帰りの新幹線なんか寒いくらい。
冷房の空気が嫌いな事もあって、きはだやではあまりエアコンをかけないのですが、こんなに世の中が涼しいなら、ドライくらいにしてもいいんじゃないかと思います。
苺をいただきました。
市場でイチゴの相場が最も高いのは12月のクリスマス前だそうです。冬の間中もハウスのイチゴが手に入りますし、イチゴ狩りもハウスの中です。一年中見かけるイチゴですが、十日町辺りで露地物の苺が出るのはちょうど、この梅雨のころでしょうか?近所の玄関にもプランターに植えた苺がなっています。
子供の頃は土市や水沢の辺りから苺売りのおばさんがきてました。リヤカーに苺を載せてきていた気がしますが、今になってその道のりを考えるとそれなりに大変そうなので、もしかしたら車だったのかも知れません。今ほどプラスチックのパックが普及していなかったので、ボール箱にシダのようなものを敷いた上に真っ赤な苺が載せて売っていた気がします。苺は虫も着くし、鳥も来るので大変ですよね。苗の下に敷き藁をして育ててやるのだと思いますが、昨今では藁も中々手に入り難い状況のようです。
今のスーパーでは様々な果物が手に入るので~もうブドウだって売ってる~クリスマスから店頭にあるイチゴにはあまり強い関心が行きませんが、こうして露地物の苺を食べるととても酸味が強く味が濃い感じで、ハウスのイチゴとは一味違います。種と云うか、あのボツボツも堅くてしっかりした感じです。そんな露地物の苺は今頃の蒸し暑さにとても似つかわしいように思います。それに、なんだかこの季節に採れる苺は「イチゴ」よりも「苺」の字面のほうが似合うように思いませんか?
今年はいろいろなところでリバティの生地をを見かけます。エッセイストだかスタイリストが企画したリバティーのブラウスが売れているとか聞きました。
イギリスのリバティー社は 元々は百貨店ですが、同社の作る花柄のプリント生地が人気です。
先日の出張の時に、銀座松屋の前を通ったら入口の柱にリバティーの生地をあしらったディスプレイがありました。紺地のものを集めて涼しげな感じです。
銀座線から松屋に通じる地下道にもリバティーを使った松屋さんのディスプレイウィンドウがあります。これもまた涼感があります。
今日、新潟県が梅雨入りだそうです。各地で例年より早い梅雨入りでしたが、新潟は四日、遅いそう。
僕が実際にネットのニュースで見たのは「北陸地方(富山、石川、福井の三県に新潟県を含む)が梅雨入り」という見出しです。
新潟県って実に区分けの難しい位置です。なんでも気象庁の区分けでは新潟は北陸に入る感じのようです。多分、日本海に面しているからでしょう。
他には「関東甲信越」なんてくくりもあります。NHKの「関東甲信越小さなた旅」には当然新潟県が含まれますし、「甲信越」って語呂も馴染み深いものです。
電気は東北電力の管轄です。学校では「新潟県は中部地方です」みたいな教え方をされました。携帯電話も長らく仙台の管轄でしたね。
童話に都合良く鳥の仲間になったり、動物の仲間になったりするコウモリの話がありますが、新潟県は意思というよりいろんな都合であっちに行ったりこっちに行ったりです。
十日町に至ってはもっとややこしくて,十日町を通る飯山線は最近迄JR長野支社(現在は新潟支社)の管轄で、郵便局も信越郵政局の中です。
以前に幕末に佐幕で徹底抗戦した藩は廃藩置県の際に県庁にしてもらえず(長岡、会津、米沢)、県名にも残らなかったと聞いた事がありますが、そんな歴史を引きずっているのかもしれません。
今日は6月10日。十日町大火の日です。明治33年6月10日深夜に現在の本町一丁目辺りにあった機業から起きた火事は市内のほとんどを焼いたそうです。現在はモータリゼーションの発達で十日町も随分、広くなりましたが、当時の十日町は今の中心部くらいの場所で1000戸程。その8割近くを消失したようです。なんでも出火元は前述の六郎いんの日に機を織っていたのでその罰が当たったと云う噂があるのも十日町ならでは。
その市内の殆どを消失した十日町です。織物に携わっていた会社は悲嘆にくれます。十日町市内での再開は無理とみて早くから隣の旧川西町に移り仕事を再開させた人もあったようです。十日町の議会は焼け野原になった十日町復興のために町債を出します。そして既に十日町の基幹産業となっていた織物を復興させるために染色学校をつくり今日の基礎を作ることとなります。その後十日町はきもの産地として栄え、染色学校は数年前に廃校になったテクノスクールに引き継がれる事となります。
かく云う店主は実はこの前、火事に遭いました。隣家からの類焼ですが、少し家を焦がしました。何にしても火事は大変です。身近に起こる災害でもあり、また、自らが防ぐ事の出来る災害でもありますので皆さん、注意しましょう。
最近は新書ブームだそうです。確かに各社が新書シリーズを出して多様なテーマで書店に並びます。僕が学生の頃、新書と言えば岩波と講談社あたりで岩波の青版では小林秀雄や中村雄二郎、丸山真男、清水幾太郎、桑原武夫等々の知識人が難しそうな背表紙を並べていました。
それでも「学生はこのくらいは読まないとならん」くらいの勢いもあってか、辞書を引き引きしながら読んだ気がします。(別に、僕に限らずみんなそうでした)それに比べると昨今の新書は随分とサラリとしているものです。
~なあんて、朝から奈々子姐さんと笑っていました。奈々子姐さんは少し読書量が減っていると笑っていましたが、相変わらずかなりの読書家です。
聞くと、奈々子姐さんのおっかさまもかなりの読書家でいらっしゃって、宮尾登美子や瀬戸内晴美なんかがお好きなようです。この前、こたつで寝ていたのを奈々子姐さんが起こしたところ、おっかさまは「平塚らいてうの夢を見ていた」とおっしゃったそうな。何でも野上弥生子の本を読んで眠ってしまったのだそうです。
きはだやの知恵袋、奈々子姐さんのおっかさまもただ者ではありません。
画像は平塚らいてう
昨日は六郎いんでした。古くからある黒姫神社を参る講が大きくなったもののようで、この「六郎」あるいは「いん」が何なのかはよくわかりませんのでまた、知恵者に聞いてみます。
昔からこの日は機を生業にする人や農業はお休みです。もっとも今では会社ごと休むところは少なく、機織りだけは休みにしているようです。
神社の入り口には「黒姫まつり」のぼんぼりが立ちます。もう、ぼんぼりが立つとすっかりお祭り気分です。まあ、六郎いんはおまつりって感じではないですがね。
社務所の前の提灯は「黒姫神社」と書かれた専用もの。この日にしか使っていないようです。
十日町の6月は程よく涼しくていい気候です。単衣の着物を風が抜けると実に心地いいですね。きものはその季節や風を体感させてくれます。そんなところが好きなのかなあ。
朝九時から例祭が行われ、織物に携わる人達が羽織姿で集まります。宮司様が来て織物業の発展やら家内安全やらを祈ってくださいます。
その後で社でお神酒をいただきます。黒姫樣の社には重鎮が集まり、若手は隣の金比羅樣に社です。
車座になってお神酒をいただきますが、昼間から飲むお酒は実にご機嫌です。
ごちそうはこんな感じと赤飯。棒鱈とかタケノコの煮物とかが実にいですね。まずはビールを飲みましたが、どうも神社で飲むとなると日本酒の方が似つかわしく思えて、ついそちらもいただきます。
去年、初めて六郎いんに出た時はあまりに心地よく、「来年は6月6日は休める様にしよう」と思ったのですが、なかなかダメでした。残念。。
程よく一時間くらいごちそうになって戻りました。
六月、きもの、単衣、昼酒。 実に心地よい組み合わせです。これを「講」と一緒に体感できるのは実にステキな事です。
風呂に入れる定番はやはりバスクリンでしょう。風呂に何かを入れるって一つのイベントのように思います。
さて、昨日は菖蒲湯でした。学生の頃から銭湯での菖蒲湯や冬至のゆず湯が好きです。普通、菖蒲湯は5月5日ですが、十日町では5月5日ではまだ菖蒲が小さく風呂に入れる大きさになりません。そのためこの辺ではもともと6月の行事なのでしょうが、都合良く旧暦のころに合わせた感じです。去年だったかは5月5日にテレビで「今日は菖蒲湯です」なんて言われて、慌ててさがしにいきましたが、この辺ではまだありませんでした。
玄関に菖蒲とヨモギを下げて邪気を払います。子供の頃は「蛇が入ってこないように」と言われました。十日町では「蛇」は家に入ってはならないものの象徴かもしれません。庭で菖蒲を摘みましたが、やはりちょっと小さいですね。それでも気分がいいのできはだやの玄関にさげました。
この菖蒲が「ぎぃぎぃしょうぶ」なんて呼ばれています。なんで「ぎぃぎぃ」なんだろう??根の辺りを切ると初夏の香りがします。
ちゃんとバリウムを飲んできました。 いつまで経っても慣れない気がします。。
それにしても医学が次々と進歩する中で、案外バリウムによる胃のレントゲンと云う手法は変化していない気がします。
昔は味がなくて飲みにくかったと聞きます。今日はイチゴ味でした。でも、それは医学の進歩でなくて、食品業界の進歩であるように思いますので、バリウムを飲む人の苦痛は医学によって和らげられたりしていない感じです。
なんでですかね。
案外とバリウム製造業界と医療業界に特別な癒着があって、医療の進歩でバリウム業界が壊滅しないように、バリウム以外の検査法の参入を阻んでいるのかもしれません。あはは。