内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

思想史の方法としての innervation ― 思想の自己組織力を回復させるための一連の縫合作業

2017-05-24 14:06:57 | 読游摘録

 それでは、動詞 innerver が出てくるペリエの序文の一節を読んでみましょう。

Malgré l’inachèvement, la méthode d’exposition choisie par Jean-Michel Palmier ne laisse pourtant dans l’ombre aucun des textes majeurs de Walter Benjamin et par son autonomie même, l’itinéraire théorique publié ici le montre à chaque ligne : les analyses esthétiques ou politiques sont en permanence mêlées aux traits biographiques ou historiques. Tout événement singulier est comme un étoilement sur l’espace conceptuel du philosophe allemand, ses fines ramifications innervent discrètement chacune de ses problématiques et d’écrit en écrit, les moments théoriques répondent de l’expérience vécue (Florent Perrier, « Avant-propos » à Jean-Michel Palmier, Walter Benjamin. Un itinéraire théorique, op. cit., p. XIII. Nous soulignons.).

 未完の大著とはいえ、パルミエがその中で採用した提示方法はベンヤミンのいかなる主要テキストも隠れたままにしておくことはありませんでした。それは、ベンヤミンの生涯と作品を一つの生ける理論の自律的な行路として提示している本書のいたるところで確認できることです。美学あるいは政治にかかわる分析は、つねに伝記的あるいは歴史的特徴と結び合わされています。あらゆる特異な出来事が、ベンヤミンというユダヤ系ドイツ人哲学者の概念空間上に、星のように四方八方に光を放っています。この空間上の細やかな分岐状の広がりが、そこに提起される問題群のそれぞれをそれと目につかぬ仕方で神経網のように組織化していきます。テキストからテキストへと、理論的契機によって生きられた経験に保証が与えられていてきます。
 このような文脈で、動詞 innerver が意味していることは、問題群のそれぞれについてその構成要素をあたかも神経組織のようなある広がりを持った一つのまとまりとして形成し、そのようにしてできたまとまりを、今度はその他のまとまりとも結びつけてより大きな神経組織網を形成し、しかも、それらの問題群が提起される中で起こる様々な出来事もそれぞれその網状組織形成過程の有意味な契機として統合することだと思われます。
 このような方法的態度は、ある一人の思想家の生涯と作品の中からある特定の側面のみを切離すことで、その生ける思想が本来持っていた自己組織力を切断してしまう「人工的措置」に真っ向から反対する態度だと言うことができると思います。動詞 innerver によって象徴される作業は、したがって、神経が本来有っている自己組織力を回復させるために必要とされる一連の措置だと言うことができるのではないでしょうか。
 しかし、それはただ再生だけを目的とした「縫合術」ではありません。その作業を通じて、一人の思想家の生涯を貫いているものを浮かび上がらせる解釈の極を提示することでもあります。そうすることによって、一つの生ける星座、相互に照応する諸契機からなる一つの世界のイメージを形成しようとしているのです。

Soucieux de rétablir une innervation souvent coupée par des interprétations réduites à des aspects artificiellement isolés, Jean-Michel Palmier relie les morceaux épars de l’œuvre à un pôle interprétatif commun — la permanence des catégories théologiques, des thèmes romantiques et messianiques, un anarchisme jamais abjuré depuis ses écrits de jeunesse jusqu’aux Thèses de 1940 — pour former l’image d’une constellation vivante, un monde de correspondances (ibid., p. XIV. Nous soulignons.).