染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
皆様の気軽なコメントをお待ちしています。

500円玉貯金。

2015年01月31日 | 店主の一日
先日、知人で500円玉貯金をしている人が、缶ががいっぱいになったので、約100万円貯まったと話してくれました。
実に羨ましいことで、100万円貯まったのはモチロンですが、500円玉を貯金箱に入れてロックできる生活を羨んでしまいます。
500円玉って貯金箱に入れるものではなく、日々の生活で十分に活躍する高額貨幣です。

さて、僕は日々のポケットの小銭から1円玉貯金をしています。
貯金箱に入れるのは1円玉と5円玉。だいたい、新年前後一ヶ月でいっぱいになります。

今年は1月の中頃にいっぱいになり、箱の底の蓋を外しました。
仮に小額でもたくさん出てくるのでなんとなくテンションが上がります。
数えるのも面倒なので、出来高で通帳に積んでもらおうと思い、銀行に持って行きました。

すると、硬貨を計算する機械に入れて「硬貨500枚以上は216円の手数量がかかる」と言います。
あっても1000円くらいですから、そこで216円も取られてはたまりません。
取り敢えず、500円だけ貯金して、残りは現金で出してもらいい、翌日以降に入金に来ることにしました。
すると出てきた現金はきれいに50枚に巻かれた5円玉棒と10円玉数枚とと100円玉数枚。
しっかり両替もされています。
どっちにしても、こんな手間をかけるのだからそのまま入金してくれたらよさそうなものですが、銀行さんというのはそうはいかないようです。
合計金額は1000円にちょっと出た程度のものでした。
早く、500円玉で貯金できるようになりたいものです。
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鳥追い→ほんやら洞→塞の神

2015年01月14日 | 店主の一日
今日は14日。
小正月です。十日町ではこの日はこの日なりに様々な行事があります。
身近なのは「鳥追い」と「ほんやら洞」です。
「鳥追い」→「ほんやら洞」→「塞の神」は一連の行事になります。
「鳥追い」の唄を謡いながら近所を練り歩き、「ほんやら洞」でお餅を焼いたりして過ごし、翌日の「塞の神」で昨年使ったお札や書き初めの神を焼いて一年の健康を願います。
元々、1月15日は成人の日で休みだったのでこれらの行事が行われていたのですが、ハッピーマンデー法(この呼び方も恥ずかしいですね)で1月15日が休日でなくなったため、これらの行事も日程が動いたり、中止したりと壊滅寸前です。
十日町では独特の「鳥追いの唄」がありこの拍子が実にユニークです。僕はこの唄が好きで、なんだかご機嫌になってしまいます。
「ほんやら洞」は雪でつくる「かまくら」のようなもので~横手で作るかまくらとは随分違います~その中でゲームをしたり、お菓子を食べたりしました。これも昔の子供にとっては他愛もないとは云え、結構な楽しみでした。
京都に住んだ時に出町柳辺りに「ほんやら洞」という店があり、脚を運んだ事があります。つげ義春の漫画に由来するようですが、そのルーツは十日町辺りの「ほんやら洞」のようです。
翌日の塞の神では書き初めの紙やお札やしめ縄を焼いてその火でスルメなんかを焼きます。
今後も残って欲しいイベントです。


ちょっと弱気な発言ですが。
町内でここのところ、14日にほんやら洞を作っていたのですが、今年はここの至るまでの大雪で中止になりました。
実際、作って遊ぶと思うと実は結構と大変だったりします。
あはは。

松之山では奇祭「婿なげ」と「炭塗り」があります。
今年は雪が多いので婿投げも相当に思い切ってできるのではないかと。
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もう一つの建物~歌舞伎座

2015年01月12日 | 店主の一日
ふと考えると、東京中央郵便局と同じ道を辿った建物が都内にはまだあります。
銀座にある「歌舞伎座」です。


松竹からしたら興行に左右される現在の歌舞伎座よりも安定した賃貸収入をもたらすオフィスビルの方が多分、いいに決まっています。
こっちの方は郵便局ほどの反対騒ぎがあった記憶はないのですが、きはだやのお客様には今の歌舞伎座を嘆く人も少なくありません。
~これまた内部の構造には全く明るくないのですが~
「二階のどこそこには変な場所に柱があって、ちょっと見えにくかった」
「階段を上がっていくのが高揚感を伴って楽しかった」

バリアフリーもどこから見ても見え易い劇場に文句を言う人はいないのかもしれませんが、全てがオールオッケーみたいなのも何だか物足りない気がします。
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東京中央郵便局考。 新しい建物は古い建物を越えるのか?

2015年01月12日 | 店主の一日
丸の内に来ると、どんどんと建物が高くなって行く事に驚きます。
丸ビルを建替えたのを筆頭に周辺にあるビルが次々高くなり、今も所々に「再開発」を予定する看板が見えます。
最開発の中、唯一元の形を維持したのが東京駅です。
そしてもう一つが東京駅に並んで建つ「東京中央郵便局」です。
しかしながらこの建物も維持してあるのは正面だけで、正面と一体化する形で背後に38階のビルが建っています。


僕は建築には全くの門外漢なのですが、旧東京中央郵便局はドイツ人建築家のブルーノ・タウトが絶賛したとされる構造、デザインで再開発で解体の際には当時の所轄大臣を巻き込んでの大騒ぎになった経緯があります。
文化的価値の高い建物の解体に学界をはじめ多くの反対がありましたが、民営化され家賃収入を目論んだ日本郵政株式会社は躯体を残し外観を再生する恰好で現在の形での再開発となりました。
東京駅から徒歩一分の超一等地を文化的価値を優先して5層の建物を維持しろと言われても、民間会社としたら中々大変なことです。

~でもよくよく考えたら、元々税金なんだから、どうなんだって気もしますが~


丸の内に来るとすっかり高くなった周辺のガラス張りのビルに対してタイル張りで中央に時計を構える建物は実に堂々としています。
それだけにその背後に聳えるJPタワーはなんとなく違和感を感じます。
でも、多分今の東京中央郵便局は外観をそのままにして熱効率や照明は現在の技術を集めたハイテクなものになっているのでしょう。
勿論、コンクリート等の素材の質も昔よりもずっとよくなっているのだと思います。
そうすると残す価値のあるべきものは外観のデザインのみと云う事になりそうな気がします。
あるいは正面のデザインのみが残っているだけのものを残す必要があるのかとも思います。
僕は「もう作る事ができない」「もう作ろうとしても材料が手に入らない」といったものにこそ残す価値がるのだと思っていましたが、
郵便局を考えるに於いては違うのかもしれません。
その辺りが素人と学者の違いであるのかもしれません。

中越地震の時に十日町は大きな被害がでました。その際に土蔵が大きく損傷して解体を余儀なくされました。
壁を壊していた時に見たのは、格子状にした縄を梁に渡して、そこに何層にも土を重ね作ってある壁でした。
今の様に柱にパネルを打ち付ければ出来上がるようなものでは全くありません。
もうこの壁を再現する事はできないであろうと云う感慨と、同時に周辺にあるもので耐火性のある建物を作って行く先人の手間と知恵に驚きました。
今、土蔵の様な耐火性のある物置を作ろうとしたら鉄筋コンクリートに除湿器でも入れたらいいと云う話になるのかもしれませんが、それと土蔵の持つ存在感とは随分、違う気がします。
失われて行くものへのノスタルジアと云えばそれまでですが、失われた後にそのイメージだけ残した中央郵便局は矢張り惜しかったように思うのです。
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ハガキを書く。

2015年01月08日 | 店主の一日
昨日は昔勤めていた会社の先輩と食事をしながらいっぱい飲みました。
さしあたりと礼状を書いたのですが、なるほど、ハガキと云うのは挨拶と簡単なお礼しか書くスペースがないものなのだなぁと、改めて感じる。
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謹賀新年  おめでとうをまき散らす。

2015年01月01日 | 店主の一日
新年あけましておめでとうございます。
昨年はきはだやをご愛顧いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

十日町は雪の多い新年になりました。
大晦日も19時頃までは雪も随分融けて、いい塩梅と思っていたのですが、深夜にお詣りに行く時には
すっかり雪が積もっていてびっくりでした。
予報ってすごいですね。

僕はだいたい0時頃に家を出て、お寺に行き、除夜の鐘つきに加わり、0時半頃からのお堂での大般若を聞きます。
お寺が0時45分くらいに終わって、山の上の神社に。
山の上に着くのが1時近いので、初詣はもう終盤です。
その後、きはだやの神棚をお詣りして帰宅。
これがしばらく続いています。

お寺は父親と一緒に行きます。
面白い事に?父親は、すれ違う人すべて、誰彼なく「おめでとうございます」と云っていきます。
20歳くらいの小僧っ子もいれば僕くらいの親子連れもいます。
尚且つ、知人には何かしら、やあ、やあとか話をします。

知らない人から「おめでとうございます」と云われた若者はどうするかと云うと。
やっぱり「おめでとうございます」と返してくれます。
すれ違ってから「あの人、知り合い?」とかそんな野暮な事はいいません。
余計に元気よく話をしたり、「いや~~、年が明けたねえ」とか歩いていきます。

でも十日町くらいだと家からお寺に行くまでにすれ違うひとなんか10組くらいのものです。

東京だと人か多くてそうは行きませんが、ほどよい人数です。
そしてみんな「おめでとう」が共有されていきます。

「程よく知らない人と遭う、小さなコミュニティ」も「おめでとう」を誰彼なくまき散らす父親もなかなかいいものです。
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