名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

残雪の野麦峠

2009年03月22日 | セカンドルーム

 

昨日は絶好の好天に恵まれて、野麦峠を往復してきた。
標高1.672mの高所にある峠は、積雪のため冬季半年間は閉鎖されている。
この峠は、明治から大正にかけて、飛騨の娘たちが信州の製糸工場へ通う時に、越えねばならない難所であった。
現在は主要地方道、野麦・奈川線で長野県松本方面へ抜けられるが、野麦集落の外れから旧街道を歩いて峠へ行く道が、昔の姿を留めて残っている。

 
静寂な森の中の小道や、眼下に飛騨川の源流を見ながら急峻な崖のトラバースなど、変化に富んだコースが楽しめる。
途中の地蔵堂を過ぎたあたりからは、雪も深くなり急斜面の道は雪崩に埋まって見分けが付かない。
そこを避けて、木の多いところを選びながら、小ピークを目指して登り切った所が峠の展望台で、観音像が建っていた。


登る途中は方角を間違えたかと、多少不安があったがドンピシャで着き、見下ろすとお助け小屋など峠の施設が視界に入りほっとした。


ここで乗鞍岳を眺めながらお昼の弁当を食べ、帰りは峠まで下って、そこから九十九折の地方道を歩くことにした。
雪の状態が悪く、和かんじきの浮力不足で、登り6キロに4時間、下り9キロに3時間かかった。
数年前に、糸引き工女の通った道を訪ねて、飛騨古川、河合村、美女峠付近の旧江戸街道、旧野麦街道を歩いた。
その時は初夏で季節もよく、幼い娘たちが2月から3月にかけて信州に向かい、暮れに飛騨に戻ってくる時の状況は想像出来なかった。
今回は好天に恵まれて、峠の往復を楽しむことが出来たが、真冬の峠越えで吹雪や雪崩、滑落などで命を落とした人が居ても不思議でない難所であった。


帰り道に野麦集落のお年寄りと話をしたが、つい最近まで20戸あったが今は10戸に減って、小学生は一人も居ないとのことだった。
小学校も廃校になり、若い人たちの仕事も無いので、村を去る人が多いようだ。
かつて日本の貿易を支えた生糸が廃れ、行き来する人たちで賑わった野麦峠は、人々から見捨てられてしまった。
「あヽ野麦峠」の映画化で観光地として蘇えったが、再び町村合併で過疎地の行政サービスは低下し、切り捨てられていく。
飛騨ではよく見かけられることだが、古い歴史や生活文化が引き継がれることも無く消えていくのは寂しい。

コメント (4)
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