今日、先月末の集中講義の最終課題として学生たちに課したレポートを読んだ。昨日が提出期限だったが、全員期限までに提出してくれた。
論述にあたって与えられた条件は三つあった。長さは二千字程度。技術・身体・倫理という三つの主題を相互に関連づけて、現代社会の或る一つの問題に絞って論じること。集中講義中に取り上げた西田、三木、和辻のいずれかの所説に論述の中で少なくとも一回は言及すること。
皆それぞれに集中講義の中で行った議論を踏まえつつ論じてくれていた。講義の最終日には、学生たちにそれぞれ課題のプランを発表してもらい、それについて出席者全員の間で質疑応答を行ったので、それも考慮しつつ立論してくれたレポートもあった。
それぞれのレポートについてのコメントと講評は先ほど書き終えた(後で各自に送信します)。総評としては、字数制限に応じたバランスのとれた構成が難しかったようだ。提起された問題が大き過ぎて、提示された論点について論じ切れていない。性急な断定が目立ち、一つの問いを順序立てて深めていくという展開ができていない。
講義中に学生たちに聞いて驚いたことがある。修士課程だというのに、平常点だけで成績を出し、レポートを課す先生が少ないというのである。その理由は、セメスター制のために成績提出期日が早いからだという。これでは書く力がつくはずがないではないか。レポートに見られる構成力の弱さにその力不足が露呈している。
どうするか。自分で書く力を鍛えるしかないであろう。
文章を書く力をつけるには、スポーツと同じで、まずは基礎的なトレーニングから始めなければならない。日記のように思っていることを漫然と書いても力はつかない。長さを例えば四百字に決めて、その枠の中で一つのよく限定された論点について議論を組み立てる。これを毎日一年間続けること。休んではいけない。長さに応じて議論の構成を考える基礎力をこの練習によって養う。
これだけでは十分ではない。これもスポーツと同じで、ちゃんとしたコーチについてアドヴァイスを受けつつ練習しなければ、自己流の癖がつくだけで上達しない。コーチを見つけることが難しければ、次善の策として、相互批評がある。何人かで互いの文章を批評し合う。そうすることで自分の欠点も見えてくるだろう。
言うまでもないと思うが、書くだけでは書く力はつかない。手本となる文章をたくさん読まなくてはならない。栄養を適切に補給しなければ、必要な体力がつかないのと同じである。
学生たちの今後の研鑽に期待する。