内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

いったいなんのために頑張っているのか ― 居場所なき「非国民」の悲観主義的な独り言

2020-05-13 23:59:59 | 雑感

 以下、この非常時にあって不謹慎きわまりない「非国民的な」独り言を呟くことをどうかお許しください。
 フェイスブックを通じて、各大学で遠隔授業のためにまさに獅子奮迅のお働き、あるいは/そして、それぞれの場所で孤軍奮闘されている先生方の貴重なご報告を読ませていただきながら、未知の環境への適応力の高さ、柔軟な発想力、未曾有の困難を乗り越えていこうとする強い意志、コロナウイルス禍によってむしろ荷電された教育への情熱、学生たちへの深い愛情には、本当に心動かされます。他方、様々な困難に出遭い、多大なご苦労・ご心労に押し拉がれていらっしゃる先生方もいらっしゃることに、同業者として心を痛めております。
 数カ月後、遅くとも来年には、この困難な時期に生まれた数々の優れたアイデアを発展・拡充し、それらに技術的・物理的・経済的裏付けを与えることで、大学教育(だけではないでしょう)の形態が一新されることでしょう。それは「令和維新」と未来の歴史家たちが名づけるほどの革命的な変革をもたらすことになるのかも知れないと、来たるべきポスト・コロナの世界への大いなる期待とそれと同じくらい大きな戦慄を今この時抱いている次第です。
 ただ、度し難い捻くれ者である私は、ついこう独りごつことを自分に禁じることができないでいます。
 いったいなんのために頑張っているのだろうか。非常時だからと、こんなふうにとにかく頑張ってしまうことは、もしかしたら、今回のコロナウイルス禍の比ではない何かとんでもなく禍々しい世界への道を大慌てでそれと知らずに自ら準備してしまっていることにならないだろうか。
 もし二十年前に同じようなパンデミックが起こっていたら、教育機関はほぼすべて麻痺状態に陥っていたでしょう。学校は閉鎖、授業はすべて中止、連絡のつかない学生が多数発生、学校当局者同士であってもお互いに思うように連絡もつかない、偽情報が飛び交って大混乱といった事態に陥っていたかも知れません。目覚ましい通信技術の発達のおかげで、私たちは、現在、そのような制御不可能なパニックには陥らずに、「教育の継続性」をなんとか維持すべく奮闘できています。
 しかし、目の前の未曾有の問題の解決にすべての精力と知力を注いでしまうことで、私たちは本当に考えるべき問題をもっと広く深く総合的な視野と射程の長い歴史認識の中で考える時間を奪われていることも忘れるわけにはいきません。
 もちろん、継続性の維持は、単に教育の分野だけでなく、その他の分野、とりわけ司法・行政・立法・経済においては不可欠なのは言うまでもありません。
 それでも私はこう考えてしまうのです。
 もし人類がこれから先も存続していくことを望むのならば、目の前の継続性を金科玉条とするよりも、これまでの世界とは違ったこれからの世界はどのような世界であるべきなのか、一部のお偉い識者たちに考えてもらうのではなく、すべての人がそれぞれの場所でじっくりと考えなくてはいけないのではないか。継続性の維持と性急な自粛解除は、私たちからその考える時間を奪ってしまうことにはならないか。そのことがもたらす「災禍」は人類の未来にとって致命的かも知れない。