内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ストラスブール大学神学部での博士論文審査を終えて

2016-08-30 11:18:09 | 雑感

 昨日の午前中は、ストラスブール大学神学部に提出されたマイスター・エックハルトと西谷啓治・上田閑照に関する博士論文の公開審査であった。
 審査委員は、リヨンでアンリ・マルディネに直接教えを受け、ストラスブール大学神学部哲学教授でこの博士論文の指導教授であり、今月末で定年退官する Yannick Courtel、Institut catholique de Lyon の准教授(博士論文指導資格 HDR所有者) Éric Mangin、ベルギーのルーヴァン・カトリック大学教授で私の博士論文の審査員の一人でもあった Bernard Stevens と私の四人。
 指導教授は規則上審査団の委員長になる資格はなく、二人の外部審査員は事前審査報告書を書いており、この二人も規則上委員長になることができない。したがって、私が審査委員長になるしかなかった。委員長といっても、いわば司会進行役であり、公開審査の席では大した仕事もない。ただ、審査後に最終報告書を書かなくてはならず、この最終報告書が審査された博士号取得者の今後の研究者人生にずっとついてまわる極めて重要な書類なのである。
 審査そのものは規則に則って滞りなく進行し、約三時間半で終了。審査結果は、ストラスブール大学独自の規定に従ってなされるので、いわゆる mention はなく、四つの基準に関して、四段階で評価する。秀・優・良・好とでも考えればいいだろう。四つの基準のうち、論文そのものについては、学問性と表現力において最高評価の秀、口頭発表と質疑応答に関しては優という高評価。この評価は、審査最後の博士号授与の宣言の際に本人に直接口頭で伝えられる。これも委員長の仕事である。
 審査を受けたのがドミニコ会修道士だったので、審査が行われた salle Fustel de Coulange には十数人の「兄弟」たちが傍聴に来ていた。審査後、審査が行われた大学宮殿のすぐ近くにあるドミニコ会修道院でお祝いの昼食会。同修道院専属の調理人が腕によりをかけて作ってくれた料理の数々を、審査には来られなかった修道会のメンバーも加わって総勢二十数人でワインと一緒に賞味しながらの楽しい一時であった。
 昼食会後、他の三人の審査員と別れ、自転車で帰宅。最終報告書はその三人の審査ノートを送ってもらってから私自身のノートと合わせて編集するので、それが届くまでは一休み。夏休みの終わりの一仕事を終えて少し安堵している。















 


常に輝く陽の光 ― 説教「高貴なる人について」(二)

2016-08-30 11:00:34 | 読游摘録

 「高貴なる人について」の中で離脱の経験と魂の解放作業とを説明するための神の像の第二の暗喩は、第一の暗喩での神の現前の恒常性を引き継ぐ形で導入される。それは恒常的に輝く太陽である。たとえ眼はいつもそれを知覚しないとしてもである。

Le soleil luit sans interruption, cependant, quand un nuage ou un brouillard s’interpose entre nous et le soleil, nous ne voyons pas sa lumière. De même quand l’œil est faible, malade ou voilé, il ne perçoit pas la lumière (Maître Eckhart, Traités, traduction et introduction de Jean Ancelet-Hustache, Éditions du Seuil, 1971, p. 147).

 つまり、人が必ずしも陽の光を見ないのは、眼と太陽との間に入り込んでくる外的障害のせいか、あるいは、眼それ自身の弱さか病による。いかなる場合でも、太陽そのものを非難してはならない。
 魂の解放のための離脱は、それゆえ、魂と神との間に入り込んでくるすべてのものを、外部世界においても内面世界においても、消滅させることである。