内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

絶望によく似た希望

2016-08-07 07:55:40 | 読游摘録

 聖賢曰「暑さは人を獣にする」。我独白「暑さは人を怠け者にする」。
 というか、この暑さであるから、外出を控え、家でダラダラするくらいがちょうどいいのだと思う。日本こそ夏のヴァカンスを必要とする国だと常々思っている。皆が少し時期をずらしつつ交代で一月くらいヴァカンスを取れるようなゆとりある国に日本がなるのは、しかし、プラトンが描いた理想国家の建設よりも困難なことなのかも知れない。
 『ギリシア宗教発展の五段階』第三章「前四世紀の大学派」(”The Great Schools on the forth century B. C.” )のプラトンの政治哲学に関する箇所を読んでみよう。
 都市国家の没落を目の当たりにしていたプラトンは、その原因たる民主政治(衆愚政治)に、それに侵されたアテナイ市に嫌悪を感じていた。しかし、それでもなお、プラトンは都市に対する信頼はこれを持ち続けた。もし都市というものが正しい道に載せ得られさえすればと。
 プラトンの民主政治の分析は、しかし、今もって政治学説中最も光彩あるものの一つであることを失わない。「それは極めて鋭利に、極めて諧謔に富み、極めて情愛のこもったものである。そしてそれぞれ世界の多くの違った時代においてその時代時代の現実社会を如実に写したかに思われて来た。」(藤田健治訳。”It is so acute, so humorous, so affectionate; and at many different ages of the world has seemed like a portrait of the actual contemporary society.” )
 民主政治へと堕落した人間性の現実を目の当たりにしながら、前五世紀の栄光の時代の子であるプラトンは、政治そのものから心をそらすことはできなかった。

The speculations which would be scouted by the mass in the marketplace can still be discussed with intimate friends and disciples, or written in books for the wise to read. Plato's two longest works are attempts to construct an ideal society; first, what may be called a City of Righteousness, in the Republic; and afterwards in his old age, in the Laws, something more like a City of Refuge, uncontaminated by the world; a little city on a hill-top away in Crete, remote from commerce and riches and the 'bitter and corrupting sea' which carries them; a city where life shall move in music and discipline and reverence for the things that are greater than man, and the songs men sing shall be not common songs but the preambles of the city's laws, showing their purpose and their principle; where no wall will be needed to keep out the possible enemy, because the courage and temperance of the citizens will be wall enough, and if war comes the women equally with the men 'will fight for their young, as birds do'.

市場においては群集に侮られて斥けられるべき思弁もなお親しい友人や弟子たちと討論され、賢い人々の読むために書に書きしるされ得る。プラトォンの二つの長編は理想社会を建設する試みである。初めには、国家編中の正義の市ともよぶべきものが、後には晩年、法律編中において世の汚れにそまぬむしろ隠栖の市にも似たものがそれである。それは商業と富と富を運ぶ「人を堕落に導くからき海洋」から遠いクレェテェ島の丘の頂きに立つささやかな市である。そこでは日々の生活は音楽と修練と人間よりも偉大なさまざまの事象に対する崇敬とのうちに動いて行き、人々の謡う歌は平俗(よのつね)の歌ではなくて人の世の目的と原則とを示す国法の冒頭のようなものであるべく、またそこには市民の勇気と節制は城となり干(たて)となるに十分であるが故にあり得べき敵を防ぐべき城壁の必要がない。そして一朝戦となる時は女も男と同等に「鳥のするように幼けなきもののために戦うであろう。」(藤田健治訳)

This hope is very like despair; but, such as it is, Plato's thought is always directed towards the city.

このような希望は絶望に近い。しかしまさにそうではあるが、プラトォンの思索はいつも都市へと向けられているのである。(藤田健治訳)