写真の背景に2001年9月11日、AA11便のテロによって破壊されたWTC。その時、現実として受け取れなかったでした。亡くなった方々と比べようもありませんが、大阪営業で知っているようで何も知らなかった空港業務、ど素人の私がAAの成田空港勤務!そして退職の時に思いもしない立派なパーティーを、本当に成田のどの人にも良く受け入れてくれました。2枚の写真は私の宝物です。10年20年はアッと、そのずーっと前50年前の最早、他人事になった話を続けます...
デンマークから送った手紙にニューヨークからの返事。それは母が教えてくれた見知らぬ甥からでした。その手紙で彼が住んでいたロンドンの住所を!友達が沢山できたのも今で言うシェアハウスで一年を過ごした事です。何度もニューヨークに行っているのに忘れていました。そんな一言お礼を言わなければならない人が一杯です。残りの人生それを少しでも返さなければと、まだまだやる事が多いです。
朝7時20分に食堂で早目に食事を済まして彼女を待ちました。何時までも現れる気配が無いと待っていた所、食堂が閉める時間に、兄さんと2人で現れたのでした。兄さんと目ばかりあって彼女とは全くコンタクトできずにいた所、彼女が私の方へ来て何か話しました。意味が分からないのでした。何のことは無い、パンが欲しいと言っているだけでした。
それを、きっかけに、少し話しました。そして最後にトレイを持って来た時、戸を半開きにして握手をしました。ちょうど兄さんから見ずらい位置で、軽くお別れキスをすると、昨日の夜を思い出す激しくみんなの前で応じたのでした。非常に嬉しく、そして別れるのが寂しかったです(残念ながら何も覚えていません。人生そんなものです)。
夜、テレビで日本のサッカーチームの試合を見る事に!当時、サッカーはマイナースポーツでしたが、日本がゴールを決めた時には、日本出て長い沖村氏は目に涙を溜めていました。その他の連中は無関心に酒を飲んでいました。少しみんなの輪の中に入り難く感じた為、部屋に戻り日本に手紙を書いたのでした。
翌日、久々の休日で、9時近くまで寝てました(若さに驚き、今や4時起き!)。しばらくすると、菊池氏が手紙を沢山持って来てくれたのでした。全部で4通の手紙が、どれも嬉しくて有難いものでした。特にニューヨークから旅のパイオニアの甥から届いた1通は特に重要でした。(その時の住所を無くして、今、後悔の念に!)
昼過ぎに雨が降りそうな天候の中、沖村氏とプールへ出かけました。結局雨に降られて酷い目にあい、仕方なく帰りました。すると沖村氏のカメラ・たばこ等貴重品が盗まれていて、さすがに彼もがっくり落胆していました。自分自身、大金を持っていたのに、何処に隠していたのか良く盗まれ無かったと思います。この当時は、クレジットカードなるものはその存在すら知らず、社会人になってKipsCardなるものを義理で入会。アメリカに行って初めて利用、便利さが分かった程でした。
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