「創造の病い」の原語は、英語で creative illnesse、医学史の大家で自身精神科医だったアンリ・エランベルジェ(1905-1993)が提唱した概念。その記念碑的大著 The Discovery of the Unconscious. The History and Evolution of Dynamic Psychiatry (日本語版は、『無意識の発見―力動精神医学発達史』、上下二巻、中井久夫・木村敏監訳、弘文堂、一九八〇年。本書では、著者名がそのスイスの祖先の名の発音により忠実にエレンベルガーとなっている)の中でも、フェヒナー、フロイト、ユングらの独創的な仕事をもたらした決定的契機として「創造の病い」が導入されている。
エランベルジェを師の一人として仰ぎ、その人柄を「謙抑含羞の人」と形容する中井久夫による日本語版あとがきは、情理を尽くした著者紹介になっている。私の手元にはこの高価な日本語版二巻本はないが、幸いなことに、手元にあるちくま学芸文庫版「中井久夫コレクション」の一冊『私の「本の世界」』(二〇一三年)の中にそのあとがきが収録されている。しかも、日本語版刊行後に著者エランベルジェ自身から送られてきた書簡による補訂版である。
「創造の病い」とは何か。中井久夫は『治療文化論』(岩波現代文庫、二〇〇一年)の中でそれをこう説明している。
抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、何か新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的人格という人格変容をきたす過程である。(59頁)
興味深いのは「創造の病い」が通常の疾病分類に入りえないことである。フェヒナーはうつ病だそうであり、フロイトは神経症、ユングはほとんど分裂病に近かったであろう。ウェーバーは重症うつ病だとされる。ウィーナーは何と肺炎に起因する症候性精神病である。(59-60頁)
おそらく、分裂病・うつ病と推定された人も含めて、多少の意識混濁あるいは意識変容が必要なのであろう。「創造の病い」においては何らかの形の意識混濁あるいは変容が伴うと私は思うのだが、その理由は、それなくしては、過去と未来と現在とが一望の下に見えるような、そして、その中で、創造的な仕事の条件である「思いがけないものの結合」が起こらないからであろう。(60頁)
エランベルジェの著書で私の今手元にあるのは、『無意識の発見』新訂仏訳 Histoire de la découverte de l’inconscient, Fayard, 1994 と同新訂仏訳出版に尽力したエリザベート・リュディネスコ編集の論文集 Médecines de l’âme. Essais d’histoire de la folie et des guérisons psychiques, Fayard, 1995 の二冊。残念なことに、みすず書房から三巻本として刊行されている『エランベルジェ著作集』(中井久夫訳)第二巻には、1964年にカナダの哲学雑誌に発表された仏語論文 « La notion de maladie créatrice » の邦訳「「創造の病い」という概念」がちゃんと収録されているのに、上掲の仏語論文集にはそれが収録されていない。この論文の要旨や紹介はネット上で簡単に見つかるのだが、この論文そのものは閲覧できない。そこで、差し当たり、『無意識の発見』仏訳を手掛かりに、もう少し、「創造の病い」についての理解をこの機会に深めておきたい。