内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

マイスター・エックハルト全ドイツ語著述仏訳一巻本について

2016-08-19 21:43:20 | 読游摘録

 昨年、Seuil 社から、Maître Eckhart, Sermons, traités, poème. Les écrits allemands が堅牢な装丁の一巻本として出版された。これまでにすでに仏訳されていた説教・著述だけでなく、初訳の説教も十数収録され、全部で百十九(L. Sturlese 版による)の説教が収録されている。それらの説教の中には異本を収録している場合もある。著述ならびに Quint 版で八十六番までの説教の仏訳は、名訳の誉れ高い Jeanne Ancelet-Hustache の再録であるが、八十七番から百九番までの仏訳は、編者の Eric Mangin による(同氏には今月二九日のストラスブール大学神学部での博士論文審査のときに初めてお目にかかることになる)。
 本書について特筆すべきことは、これが初めてのエックハルト独語著作全集であるばかりでなく、説教の配列が J. Quint と G. Steer による校訂版の配列、つまり説教本文の真正性の高さの順序によってではなく、L. Sturlese による典礼暦に従った配列になっていることである。この配列によって、本書の頁を追うことでエックハルト独語全説教をそれが教会暦の一年の中で語られた順にしたがって読むことができるようになった。
 本書には編者 Mangin 氏による三十八頁に渡る序論が巻頭に付されている。その内容は、一般の読者を主に想定していると思われる啓蒙的な内容になっているが、その中で特に私の目を引いたのは、ヴァージニア・ウルフについて一頁余り割いて言及している箇所である。同氏は、ウルフ作品とエックハルト説教との間に、生命をそれとして言い表すことの困難とそれ故にこそ生まれてくる表現への志向における照応性を認めている。私には俄に納得しがたい所説なのだが、明日の記事でその当該箇所を検討してみよう。