旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

279 初の空港勤務

2012-12-08 06:40:30 | 思い出日記
 道端の野草が食べるのには汚いとの忠告を受けた成田では、航空管制官やJALや空港で働いている人と、テニスを通じて色々な方と友人になりました。ここでは色々お世話になりながら、仕事の話は殆どしてませんでした。そんな訳で、空港勤務で他の会社はどうなっているか知らないですが、私の所の勤務は3班に別れ、土日関係なく1年を通して4日勤務で2日の休でした。
 
 4勤2休のシフト、それが普通になると、たまに人と代わって続けて5日間仕事をやるのが非常にシンドクなるのでした。大阪にいた時は、勿論週休2日で、そして当然の様に祭日が土曜日の場合は、振替休日がありました。その当時が懐かしく恵まれていたなと感じます。

 楽をし過ぎたのか、今の仕事のように休みが少ないと、休みの日が待ち遠しくて仕方無いです。その昔、盆と正月しか休めなかった時、その休みは現在と感じ方は違うと思います。1週間が7日、キリストに感謝します。これだけでもクリスマスを祝う値打ちがあると不謹慎な事を思ってしまいます。

 多分今でも変わらないと思いますが、普通は当日朝その日の仕事が決まるのでした。日雇いの様に、又学生時代の如く自分が何をやるか毎日、掲示板を見なくてはいけないのでした。

 私は当初手荷物課に配属され、荷物に関わる事全般に取り扱ってました。そこは旅の最終地点で向こうであった苦情をマトメテ言う所になっていました。そして疲れて帰って来たのに当然受け取る荷物が着かない人、他人が間違って持って行った、ケースの中身を盗まれた、良くあるのがスーツケースの破損等々。それ以外に現地で既に無くした、様々なケースが考えられるのでした。対応する殆どのお客は怒り心頭であり、全便この様な人々の対応に忙しいのでした。

 この課に勤める迄、乗り換えは人だけ間に合えばと荷物の事は考えていませんでした。飛行機がちょっと遅れただけで、乗り換え便に荷物が間にあわないと言う事が良くありました。人が間にあっても航行会社によっては、荷物が間に合わない事でそのものを乗せなかったりします。一つにはその飛行機が一杯で断る理由にしたり、現地に着いてから、クレイムを受けたくないのと色々ありました。乗り換え客の多い弊社は、成田からアジアの他の国に路線を持っていない為に何時も悩まされていました。

 又、マイルを稼ぐ為だけに飛行機に乗る人がいまして、その人は何時も荷物を必ず預けたのでした。オーランドで行くのに、成田-ロサンゼルス-ラスベガス-ダラス-ワシントン-マイアミ-オーランドと乗り換え乗り換えて行きました。この旅程で荷物を失くさないのが、不思議でした。この方の現地でのロストバッグは、帰ってから毎回クレイムが少なくとも半年に一回ありました。(知られて無いですが、マイルを貯める事は弊社が最初に始めました)
 
 そして、いつも忘れられないのが、ジョニーデップがお客がいなくなった広い手荷物受取場にいたので見に行きました。航空会社の職員が彼の手荷物をカートで押していたのを変わって自分で押して行った事でした。その時に、素晴らしい人だと即ファンになりました。
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