上掲歌は、一月十八日の記事で取り上げた「なきが儚さ」を結句とする歌に呼応するかの如くに塚本邦雄によって『王朝百首』中に撰じられた實朝のもう一首。『金槐和歌集』定家所伝本冬の部の最後に置かれている。その前の五首とともに「歳暮」という題の下にまとめられている。
この一首は、結句に文法上の問題があり、それゆえ解釈が分かれる。
「逢ふ」の未然形「逢は」に誂えの終助詞「なむ」が接続したと取るのが文法的には穏当なのだが、そうすると「(誰かに)春に出会ってもらいたいものだ」という意になってしまう。終助詞「なむ」は、「相手の動作の実現を希望する」の意だからである(旺文社『古語辞典』第十版)。
この一首は、しかし、實朝自身の感懐とみるのが妥当である。そこで、文法的には無理なのを承知の上で、岩波日本古典文学大系本のように、自分自身が「出会いたいものである」とする解釈がある。この解釈に従うと、「旧年の思い出もない新しい春に出会いたいものだ」というような、過去を振り捨てて未来に向かって希望を託すかのごとき意の歌ということになる。
しかし、自らの遠からぬ死を予感するかのような暗い眼差しが實朝の作歌への衝迫の基底にあるとすれば、この解釈は到底支持しがたい。
そこで考えうる別の解釈の一つは、新潮古典集成本の同歌の頭注にあるように、「ここは新年を待望しているとは思われない。「あひなむ」と同意に用いているのだろう」とする解釈である。「逢ひなむ」であれば、この「なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形に推量の助動詞「む」が接続した形であり、「きっと逢うことになるのだろう」という、「事態の実現を強く推量する意を表す」(旺文社『古語辞典』第十版)ことになる。
「あはなむ」をこのように「あひなむ」と同意であると考えることができるのならば、過ぎ去った年の思い出の痕跡さえなんら留めることのない、酷薄なまでに己の運命に無関心な春の到来を凝然と見据える實朝が立ち現われて来る。その眼の中には、未来への希望など欠片も見出すことができない。
『王朝百首』中の同歌の鑑賞文は、實朝の悲運に強く共振するパセティックな名文になっている(三一六頁)。
逝く年にも來る年にも思い出や期待をもたず、ただうつろな目を瞠いて中有を見据ゑてゐる青年の姿、二十八歳の横死を思えば一種慄然たるものがある。一首の調べも滯り口籠り、鎌倉振の冱えぬ響きながら、それがすなわち作者の心境を如實に現し、却つてうつくしい。「春にや逢はなむ」の結句など語尾を濁らせて口歪める實朝の表情が髣髴する。
彼は蹴鞠と和歌に耽り官位昇進に異様な熱意を示してゐた。しかしそれが目的でも本心でもなく、明日の見え過ぎる目、覺めきつた魂のよそほふ狂氣ではなかつたらうか。すべては虚無、源家が自分を最後として絶えることも、その虚無に通ずる必然に過ぎぬ。空の空なる短い人生を和歌と呼ぶ言葉の鏡に映し、ひたすら嘆き訴へる。その凄じい調べがすなはち『金槐集』一巻に滿ちてゐるのだ。