一日物云はず蝶の影さす
尾崎放哉の代表句としてよく引かれる句の一つである。この句については、拙ブログでもすでに二回、2013年8月10日と2015年2月9日に取り上げている。この句の私の鑑賞についてはそれらを参照していただければ幸いである。
放哉は、大正十三年六月、神戸の須磨寺大師堂の堂守となる。上掲句は俳誌『層雲』同年八月号に発表されているから、この句が作られたのは六月か七月である。
興味深いことに、この句の前半「一日物云はず」とまったく同じ表現が種田山頭火の句にも使われている。一つは、大正四年作の句である。
一日物いはず海にむかへば潮満ちて来ぬ
この時期、山頭火は、防府俳壇の中心的存在として活躍する一方、脚気に苦しみながらも、酒造場経営にも努力している。同年十月に酒倉の酒が腐敗し経営危機に陥るまで、山頭火の生涯の中では、比較的精神的に安定した生活を送っていた時期に相当する。
夏石番矢編『山頭火俳句集』(岩波文庫 2018年)に収録された一〇〇〇句の大半は、「句集や雑誌に発表されたものではなく、日記に眠っていた作品」である(同文庫解説485頁)。この句もそのような句の一つである。つまり、放哉がこの句を目にした可能性はない。
さらに興味深いのは、岩波文庫版でこの句の前後に再録されている句に蝶々が出てくることである。これはおそらく編者が意図してのことであろうとは思う。
蝶々もつれつゝ青葉の奥へしづめり
酒倉屋根に陽は渦巻きて蝶々交われり
この二句の間に上掲句を置いてみると、詠まれた季節は放哉の句とほぼ同じはずだが、放哉の句に表現された「恬淡無為」(荻原井泉水評)の境地とはまったく別の風光が立ち現れて来る。
そこに感じられるのは、複数の生命体の交歓と生命の充溢である。山頭火の眼は、もつれ合うように飛翔する番の蝶々を追い、それらが生い茂る夏の青葉の奥に入っていくまで見届けている。終日海辺に立ち、潮が満ちてくるのを待っている。それは生命の充溢が己のうちに流れ込んでくるのを受容する姿勢である。自らが経営する酒造場の酒倉の屋根に夏の陽光が渦巻く。その光の中で蝶々が交合する。
山頭火は、死の前年、昭和十四年に、もう一度、「いちにち物いはず」という表現を使っている。その句が表す風光は上掲句とはまた別の句境である。それについては明日の記事で書く。