旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

359 冷蔵庫とは氷を入れた保冷庫であった頃

2014-04-19 05:18:44 | 思い出日記
  魚の骨がのどに刺さったときに、ご飯と一緒に食べなさいといわれた事を思い出しました。体調が悪ければ母親がおでこに手を当てて手を当てて熱が無いかとチェックをしましたが、ここにも母親の手の感覚がありました。時代が進歩すると人との触れ合いというものが無くなってきたと思います。

 電化製品も現在に比べて極端に少ない子供時代、それが不便と感じませんでした。又、現在の電化生活を夢にも思わない時代で世界でした。この前、私が家に昔あったのは冷蔵庫と思っていましたが、たまたま報道によって、ただの保冷庫と知りました。

 子供の頃は、ただ、何も考えずに自由に遊んでいれば良かったのでした。碁盤の目の一部である京都の町(ちょう)は、ハッキリと分かれていました。町内(ちょうない)は隣の家の前(かど)を掃除しないように、すぐ隣の町(ちょう)かみんちょ(北側)で、盆踊りをやっていたのに参加せず、学区の区民運動会、野球大会等、チョウ別対抗で待賢小学校でやりました。総てちょうが中心になりましたが、その小学校も廃校になりました。でも、町内ご近所みんな知り合いで、お風呂屋さんで、おじさんが声をかけてきたり、私の下町の定義である、家の前に沢山の鉢植えがある事はありませんが、本当に下町と呼べる世界でした。

 今、我が家で当たり前にある保温式炊飯器が出来る前、こもでご飯を保温していました。コモが正しい言葉か、そもそも今日見当たらないこもとは、説明が難しいです。ワラを筒上にして一つの円筒のふたのある箱にして、木のお櫃(ひつ)暖める為に、そのお櫃の1-2回り程大きいものでした。今は茶づけと言うと、暖かな出来立てのご飯ですが、我が家の冷ご飯は水分を十分に含み、それは美味しかったです。その様な冷ご飯も無くなりました。その米も加茂のおばさんが配給米外(どれだけ古いのか?)で持ってきたものです。世の中進むのが必ずしもいい事ばかりでないという話です。

 「中国の昔、ある人がある所で見た画があまりにも素晴らしかったので、もう一度見せてもらいたいと願ったが、持ち主はそれを許さなかった。星霜数十年、持ち主が替わって念願の名画を再び見る事が出来た。ところが、それは平凡な画だったのである。その人は怪しみ、もとの持ち主は‘弧仙’かなにかで、自分はたぶらかされていたのだろうかと思ったという。」(芥川龍之介「秋山図」)

 なにか自分の昔話をしているのが、総て実際よりも時たま思っているより平凡な事ではなかったかと思います。平凡な話にに付き合って貰って、いえ、そうでは無くて実際良かったと思っています。今、不便を感じることを、何も無かったので不便と感じなかったのです。ガラパンとランニングシャツ1枚で遊びまわったのが、今は信じられないです。
 
 人格のススはらいをしてボケを防止しているともいえ、決して耄碌(もうろく)した為に昔話をしている訳ではないのです。そう思って聞いて貰えれば有難いです。し(ひ)つこいようで分かっていますが、時たま2度3度言ったと思うことが出てきます。まだボケてはいませんので辛抱して下さい。

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