昨日の記事の終わりで少し触れたように、動詞 innerver は、「(有機体のある部位に)神経組織を分布する」という意味で生理学・解剖学の専門用語として1820年代半ばから使われるようになりました。ラテン語で神経を意味する nervus から作られた語です。用例の初出としては、名詞 innervation の方が若干早い。それは、おそらく、神経組織の分布の動的な形成過程の考察よりもそれが形成された後の安定的な状態の観察が先行していたからであろうと推測できます。
二十世紀に入ると、この動詞 innerver と名詞 innervation との転義的用法が現われます。主に、交通網について、それがあたかも「(ある地域に)神経組織のように張り巡らされていること、あるいは、それをそこにそのように張り巡らすこと」を指すときに使われるようになるのです。二十世紀半ばには、代名動詞として主に受動的用法(「神経組織が分布される、あるいは、神経組織のように、何かが分布される」という意味)で使われるようになります。ここから再帰的用法(「己自身を神経組織として、あるいは神経組織のように、自己形成する」という意味)への転用が発生することは容易に想像できるでしょう。
TLFi(Le Trésoir de la Langue Française informatisé)の « innervation » の項には、転義の用例として、ポール・ヴァレリーの『現代世界の考察』(Regards sur le monde actuel, 1931)の序文(Avant-propos)から一文引用されています。 その前の一文も一緒に引用しましょう。
L’élécricité, du temps de Napoléon, avait à peu près l’importance que l’on pouvait donner au chrstianisme du temps de Tibère. Il devient peu à peu évident que cette innervation générale du monde est plus grosse de conséquences, plus capable de modifier la vie prochaine que tous les événements « politiques » survenus depuis Ampère jusqu'à nous (Œuvres, vol. II, coll. « Bibliothéque de la Pléiade », 1960, p. 919-920. Nous soulignons.).
ナポレオン時代における電気の登場は、古代ローマ世界においてティベリウス帝(イエス・キリストが磔刑死したときの皇帝)の時代に原始キリスト教の出現がもたらした衝撃にほぼ匹敵する重要性をもっていた。世界中が電気によって神経組織のように網状組織化されていくことは、その間の一切の「政治的」出来事よりも巨大な結果をもたらし、向後の人間の生活をより決定的な仕方で変化させうることが今徐々に明らかになりつつある。
1930年代初めにヴァレリーはこう言っているのです。それから八十年以上が経過している現代世界に生きる私たちは、ヴァレリーが電気と言ったところをインターネットに置き換えれば、やはり同じようなことが言えるのではないでしょうか。
さて、昨日の記事を書いている時点では、今日の記事で一気にペリエの序文の中の innerver の用法の分析にまで進みたかったのですが、これからそこまで行くとなると、仏語引用も含めて一日の記事としては長くなりすぎると思い、今日のところはここで切り上げることにします。
それに、拙ブログの今回のテーマからは横道に逸れることにはなりますが、ヴァレリーの『現代世界の考察』をこの機会に味読しておくことは、知的精神活動に必要な栄養補給ために、それぞれに滋養たっぷりな複数の食材をそれまでにない洗練された仕方で組み合わせることで生まれた極上の料理を味わうような楽しみと喜びを与えてくれることでしょう。