内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

魔女と箒と中世伝説 ― エニシダのヨーロッパ文化史散策

2020-05-29 13:46:15 | 読游摘録

金雀枝や基督に抱かると思へ

 塚本邦雄『百句燦燦 現代俳諧頌』(講談社文芸文庫 2008年 初版 1974年)の劈頭を飾るのは石田波郷のこの一句である。
 塚本邦雄のこの句の鑑賞は、「深讀みの要はない」と言っておきながら、凡夫には思いも及ばぬ驚嘆すべき深読みを披瀝している。その深読みの次の一節が目に止まった。

「えにしだ」は西班牙語「hiniesta イニエスタ」の轉訛、ゆゑにイエスとの匿れた音韻の重複を避け、あへて基督と、それも漢字表記にしたのだとも考へられる。

 深読みに感嘆したわけではない。金雀枝(エニシダ)がスペイン語に由来すると知って、「えっ」と驚いたのである。ただ私が無知なだけの話であるが、ちょっと調べてみると、そのヨーロッパ文化史が面白い。
 まず『日本大百科全書(ニッポニカ)』で調べてみた。

伊藤伊兵衛の『地錦抄附録(ちきんしょうふろく)』(1733)によると、日本には延宝年間(1673~1681)に渡来したとある。書物に出るのは『増補地錦抄』(1710)が最初で、エニスタの名があがる。『地錦抄附録』にはエニスダと書かれ、のちにエニシダとなったが、その語源はラテン語のゲニスタ genista で、オランダ読みのヘニスタから由来した。イギリスのプランタジネット plantagenets 朝(1154~1399)は、エニシダを意味するラテン語のプランタ・ゲニスタ plan ta genista にちなむ。また、花や茎には興奮性のアルカロイド・スパルチンが含まれているが、イギリスではかつてつぼみや鞘を塩漬けにして食べたり、若芽をホップの代用にした。中世ヨーロッパの伝説では、魔女はエニシダでつくった箒にまたがって空中を飛ぶが、エニシダはヨーロッパでは、実用的な枝箒として使われていた。

 塚本の言とは異なり、エニシダという名はオランダ語のヘニスタに由来するとある。渡来の時期からすると、こっちに分がありそうである。
 ところが、『世界大百科事典』のエニシダの項の「伝説」(執筆者は荒俣宏)は次の通り。

エニシダはラテン語でゲニスタ genista と呼ばれる。アンジュー公国のジョフロア伯がこれを兜に挿して戦った故事から,プランタジネット朝(Plantagenets,〈エニシダの木〉の意)の名が生まれたといわれる。同公国に関係した伝説では,ほかにフルク王子の物語があるが,これは,兄を殺して王位に就いた王子が良心の呵責に耐えかねエルサレムへ巡礼し,毎晩エニシダでみずからをむち打ったという話である。イギリスではリチャード1世がエニシダの紋章を玉璽に彫り込んで以来,公式の国章とみなされている。英語の broom がエニシダとともに〈ほうき(箒)〉の意味をもつのは,この枝を束ねてほうきにしていたためで,魔女はこれにまたがり飛行すると信じられていた。ヨークシャーでは結婚前の娘がエニシダのほうきの柄をうっかりまたぐと,私生児を産み落とすといわれる。なお日本語名エニシダは,genista のオランダ語読みヘニスタから転じたもの,あるいは genista から派生したスペイン語イニエスタ hiniesta がなまったものなどの説がある。花言葉は〈清楚〉〈熱情〉。

 スペイン語轉訛説も排除されてはいない。ちなみに、フランス語では、genêt が通用名だが、プロヴァンス地方では古フランス語の gineste が現在も通用している。
 箒として使われていたから、花言葉が「清潔」「きれい好き」なのは納得できるし、「清楚」というのもわからなくはない。フルク王子の物語に由来する花言葉として、「卑下」「謙遜」というのもある。では、どうして「熱情」なのだろう。エルサレムまで巡礼したから? それとも、熱情は魔女の仕業だから? 『魔女の宅急便』のキキが使っていた箒もエニシダ製。魔女の棲むところにはエニシダが茂っていると中世では信じられていたらしい。でも、魔女はなぜ箒にまたがって空を飛ぶのだろう?