内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新しく購入したパソコンを使いながらこれからの労働形態・教育形態について愚考する

2020-05-16 23:59:59 | 雑感

 この記事は今日入手したばかりの新しいノート型パソコンで書いている。最新の HP Spectre x360 Convertible 13 で、スピーカをキーボード上方から底部両脇に移動させたことで昨年購入した同機種よりも、更にコンパクトかつ軽量になっている。処理速度も格段に向上しているし、バッテリー駆動時間も長くなっている。安い買い物ではなかったが、いつも複数台のパソコンと iPad と iPhone とを同時に稼働させながら仕事しているから、それらすべてが快適な操作性をもたらしてくれることがストレスなく仕事するためにはどうしても必要だ。
 しかし、それは昨日の記事で詳述したようなトラブルの可能性をつねに抱えながら仕事しているということでもあり、その発生に即時対処できるだけの備えが必要だということでもある。テレワークは、それだけ機械への依存度を高め、職場であれば容易にスタッフの協力を得て解決できる問題も自分一人で処理しなくてはならない。
 企業であれば、テレワークに必要な機材は社員に無償で提供されるであろう。日本の諸大学の対処の仕方は一様ではないようだが、今後、オンライン授業が主流になれば、そのために必要な機材は各教員に無償で提供されるか、あるいは機材購入費用は大学で負担すべきであるが、それがどこまで可能なのか私にはわからない。フランスの大学の場合、まずほとんど何も期待できない。そもそも個人研究費さえ存在しない国なのだから。各教員への経済的に有意味な援助は、はっきり言おう、金輪際期待できない。
 しかし、より質の高いオンライン授業を行うには、内容の充実という問題以前に、あるいはそれとは別に、発信する側の機材がまず十分に高機能であるという条件が満たされていなければならない。例えば、パソコン内臓のカメラやマイクより高性能なものを使うことが望ましいだろう。今後数ヶ月のうちに、オンライン授業用のさまざまな製品やアプリが開発されていくと思われる。それはそれで経済をいくらかは活性化させると期待していいのだろうか。
 他方、いくら発信側を充実させても、受け手である学生の側でそれを十分に享受するだけの接続環境を公平に提供するのは遥かに難しい問題だ。ここで大学間格差、学生間格差、分野間格差が顕著に現れるだろう。そして、ポスト・コロナの世界に「ついていけない」教員と大学の「淘汰」はもはや不可避であろう。