今日私たちが「メランコリー」という言葉に与えている意味と古代ギリシャにおける「メランコリア」の意味との間には、言うまでもなく、相当にずれがある。それに、古代の病因論は、それ固有の自然観に基づき、それに応じた語彙によって記述されている。その記述は、だから、今日の医学からすればまったく荒唐無稽に見えるところもあるだろう。
しかし、紀元前五世紀から四世紀にかけてヒポクラテスによって体系化された古代医学が中世末期までの西洋精神史における人間身体論と世界像の形成にとって決定的に重要な役割を果たしたことを忘れてはならないだろう。それは、陰陽道をまったく非科学的な迷信として片付けてしまっては、日本古代の精神史は理解できないのと同様である。
ヒポクラテス文書の中にも見出だせることだが、古代ギリシャにおいてメランコリアという語は二重の意味を負わされている。一方では、病因性のない気質としての一定の傾向を意味し、他方では、その気質の過剰あるいは変性による精神疾患を意味する。いずれの場合も、メランコリアは、その発現において身体にではなく知性に関わる秩序の傾きあるいは「乱れ」と考えられた。
この乱れは、しかし、矯正あるいは治療されるべき疾患とは限らない。なぜなら、この乱れがある種の特異な能力や達成をもたらすからである。それは、精神の優位を授け、英雄的な召命に伴い、詩的あるいは哲学的な天才と切り離し難いことがある。
昨日の記事で取り上げた伝アリストテレス『問題集』第三十巻に見られるメランコリーに関するこのような積極的な言明が以後の西洋文化史の上に多大な影響を及ぼすことになる。