旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

339 熟年 

2013-11-23 08:00:08 | 思い出日記
 ‘50になった時、あとは早いよ’と作家の宮尾登美子さんは言われ、50代後半から加速度的な月日の流れになってしまったと書いています。彼女は忙しくてそうなったので、私は彼女とは全然違いますが、結果として同じ事となりました。彼女は私の母親世代ですが、日常の事をエッセイとして書いても、やはり作家は違うものです。思わず読んでしまいます。

 (やっと最近遅いですが、どうも年とった、年寄り臭いは違う様であると気づきました。年とった、しかし若い人の中にも年寄り臭い人がいます。余談ついでに、じじむさい、女性であれば、ばばっちい、この言葉が年寄りから来ているとは知りませんでした。)

 最近一日を殆ど同年輩か年上の人と接しています。考えてみれば会話も殆どなくてテレビも殆ど見ない、若い人とも話す機会が少ない中で毎日を過ごすと言う事に気づきました。ただ四六時中、厳しい目で私に注意する人が若さを提供してくれていると思っています。

 もう会社人間では無い、淋しいかな会社が世界で一番になろうと遠い話、付き合う人の数も知れています。と言うより付き合いが無い、わりと早くに気づいたから良いものですが、年寄り臭いと言われない様に気をつけなくてはと思います。

 年齢を重ねるうちに体力が落ちた。それは当然ですが、80を過ぎてもエヴェレストに登る三浦さんの様な人もいます。そして私はと言うと、体力的には十分に若い人について行けると思っています。最近は若い人はそれなりに、どんどん年寄り臭い人は見かけなくなっています。私はまだ年を感じていませんが、何をするにも年寄りの冷水をいわれないように気をつけます。

 それよりも気付いた事ですが、判断力が若い時ほど早くする事ができ無くなってきたのです。どうして鈍くなったのか考えみると、判断力と言うよりも、それだけ人生の山を踏み越えて来て、周囲が見える様になったとも言えます。つまり熟年の仲間に入りました。今までが自分の思うまま生きて来て、他人(ひと)の言う事を聞か無かった、聞いていなかったとも思います。私の若いとはそう言う、謂わば怖いもの知らずだったと思います。

 先日、このブログのヘビーな読者の一人が、どうも私が最近マエナス思考になっていると指摘がありました。その通りで、ちょっと落ち込んでいました。そして、今はと言うと、やっぱり回りは怖いものばっかしになって来ました。良い事か悪い事か、判断することに寄りますが、何をするにもはたの事を必要以上に気をつけて、判断が遅く鈍くなってしまいます。

 これは、年とって来た人達に一般に当てはまるかと言うとそうではありません。頑固に自分の意見は正しいと進む人や、自分とは関係無いと無視する人等々、色々あると思います。私は若い時と違って、判断が鈍くなった分、良い方向に進むようにしなくては、今まで生きて来た何十年が無駄になってしまうと思い、頑張っていかなくては...
 
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