内奥がそれと区別されなくてはならない第三の概念は、「親密性」(« l’intimité »)あるいは「内面性」(« l’intériorité »)である。ドイツ語では、それぞれ innerkeit と innicheit である。親密性が指し示しているのは、己の家に憩い、己自身の内部に閉ざされ、外部世界から遠くにあることである。それとは反対に、内奥においては、「誰も己の家には居ない」(ドイツ語説教四八)。内奥は、すべてのものの至近に寄り添う一つの在り方を私たちにもたらし、さらには私たちを外部世界へと開き、具体的な生活において働くことを可能にする。
エックハルトにおいては、内奥と実存とには強固な結びつきがある。「神が汝を内的に魂の最内奥へと向かわせなければならない[…]というのも、汝の生はそこにあるからであり、そこにおいてのみ汝は生きるからである」(説教三九)。内奥は、人間に十全に生き、生をゆっくり味わうことを得させるものなのである。なぜなら、内奥は、おそらく、自由の一つの形であり、真正な実存の条件だからである。
すべてのものを内奥から生きること、それは、実存の味覚を思い出し、自分のものではない異なる世界の味わいを取り戻すことである。