きはだやは十日町で織物を作る会社では後進の方です。
そうはいっても10月で48年になります。
ここまでモノ作りをして来れたのは、日本のテキスタイルデザインのパイオニア故宮坂博文先生に教えを請うたのが
よかったのでしょう。
特に、「野蚕糸」を使ったマフラーと青倉織は当時、先生から糸の撚糸から素材からを提供いただき、他にないモノ作りをすることができました。
青倉織の帯は今までに何本織ったのかもわからないほどですが、今でも売れ続けています。
さすがに相当の量が市中にあるので、時々リサイクルショップで見かけることもあります。
あはは。
今日はきはだやの史料の整理をしていました。
写真は宮坂先生の織物の断片。

先生のところに勉強に行った際に、先生がゴミ袋に入れて捨てようとしていたものをいただいて帰ってきて台紙に貼っておいたもの。
今、こうして生地を触りながら思うのは、「なんで、当時にこの糸づかいの妙味に気づかなかったのだろうと」
到底、宮坂先生のデザインに追いつくことはないのですが、少しでもよいものを作ることができたらと思うのです。
宮坂先生については追々。
そうはいっても10月で48年になります。
ここまでモノ作りをして来れたのは、日本のテキスタイルデザインのパイオニア故宮坂博文先生に教えを請うたのが
よかったのでしょう。
特に、「野蚕糸」を使ったマフラーと青倉織は当時、先生から糸の撚糸から素材からを提供いただき、他にないモノ作りをすることができました。
青倉織の帯は今までに何本織ったのかもわからないほどですが、今でも売れ続けています。
さすがに相当の量が市中にあるので、時々リサイクルショップで見かけることもあります。
あはは。
今日はきはだやの史料の整理をしていました。
写真は宮坂先生の織物の断片。

先生のところに勉強に行った際に、先生がゴミ袋に入れて捨てようとしていたものをいただいて帰ってきて台紙に貼っておいたもの。
今、こうして生地を触りながら思うのは、「なんで、当時にこの糸づかいの妙味に気づかなかったのだろうと」
到底、宮坂先生のデザインに追いつくことはないのですが、少しでもよいものを作ることができたらと思うのです。
宮坂先生については追々。