内奥がそれと区別されなくてはならない第二の概念は、「私的なもの・個人的なもの」(« le privé »)である。この概念は、公的なもの・交際・関係性と対立するものとして定義できる。内奥は、反対に、繋がりの秩序に属する何ものかである。確かに、内奥は、隠されたもの、秘されたもの、眼差しを逃れるものを指す。それは、「魂の中の小さな城塞」(ドイツ語説教二)であり、そのうちでは誰も、神さえも、何も見ることができない。
しかし、内奥の内的孤独は、孤立ではない。その孤独は、神と他者たちへの別種の関係を確立する。内奥は、同時に隔たりと近さなのである。内奥の窪みにおいて、万物は私たちの近くにあり、それゆえ、内奥において、私たちは、決して独りではない。