜三尺、一日五尺」
江戸時代に鈴木牧之が雪国の生活を書いて出版し、ベストセラーとなった「北越雪譜」にある文章です。
当時の江戸の住民は雪深い越後の風土を知り、驚きもし、半信半疑であったそうです。


ついこの寒波が来るまでは積雪0センチと昨年以上の小雪の予感でしたが、この大寒波の間、雪は降り続き。
ほんの数日で1.5mほどになりました。
きはだや裏の駐車場は膝までの雪で全くつかえず、市内も全く除雪が追いつかない様子です。
久しぶりの大雪です。
まさに北越雪譜を地でいくような天気でした。


お客様からのお見舞いのお電話をたくさんいただきました。

「僅か、三、四日で1.5mの積雪になりました」

「ウソ〜〜」

今も江戸時代と変わらないリアクションです。

雪が降ると恒例の行事もあります。
松之山の奇祭「婿投げ」は無事に行われました。
よかったですね。

この寒波前の積雪で投げられたら死んでしまいます。

ようやく今日は一息つきました。
やれやれ。
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壇蜜日記2

2017年01月15日 | 店主の一日
壇蜜日記2 読了。
そういえば「壇蜜日記1」を買ったのは着物サローネを見に行った時の日本橋タロー書房。
レジに行く時に同じく着物サローネを見にきた同郷の方に見つかり「関口さん、何、買ってんですか〜」と言われたのを思い出した。

大丈夫、この本、文字ばっかりですから。

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壇蜜日記2

2017年01月14日 | 店主の一日
壇蜜日記2 読了。
そういえば「壇蜜日記1」を買ったのは着物サローネを見に行った時の日本橋タロー書房。
レジに行く時に同じく着物サローネを見にきた同郷の方に見つかり「関口さん、何、買ってんですか〜」と言われたのを思い出した。

大丈夫、この本、文字ばっかりですから。
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小説「むろまち」

2017年01月12日 | 店主の一日
昭和47年刊なので、これも随分と古い本です。
京都の問屋街、俗に言う「むろまち」を題材とした小説。


丁稚に出た主人公が直向きな努力で商いの才覚を発揮し、身を立て、独立、発展させる一代記。
今もある京都むろまちの「市原亀之助商店」がモデルの様です。

登場人物のほぼ全員が「どすえ」と話すところがなんだか京都っぽいのですが、ほんまかいなって気もします。
商人としての努力で、奉公先から独立して作った店まで、戦中の統制期の危機を除くと一本調子で会社は発展し、主人公が金策に走るところは見られない。その辺りは全体分量の問題か。
丁稚奉公から始まる勤務内容は、今流行りのブラック企業ですら顔面蒼白。しかしながら、「働く」ということは本質的にはこういうことなのではないだろうか思う節もある。

中でも今際の際にある養母を案じて大島へ仕入れに行くのを躊躇する主人公に「男の心を慰めるのは酒でも女でも賭け事でもない、事業や」と言い切るところが圧巻。
戦後の復興期の労基署と主人公とのやり取りはなかなか牧歌的で面白い。
いずれにしても今の若い人には理解し難い「おしん:むろまち商人版」と言ったところ。

宮本輝の「流転の海」を思い出させなくもないのですが、芥川賞作家がライフワークとしながら書く大作に比べると、ちょっと小ぶり。(笑)


この本に描かれているむろまちは日本一の問屋街として発展するのですが、バブルで大きな痛手を受け、数多の名門、老舗が斃れ今は跡地にマンションが建ち並びすっかりすっかり景色が変わりました。
僕が京都にいた当時が「むろまち」の形が残る最後の頃であった様に思います。
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寒波くる。

2017年01月11日 | 店主の一日
ここまで小雪で市内はほぼ積雪0でしたが、昨日、夜半から雪になりました。
遠くが見えない程の雪です。
随分、楽をしましたが十日町に住む以上は仕方ないかと諦めます。
今週末まで雪と思うと結構と積もるかもですね。
やれやれ。。
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大学ラグビーを見てみた。

2017年01月09日 | 店主の一日
ラグビーを見ています。
ラグビーって不思議なスポーツです。
そもそもボールが丸くない。
蹴るにも投げるにも受けるにも全く不向きです。
しかも前に投げてはいけないので、選手がボールを持って走っている割にはちっとも前に進みません。
制約だらけでする不思議な競技です。しかも生身の身体でぶつかって痛そうだし。(笑)

前半の東海大のスクラムトライは圧巻でした。
フォワードの圧倒的強さを見たら東海大が強いかと思ったのですが、バックスの速さとパスの巧みさでは帝京大に分がありました。

ゲームを決めたのはゴールにパントをかけたところで、帝京にトライが入ったとこでしょうか。〜個人的には東海大が先に押さえたように見えましたが。
あれで突き放されて勝負があったように見えました。

最後、10分の東海大の攻撃も素晴らしかったです。
ロスタイムに入ってからの帝京ゴール前のスクラムもすごかった。東海大の押しに耐えきれずに帝京ゴールにのスクラムめくれ上がるように崩れていくのは見応えがありました。



秩父宮ラグビー場もよいですね。
スタンドからフィールドが近いので面白いです。
学生の頃、よく見に行きました。

最近はテレビカメラがよくなっので、密集状態でもボールがどこにあるのかよく見えます。
テレビでも楽しめました。
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「縞」と「唐棧」

2017年01月08日 | 店主の一日
今年はもう一度、織っている
縞について考えようかと思っています。

「唐棧」については発生期限は未開のものがありますが、日本に来て以降はほぼほぼ定説が固まっていて、中々新しい話が出てこないように思います。
それなら定説がどのあたりからあるのだろうと紐解いてみたのが、辻合喜代太郎著の「縞」




昭和41年の本なので、僕が生まれるよりも前の本。
もう50年前の本になります。

「間道」と「縞」が別のカテゴリーで、且つ「縞」は「島」に由来する経緯が語られます。
最近書かれた本が相手だと「島」に由来することは書かれていますが、「どう由来するのか?」については記述がしっかりしないものもあります。
尤も、この本も「出典」が記されていないので、確認のしようがありません。
かといって、学者先生が調べて書いたものを改めて調べ直すのは僕のり領域ではないので、そのままにしておきます。
他方、「唐棧は江戸時代に将軍が袴として履いたので奥島と呼ばれる」と記述がありますが、最近は奥島の由来についてそこを肯定しないものも見受けられます。
同じテーマでも時代を経ることにすこずつ主張が異なるのは面白いものです。
また昭和40年当時にどれだけ織物産地があったのかは記述がありませんが、相当に小さな地域(それは産地とは呼べない程度の)までもが
細かく記されているのは興味深いです。
何故かここには新潟県の地名は一つもありません。不思議なことです。綿産地が中心とは言え、紬産地も長井、上田と連ねています。
当然、十日町、小千谷、塩沢の名前が出てきてもいいのですが、どういった観点で編んだのかがわからなくなってしまいます。
いくつかの本を読み比べると「縞」がいかに民間で長い時間を多くの手を経て作られてきたかを感じます。
今年は少し糸使いを変えながらの絹唐棧に向かおうかと。




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