旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

779  出港と別れそして船の中 (次回更新予定 第三土曜日 2月15日) 

2020-02-01 04:45:40 | 
 真っ暗な4時起床、7時30分横浜ホテルプリンス出発。旅慣れしてない、と言うより全く初めての一人旅が始まりました。黄色のリュックでサイドバックが付いた、その頃普通の新品の大きなリュックを背負って船に乗りました。こんな重いものを持って、これからやろうと思ってもいないヒッチハイクを、メモ日記を自分で読むと忘れている事が沢山ありました。今や、そのメモもどこにあるか分からないほど、大きな??家に住んでいます?
 これから経験することは全て人生初、船の別れがこれ程寂しくて心ぼそいとは、こんなにも長く家族と別れる事自体初めてでした。母と兄にテープを投げて、そのテープが切れて行く寂しさと不安さは思い出しても涙が出てきます。そのテープは誰から渡されたか等、殆どと言うよりまるっきり忘れていました。
 母と一緒にどうホテルから港迄 、兄が 何時来たのか覚えていません。ただテープが切れて自分一人になったと言う実感だけです。その二人の姿が見えなくなる迄、別れを...日記を書いて本当に良かったと今思います。
  船室に入ると、ベットが左右上下で4つありました。何か映画で見る古いタイプの潜水艦の内部のようで、ドアが頑丈だったのを記憶します。その部屋の最年長者は柔道4段の村山由行さんでドイツに武者修行。総額35万円で旅をしようとしている築山由雄さん、そして大塚栄一さんでした。他の部屋の人ともすぐ親しくなり、夜遅くまで話をしました。と日記に。 運動はと言うと食堂迄の往復でしたが、食堂がどんなだったか、まるっきり何も覚えていないし、忘れてしまった事ばかりでした。
社会主義国ソ連での入国検察が厳しいと言うのでお金を丸めて歯磨きチュ-ブ(当時のチュ-ブは後ろが開きました)の中に全財産を入れてびくびくしながら、緊張した顔で現在だったら絶対見つかると思うのですが無事通過。いい時代でした。西も東も右も左も上も下をも分からずおっかなびっくりの若かった20才、京都を出たのが初めての旅が始まったのでした。
旅で会う人、殆どが一期一会でした。そして、父に二度と会えないとは...、帰国後、最も旅の話をしたい父が亡く、帰って1年後、母が追うように亡くなるとは、まるっきり考えもしていませんでした。両親にはこの旅の話を一切していない事を悔いています。
ーーーーーーーー
 後書、どう京都を出て、又、横浜ホテルプリンスの予約は?本当に世界一周をやったのか?村山由行さんの事は懐かしく名前を、ただイメージだけ思い出します。多分自分の事で精一杯で、皆と、どう分かれたのか?殆どの事はメモ日記があるから書けたのです。??ばっかしです。ただネットは凄いです、姓名だけで50年も前の人が分かりました。新シリーズとして添削して書いていきます。再度、連載するように言って下さった山僴居さん、本当に有難うございます。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 778 ヨーロッパを目指して(2... | トップ | 780 大陸到着そこは社会主義... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事