染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
皆様の気軽なコメントをお待ちしています。

赤坂プリンス~丹下健三~ハナエモリビル~歌舞伎座

2010年04月30日 | 店主の一日
赤坂プリンスの新館が建て替えになるのだそうです。
バブル期を象徴する建物であったように思います。僕は十日町に戻ってから着物の催事で何度か行った事があります。赤坂見附の交差点から見る鋭角な建物は東京っぽく見えます。
赤坂プリンスは故丹下健三の設計で、丹下氏の代表作の一つです。
もう一つ、取り壊されようとしている丹下氏の作品があります。
表参道のランドマーク・ハナエモリビルです。
ガラス張りのファサードは一向に古さを感じさせません。
ガラスと云う無機質な素材ですが、何か人の集いみたいなものを感じさせる空間です。
きはだやは長く、ハナエモリビルのB1にあったお店とお取り引きがありました。
ショップのオーナーもこのビルが建て替えになるのを大変残念がっていました。
築後30年を経て手入れが必要になったのでしょうが、一方ではもっと容積の大きな建物にしたいと云う思惑はあるのでしょう。
今日、銀座の歌舞伎座も建て替えのため、今日が最後の公演になります。
こちらは2002年に国の登録有形文化財に指定されましたが、(一応)老朽化をネタに建て替えられるようです。
ただ、建てられたのは戦後の事。1950年の建築です。
老朽化とはいってもそれ以前の建物は随分たくさんあるわけで、やはり、銀座に近い超一等地をより有効に使う事が必要なのでしょう。
歌舞伎と云う日本を代表する文化と、その公演のための日本一の劇場が失われていくのはとても残念な事です。有形文化財登録はその建物を保護、維持していくために登録するはずなのでしょうが、こうして失われていくのはなんだか合点がいきません。
きはだやのお客様にも歌舞伎座と縁があるかたがいらっしゃいますが、とても残念がっています。
木挽町を歩く時にあの歌舞伎座の屋根が見えなくなってしまうのはひどく淋しい気がします。
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皆様にお礼

2010年04月27日 | 店主の一日
無事、無事に日本橋にいがた館「単衣の頃」が終えました。
会期中は天候が悪い日も多かったのですが、たくさんのお客様にお運びいただきありがとうございました。
次回は秋を予定しております。
また、どうぞお出かけください。

ありがとうございました。
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三越日本橋本店を観る

2010年04月27日 | 店主の一日

日本橋にいがた館は三越日本橋本店の向かいにあります。

なんだか、この日本橋三越っていいですよね。

日本ので最初に百貨店を初めて店として、小売業の象徴の様なお店です。               

百貨店の大型化が進み、今ではその座を明け渡しましたが、三越本店は長く売場面積では日本一の広さでした。天井までの大きな吹き抜けはとても気持ちがいいものです。

向かいでちんなりと間借りしているのですが、なんとなくこの場所にいるとテンションがあがります。

環境保護なんかで、夜の電飾がなくなったのは残念ですが、堂々とした建物です。なんか華やかな感じでいいですよね。外観を見ると他の百貨店に比べると、金色の装飾が多い様に感じます。この装飾も華やかさを感じます。

我が家に残る古い観光絵はがきには隣の三井本館と並んだ三越が写り、下は砂利道でした。いろんな意味で象徴的な建物なのでしょう。

建物を外からみるとこの建物が増築された事がわかります。ちょっと窓の形も違うでしょ?


ちょうど看板の辺で作りが違うのが見え、材質も違います。手前の柱部分が旧館で、壁面が増築された部分と思います。



通りから向かって右側の方が古いようです。三越のシンボル、ライオン像も右側の玄関にあります。ライオンの像はロンドンのトラファルガー広場にあるものに倣って鋳造したそうで、全国の三越の待ち合わせの目印になるものでもあります。解説の看板には「誰にも見つからずにライオンに股がると幸運になる」みたいな事が書いてあります。学生の時に「三越のライオンに股がって待ってる」なあんて云う用途ない事を言っていた気がしますが、これがネタ元だった様にも思います。


その上には金色の女神像があります。今は新館との間の入り口の方が出入りは多い様に見えますが、元々は向かって右が正面玄関のようです。

正面玄関の上には三越の社章と旗があります。写真がないのですが、屋上には塔屋もあり、これは新幹線からも日銀越しに見る事ができます。本館の右側だけでも完結した建物として設計された事が解ります。最近は地下鉄から直接、館内に入るかたも多いかと思いますが、この建物をゆっくりご覧になるのも楽しいかと思います。


おおきな吹き抜けには木漆の天女像が建ちます。階段で裏面に回ると製作に携わった方の名前が刻まれています。三越の50周年を記念して作られたものだそうです。ここにはパイプオルガンもあって、時々、ミニコンサートなんかもしてますね。この空間の優雅さにも圧倒されます。

本館と新館の間には車寄せがあり、この場所は極、一部の人しか使う事ができず、その車のナンバーからお客様の名前迄、総てを係の方が憶えていている事で知られます。以前に、にいがた館に来た時に天皇、皇后両陛下が三越にお越しになっていたのを見た事がありますが、その時に初めて車寄せを使う人を見ました。

最近では国宝級の仏像が海外のオークションにかかった時に、文化庁だったかの依頼を受けて三越が競り落としたなんて話題もありました。普段は僕が使う事ができる百貨店ですが、上位顧客の様子はスケールが大きくてなかなか伺い知る事ができません。

建物の中には三越劇場まであり、ありとあらゆるものを備えた店でもあります。

建物の事ばかり書きましたが、僕は三越って大好きです。あの包装紙も華やかな感じで、何か特別なものをいただいたみたいな気になります。社員さんも多いですよね。納品しているメーカーさんの派遣の方も勿論いますが、本店は社員の方の人数は他の店、百貨店に比較しても随分、多いように思います。それだけに「三越」全体への気配りもよく、車いすを使った方などがお店に来た時の店員さんの気遣いもよい様に思います。そんな様子を見かける事があると感心してしまいます。

僕たちは物産展で三越に入る事もありますが、社員の方たちは我々、業者へもいろんな配慮をしてくれます。あんまり何かを威張って言われた事がなく、その一方でお客様への応対には一番厳しく指導される店でもあります。第一回新潟物産展が行われた時に三越さんの特別食堂で懇親会をしてくださりました。入ると奥の個室には大観の絵がかかっていて驚いたのを思いだします。その時は上席の方もお越しいただき、激励していただきました。感激したのを今でも思いだします。

三越を外と中から見ると、この店のよさが見える気がします。建物と歴史が培った良さをそのまま持ち続けているお店ですね。

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世界の雪ざらし

2010年04月26日 | 店主の一日
今日も沢山のお客様にお越しいただきました。
ありがとうございます。
僕がお話させていただいたのはボビンレースの先生。国内でも第一人者と云う程の大御所で、きはだやで作っている糸に引き合いをいただきました。
今回、お引き合いいただいたのは絹糸ですが、ヨーロッパでは麻を使います。麻といっても、越後上布に使う苧麻でなくリネンです。僕の知人にリネンの商いをする人がい
ますが、リネンと麻では随分雰囲気が違います。
苧麻とは微妙に違う、何か清々しさを感じます
そんな話の中で先生が仰るには、ヨーロッパでも伝統的にはリネンを雪に晒して漂白をするのだそうです。テーブルクロスみたいなものが汚れると、雪の地方では雪ざらしをすると聞いてびっくり。
それもかなり伝統的なものに限るのだそうです。
う~ん。日本と一緒です。
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この時期に思い出すぶどう酒の話

2010年04月25日 | 店主の一日
雪が消えて、今年も畑の季節となりました。ここ数日はどんなものを植えたものかと、イメージトレーニング中です。
畑を始める時に思い出すお話があります。

あるところにお父さんと三人の息子がいました。
(この手の話は大概、お父さんかお母さんどちらかの登場で子供は三人。あはは)
お父さんは大変に働き者ですが、子供達は互いに仲が悪く、遊んでばかりです。
(親子で働き者だとあまりお話になりなくいのかもしれません)
あるときお父さんが病気になります。そして三人の子供達を集めていいます。
「私はもうダメだ。お前達に葡萄畑以外には何も遺していけるものはないが、その葡萄畑には私が働いて手に入れたものが隠してあるのだ。それをお前達にあげよう。」そう言って息を引き取りました。
(さあ、三人の跡目争いが始まります。)
今まで遊んでばかりいた息子達は困りました。なんとかお父さんの遺した宝物をいち早く自分のものにしなくてはなりません。
三人はくる日もくる日も葡萄畑を掘り起こしました。しかし、畑からは何もでてきません。
三人が諦めた頃、その畑は立派なぶどうの実をつけました。子供達は皆でそのぶどうを摘み取り、ぶどう酒をつくりました。
それはとても美味しいぶどう酒でよく売れました。それから三人の兄弟はぶどう酒を作りながら仲良く暮らしました。

まあいろんな示唆に富んだ話と思うのですが、(実際に畑を耕しただけで立派なぶどうがなるかどうかはともかく)コツコツと一生懸命に、手をかけて続ける事によって、結果はよりよくなると思うのです。僕たちモノ作りもそんなモノかも知れません。
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酔っぱらって、朝目が覚めるということ。

2010年04月25日 | 店主の一日
酔っぱらって、朝起きたら隣に知らない女性が寝ていてるなんてのは話ではよく聞きますが、案外と現実にはあり得ません。
さて、昨日は男のきもの大全の早坂伊織さんとお会いして、ちょろと飲みました。その後でもう一飲みしてひどくご機嫌で宿に戻ったのです。




で、朝起きたらiPhoneを首からストラップで下げたまま寝てました。
一応、風呂に入った形跡はあるのですが、iPhoneをもったまま風呂に入ったて事はあり得ないので、多分、風呂に入って寝る前に
iPhoneを首から下げて眠ったのでしょう。故障している風はないので一安心しています。

今日の東京はいい天気です。
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日曜日におしゃれをして百貨店に行くということ。

2010年04月22日 | 店主の一日
新潟、長岡、上越には、金沢に本店がある百貨店「大和~だいわ」があります。
新潟店は戦前からあるそうで、県内の方にとっては最も親しみがある百貨店ではないでしょうか。その大和が今週で長岡、上越を閉め、新潟店も来月に閉店します。長岡、上越からは百貨店がなくなる事になります。
新潟の大和はきはだやも長く催事でお世話になっていました。地元の商店街なんかは空洞化も含めて何かと困っている様です。
今朝の新聞にもその話題がありました。
「おしゃれをして街に出かけ、買い物をして、百貨店の屋上の遊園地で遊び、食堂で食事をする」こうして休日を過ごすのが一般的だった30~40年前の新潟市では云々。。。
我が家では~勿論、新潟市に住んでいるわけではないので~一般的ではないですが、子供の頃、長岡のデパートに行けるというのは一大イベントでしたから何かと残念です。
どの程度のおしゃれをしていったかはあまり記憶にないですが、きっと、少しは新しめの白い靴下でも入ってつれていってもらったのでしょう。
買い物は長崎屋あたりで、(当時の十日町には大型商業施設がなかったので、まともに新聞を読む迄、僕は長崎屋はデパートだと思っていましたw)その後、大和でクリームソーダでも飲ませて・・・そんな感じだったと思います。
そんな程度でも長岡に、大和に、デパートに行くというのはなにか特別なものでした。
昨今の世の中は、百貨店でさえあまりハレの日気分でなくなりましたが、身近な事でもちょろとおしゃれをしたりして、何かそんなキラキラした気持ちになるものあった時代というのは、それなりによかった様に思います。
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にいがた館にて

2010年04月22日 | 店主の一日
今日の東京は雨です。
普段から東京に来ていても案外と雨に降られる事はなくて、「東京って雨が少ない所だなあ」と思っています。

まあ、そんな訳で瀬せっかく準備をしたのに表を歩く人もまばらな感じです。
こんな時は、ぼんやりと三越の建物を眺めたりしています。

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春競馬

2010年04月16日 | 店主の一日
今日は新潟に来ています。朝、きはだやに行ってから大急ぎできました。
途中、高速道路を走っている時に何台か競走馬を載せた車を追い越しました。
新潟競馬場に行くのでしょう。朝のニュースで新潟競馬場の芝を冬の間、覆ってあったシートを外したなんてニュースをしていました。
中央競馬はこれから皐月賞、天皇賞、ダービーと花形レースが始まります。
新潟も春競馬の季節です。
僕は案外と競馬が好きです。馬券を買うことは稀で、馬にも騎手にも詳しくありませんが、肉体を削ぎ落としたサラブレッドが走りゆく躍動感や、最終コーナーからゴールに至る直線のスピード感には強く惹かれるものがあります。
十日町ではまだ桜も咲きませんが、周りはどんどん春になっていきます。
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宇宙にいる山崎さんと大遣唐使展

2010年04月14日 | 店主の一日
スペースシャトルも発射をしてしまうとちょっとニュースの扱いが小さくなります。それでも山崎さんは日々、宇宙で様々な実験しています。
先日、奈良に行った時に国立博物館で開催していた「大遣唐使展」を見ました。
僕は全くもって歴史に弱いので、小野妹子の遣隋使に始まり、その後の唐代迄、中国の技術や仏教の輸入のために行われた程度のことしか憶えていません。
船の航行は潮や風の他に人力で漕ぐ事も多かったようで、船員の多くは漕ぎ手だったように書いてありました。地図でみるとちょっとの距離ですが、外海で船を手で漕ぐなんて気が遠くなるような話です。
遣唐使の航路図を見ながら、「唐への船に乗る大使達は、今の宇宙飛行士くらいの勢いなのかなあ」とか思ってみます。でも実際に年表を見ると、唐を無事に往復できる確立は随分と低く、今日、宇宙に行ってくることの方がかなり安全に思えるほどです。そうなると今の私たちには遣唐使ほどの危険性をもって行うことなど存在しないのかもしれません。

宇宙での研究はタネを植えて植物を育てたりと地上であれば日常に行われていることなので、ふ~~んと軽く唸ってみますが、唐に渡った大使達も長安で教典や本、工芸品の買い物に奔走したらしく、大きなリスクをもって先進地に行く人も、そこでは案外と我々の日常に近い事をしているみたいで可笑しくなります。
「死んでもいい」ってのはあまりまともな使い方ではないですが、僕も(比喩的にいえば)宇宙に行けたら死んでもいいかなと思っている一人です。
古く唐に渡った人たちは、長安の空の彼方に光る星の向こうにどんな世界があると思って眺めていたのでしょうか。
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