運だの不運だのは、力の至らなかった人間が口にするセリフなんだ。いいことを言います。人生は運不運ではなく幸か不幸かという話だとも、そうかも知れないです。私はと言うと未だ良く分からないです。残りの人生で探します。
言葉は魔物だ、これもそうでしょう。これは分かります、今考えると、余計な事を話しすぎて、私はそれで失敗していたことが多いです。しかし、考えようによっては、不運や不幸もそれを馬力に頑張れるかも知れないです。頑張れる時に、頑張りたいです。
どうしようも無い立場に陥った時、いつも‘最悪とは、これ以上悪くならない、これからは良くなると思い、それより悪くなったら、あの時は最悪で無かったと’考えて頑張るようにして来ました。これも今まで自分が最悪が無かったから、そう思えたかも知れないのです。分かっているのにナカナカ、いずれにしろ他人に頼らず自分で切り開くしか無いということです。
今まで、いろいろな意味で、サポートしてくれた人達が殆ど亡くなってしまいました。今度は私がサポートしなくてはいけない立場になってしまったのです。分かっていないのか、まだ甘えがあるのか誰か助けてくれるだろう、自分には未だつきが着いていると考えています。
そんな事を言ってられないのが、桜塚ヤックンの交通事故死です。事故、天災や火災で予期も無く死んでしまうのはやりきれないです。まだ、テレビで一時期もてはやされたのが昨日のような人が、38歳の若さで亡くなったというお悔やみの話が新聞に載っていました。
一休禅師の言葉を例に出して「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」を例えてその死を惜しんで書いていました。そもそも一休禅師がめでたい事を言って貰いたいとの事にこの言葉を言ったので、周りの人から非難をあびたと言うことでした。この事故以外に死ということを受け入れない話は山程ありますが、まだまだこれからと言う人の死、運が悪かっただけで、不幸ということだけで、このような死は受け入れないと思うのです。
この話に注目したのは、私がこの話を良く覚えていたからでした。中学生の時に兄の結婚式があり、参加した一人が同じ話をされました。一休禅師は結婚式に忌み言葉である死ぬを3度もいい、その場にいた人から非難をあびました。それに答えて順序が正しい、これ程めでたい事は無いと言いわれました。
兄の病気見舞いに行き、元気付けの為に、前から昔話としてその話を言おうとしましたが、毎回それが言えないです。まあ、めでたい時に言う話と良く分かりました。ですから生涯こういう時に言うのをやめます。
言葉は魔物だ、これもそうでしょう。これは分かります、今考えると、余計な事を話しすぎて、私はそれで失敗していたことが多いです。しかし、考えようによっては、不運や不幸もそれを馬力に頑張れるかも知れないです。頑張れる時に、頑張りたいです。
どうしようも無い立場に陥った時、いつも‘最悪とは、これ以上悪くならない、これからは良くなると思い、それより悪くなったら、あの時は最悪で無かったと’考えて頑張るようにして来ました。これも今まで自分が最悪が無かったから、そう思えたかも知れないのです。分かっているのにナカナカ、いずれにしろ他人に頼らず自分で切り開くしか無いということです。
今まで、いろいろな意味で、サポートしてくれた人達が殆ど亡くなってしまいました。今度は私がサポートしなくてはいけない立場になってしまったのです。分かっていないのか、まだ甘えがあるのか誰か助けてくれるだろう、自分には未だつきが着いていると考えています。
そんな事を言ってられないのが、桜塚ヤックンの交通事故死です。事故、天災や火災で予期も無く死んでしまうのはやりきれないです。まだ、テレビで一時期もてはやされたのが昨日のような人が、38歳の若さで亡くなったというお悔やみの話が新聞に載っていました。
一休禅師の言葉を例に出して「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」を例えてその死を惜しんで書いていました。そもそも一休禅師がめでたい事を言って貰いたいとの事にこの言葉を言ったので、周りの人から非難をあびたと言うことでした。この事故以外に死ということを受け入れない話は山程ありますが、まだまだこれからと言う人の死、運が悪かっただけで、不幸ということだけで、このような死は受け入れないと思うのです。
この話に注目したのは、私がこの話を良く覚えていたからでした。中学生の時に兄の結婚式があり、参加した一人が同じ話をされました。一休禅師は結婚式に忌み言葉である死ぬを3度もいい、その場にいた人から非難をあびました。それに答えて順序が正しい、これ程めでたい事は無いと言いわれました。
兄の病気見舞いに行き、元気付けの為に、前から昔話としてその話を言おうとしましたが、毎回それが言えないです。まあ、めでたい時に言う話と良く分かりました。ですから生涯こういう時に言うのをやめます。