論述『神の慰めの書』の補遺として読まれてきた説教「高貴なる人について」の中で、エックハルトは、離脱の経験と人間の魂の解放作業とを説くために三つの暗喩を提示している。
第一の暗喩において、人間の魂は井戸に比される。
その井戸の底には神の像が生ける源泉のように秘められている。この源泉は、人がそこに投げ入れたありとあらゆる地上のものによって覆われてしまっている。この状態での離脱とは、それら源泉を塞いでしまっているものを取り除くことからなる。
神の像、神の子は魂の根底にある一つの生ける泉、滾々と水の湧き出る泉の如くである。然しもし誰かがそこに土を、というのは地上的なる欲望を投げ入れるならば、それは泉を妨げ覆い、泉は認識されず気が付かれなくなる。しかもなお、泉はそれ自身において生きつづけているのであり、外から投げ入れた土が取り除かれるならば、泉は再び顕現し認識されるようになるのである。(上田閑照『エックハルト 異端と正統の間で』講談社学術文庫、1998年、365頁)
魂の解放作業は、主に人と神との関係を修復することからなるが、特には、魂の最内奥に現前する神の像を、すっかり覆われてしまうこともあるがそれでもそこにありつづける神の像を現れさせることからなる。