内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

他なるものへの共感力のエクササイズとしての歴史学習

2017-05-13 22:52:06 | 講義の余白から

 今日は一日、火曜日に行った日本古代史の試験の答案の採点をしていました。実は昨日もバカロレアの口頭試問の合間の昼休み中、試験会場の教室で採点していました。でも、採点まだ終わっていません。答案あと六枚残っています。それらは明日の午前中に採点します。
 答案は全部で三十六枚だけですし、小論文はA4一枚に収めることを絶対条件としたので、量的には大したことないのです。問題の出し方によっては、半日で採点することも可能な分量です。でも、一枚一枚の答案を少なくとも三回は読み直し、点数を付ける前にそれぞれの答案に講評を書いているのでどうしても時間がかかるのです。この講評は点数と同時に大学のサイトで履修学生たち全員に公開します。
 こうするのには私なりに理由があります。5月2日の記事でこの講義の試験問題を話題にしたときに述べたように、試験一週間前に学生たちに問題を公表しました。答案作成の準備のための時間をたっぷりとあげるためです。与えられた問題にじっくりと取り組んでほしかったからです。うれしいことに、ほとんどの学生が私の意図を理解してくれて、こちらの期待に十二分に応える力作答案を書いてくれました。それもいくらかは楽しみながらやってくれたんだなとわかる内容でした。そのことを伝えるためにすべての答案の講評を公開します。
 A4一枚を厳守させたので、それこそ米粒のように小さい字でびっしり書いている学生が多くて、答案提出時に「先生、こんな小さな字でごめんなさい」と謝る学生もいたのですが、それに対しては、「いいよ、いいよ、望むところだから、気にしないで。こっちも頑張って読むからね」と答えました。ただ、正直に言うと、実際にはかなり読むのに難儀しました。
 でも、いいんです、これで。なぜなら、己の知力と想像力とを駆使して、歴史の中の二重に遠い時代に身を置いて、そこで自分がどの観点から物を言っているのか、その観点によって物の見方がどれほど変わってしまうものなのか、ということを考えながら答案を書いてほしいというこちらのメッセージは確実に伝わったことが答案を読みながら確信できているからです。
 どの時代どの国に生きていようとも、信じていることによってその人の世界像は規定され、その世界像の中で喜び、愛し、悲しみ、憎む。そのことの人類的な普遍性を歴史の個別的・具体的な細部への注意と共感力を高めつつ忘れずに生きること、それが歴史を学ぶことの意味の少なくとも一つではないだろうか、そう私は学生たちに伝えたいのです。