若い時を振り返ると言うより、その時のメモでも無ければ忘れている事が多くあります。父親が未だ小さい兄の孫を可愛いがっていましたが、その事を彼らが何も覚えていないのに驚かされた事がありました。せめて孫が小学校に入る迄生きて欲しかった。その頃、50年前のデンマークにいた時の話です。
コペンハーゲンのクヌードさんの家では、奥さんが思った以上その上ぐらいに優しくて親切な人でした。初めに、ここに居たいなら泊っても構わないとのことでした。勿論、即OKでした。その夜は寝る所を確保できました。その後、デンマークの各施設は勿論、英国で英語を勉強しながら家の家事手伝いするオペア迄、色々と面倒見て頂きました。
話が弾んで、食事も美味しく頂きました。食後に、お茶とお菓子が出てまるっきりフルコースのような日本を出て初めて夢のような食事でした。
会話は総て英語であったにもかかわらず、良く理解できないことがあり辞書を持って来てない事が惜しまれました。(英語辞書も持たずにYMCA英語だけで良く行ったな!帰国後、デンマーク語辞書探しましたが当時は見つかりませんでした)。英語が上手で年とは関係無く、私の母親と同じ位なのに難なく話されました。色々話をしましたが、さすがに、彼女が寝むそうなので、その夜はその辺で休む事になりました。
翌朝 早く起きたのですが、家の中は静まりかえっていたのでした。皆を起こさないように心がけていたのでしたが、起こしたようなので、悪い事をしたと思いました。この家では、朝食は8時でゆっくりしていたことを知りました。(今、思うと非常に厚かましい事をやっていたとつくづく感心させられます。)
その後、私の為に、色々な福祉施設に電話を掛けて見学ができるかとかバイトができるか等を聞いてくれました。たまたま休暇を取っている人が多くて良い情報をえられなかったようで、その時は、それ以上は無理で、後に問い合す事で終わりました。
そして、ユースの前で拾った東洋人の私に驚くことに家の鍵のある場所を告げて、その後ユース迄送ってくれたのでした。(わずか数日いた人間に大事な家の鍵を教える事は、日本では考えられない驚き事でした。)これからも、この旅で会う人会う人、みんな良い人たちばかりでした。これから、デンマークで色々学べたのも彼らの協力があったからでした。感謝一杯の気持でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます