スタロバンスキーの L’encre de la mélancolie に収録された « Des « négateurs » et des « persécutés » » という論考の脚注の一つに、ボードレールの『悪の華』の中の « Spleen » と題された一連の四つの詩のうちの二番目 « J’ai plus de souvenirs que si j’avais mille ans. » に関連して次のような指摘がある。
On sait que, selon Binswanger et Tellenbach, la mélancolie se caractérise par la perte de la capacité de pro-tension vers l’avenir et par la rétention exagérée d’un passé chargé de culpabilité. On ajoutera que, la mort faisant partie de notre avenir, il devient explicable que la conscience se sente immortelle ou déjà morte en raison même de sa « régression » et de sa perte d’avenir (J. Starobinski, op. cit., p. 536-537, n. 3).
ビンスワンガーとテレンバッハによれば、メランコリーは、未来を予め把握する能力の喪失と罪悪感を帯びた過去への過度の固執とによって特徴づけられる。スタロバンスキーはそれに加えて、死は未来に属するがゆえに、意識が過去へと後退し未来を失ったメランコリー状態にあるとき、まさにその同じ理由で、あるいは己を不死と感じ、あるいは既に死んでいると感じるという相反した想念が発生することが説明可能になる、という。
死はまだ私たちに訪れていない限りにおいて私たちの生に現前するのだとすれば、死が訪れるであろう未来が失われれば、それとともに死も消失し、したがって、自分は不死だという想念が発生しうる。しかし、他方、それとはまったく逆に、不可避なはずの死がもう訪れないということは、自分はすでに死んでしまっているのだという想念を発生させうる。
メランコリーが不死と既死という矛盾した想念を発生させうる理由がここにある。