大阪ピース迄行く為に、再びJR森ノ宮駅で降りました。サクラクレパスの美術館があるのを思い出して探しましたが、今日も見つけられずに結局1駅歩いて諦めました。それならと昼ごはんを食べる所をと思い駅の周辺を探したのですが、興味あるような適当なお店がそれも見つけられませんでした。計画無しの事は今後止める事にします。
そもそもおおさかピースに行くのは、前回来た時に各国の軍票を展示していたので、ビルマの軍票を寄贈しに行くのと、映画‘神の子達’を見に行く為でした。
軍票とは、日本が戦争に際して主として占領地で軍の俸給・給与の支払いに用いる為、政府または軍が発行する特殊通貨であったそうです。第二次世界大戦中に 東南アジアを占領した戦争末期になると各地の日本占領軍が 軍票の濫発を行ったため猛烈なインフレーションに陥り、経済的混乱を引き起こしたそうです。
私が手にした軍票の多くは、現地では少しでも汚れていると受け取ってもらえなかった為に、ビルマで手に入れたお札はどれも綺麗なままでした。それに反して、私が行った40年程前に使われていた現地のお札は、触るのもはばかれる汚いものになっていました。
先ず受付に行こうとしていたら、その手前のビルで事務所があったのですが、昼過ぎなのに暗がりの中でやっていない雰囲気でした。中を覗くと人が出てきて、入って椅子に座ると汗が出て来ました。しばらく話しをしていて、話し相手が上司に電気を点けて良いですかと聞きやっと電気を点けました。徹底した節電で頭が下がる思いでした。そこで京都128ビルマ会に付いて行った事等、殆ど忘れていましたが、渡す時にどうして手に入れたか大まかな話しを聞かれました。
そして‘神の子たち’を見る為に施設の入場料金250円を払い、椅子がけですが入口で座布団を取りかなり広い会場に入りました。映画は日本人が撮ったものでマニラ市の第二の‘スモ-キ-マウンテン’と呼ばれているパヤタスのゴミを生活の糧にしている人々を追ったものでした。
大量のゴミの山の中を漁って、日々の糧としている人たちをドキュメントとして撮っている映画でした。映画ですから匂いはしませんが、見るのもおぞましい光景がありましたが、テレビが唯一世界と接し、ただ服装は別段普通の様子でした。
ゴミ山が崩れてかなり大量の生き埋め者が出て、そこが閉鎖になり殆どの人が他の所に移転しました。そこに残った家族を中心に映して行ったのでした。ある家族の子供は、頭が異常に大きくなり、又、子供が生まれて来ても未熟児であったりして死んで行くのでした。新しいゴミが来なくて食べるものも買えず、隣の人に借りるのも断られ仲間内から物を取ると言う事迄やって生活して行く悲惨な話でした。
何故か数年前に、日本のホームレス夫婦が高速の下で国道と思われる所で生活しているドキュメントが思い出されました。最後にその家族達の笑顔の光景、解決策は無く袋小路に入って行く話でした。
そもそもおおさかピースに行くのは、前回来た時に各国の軍票を展示していたので、ビルマの軍票を寄贈しに行くのと、映画‘神の子達’を見に行く為でした。
軍票とは、日本が戦争に際して主として占領地で軍の俸給・給与の支払いに用いる為、政府または軍が発行する特殊通貨であったそうです。第二次世界大戦中に 東南アジアを占領した戦争末期になると各地の日本占領軍が 軍票の濫発を行ったため猛烈なインフレーションに陥り、経済的混乱を引き起こしたそうです。
私が手にした軍票の多くは、現地では少しでも汚れていると受け取ってもらえなかった為に、ビルマで手に入れたお札はどれも綺麗なままでした。それに反して、私が行った40年程前に使われていた現地のお札は、触るのもはばかれる汚いものになっていました。
先ず受付に行こうとしていたら、その手前のビルで事務所があったのですが、昼過ぎなのに暗がりの中でやっていない雰囲気でした。中を覗くと人が出てきて、入って椅子に座ると汗が出て来ました。しばらく話しをしていて、話し相手が上司に電気を点けて良いですかと聞きやっと電気を点けました。徹底した節電で頭が下がる思いでした。そこで京都128ビルマ会に付いて行った事等、殆ど忘れていましたが、渡す時にどうして手に入れたか大まかな話しを聞かれました。
そして‘神の子たち’を見る為に施設の入場料金250円を払い、椅子がけですが入口で座布団を取りかなり広い会場に入りました。映画は日本人が撮ったものでマニラ市の第二の‘スモ-キ-マウンテン’と呼ばれているパヤタスのゴミを生活の糧にしている人々を追ったものでした。
大量のゴミの山の中を漁って、日々の糧としている人たちをドキュメントとして撮っている映画でした。映画ですから匂いはしませんが、見るのもおぞましい光景がありましたが、テレビが唯一世界と接し、ただ服装は別段普通の様子でした。
ゴミ山が崩れてかなり大量の生き埋め者が出て、そこが閉鎖になり殆どの人が他の所に移転しました。そこに残った家族を中心に映して行ったのでした。ある家族の子供は、頭が異常に大きくなり、又、子供が生まれて来ても未熟児であったりして死んで行くのでした。新しいゴミが来なくて食べるものも買えず、隣の人に借りるのも断られ仲間内から物を取ると言う事迄やって生活して行く悲惨な話でした。
何故か数年前に、日本のホームレス夫婦が高速の下で国道と思われる所で生活しているドキュメントが思い出されました。最後にその家族達の笑顔の光景、解決策は無く袋小路に入って行く話でした。
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