名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

山頭火~最後の放浪

2015年06月27日 | 雑感


朝日カルチャーセンターの特別講座「山頭火~最後の放浪」を聴講してきた。
昨年聴いた「山頭火~歩いたり地球1周半」は、
彼の放浪の足跡をたどり、破天荒でぐうたらな
人となりや、自由な「生き様」が語られた。

今回はシリーズの集大成で、講師の大塚幹郎氏の
言葉を借りれば、「彼の最後の放浪を追いつつ、終活を
その死まで見つめます。」と言う言葉通り、彼の「死に様」が、
元テレビ局報道局長らしいインタビュー映像を交えて語られた。

昭和14年春、死に場所を求めて最後の放浪に出た山頭火は、
伊那谷の無宿俳人・井上井月、松山で夭折した天才俳人野村朱鱗洞、
小豆島で孤独死した尾崎放哉の墓に参った彼は、それぞれの
壮絶な「死に様」を心に秘めて、昭和15年秋に松山に戻った。

長い放浪で、シラミや垢まみれで異臭を放つ山頭火を、
温かく迎え入れ、寺の納屋を終の住処として与えられた。
昭和15年秋が深まるなか、句会が終わった後に酒に
酔っ払ったまま寝入って、59歳の生涯を閉じた。



講師の大塚氏は退職後の10有余年と、退職金を投入して
山頭火の足跡を辿って、ドキュメンタリーに纏めた。

定職を持たず行乞行脚で、好きな俳句を詠み、
酒に酔っ払ってころりの「死に様」には、大塚氏
ならずとも引かれるが、最後の句として紹介された
「濁れる水の流れつつ澄む」は、母と弟の自殺、神経症の
持病を背負った放浪の果ての、叫びのようにも聞こえた。


コメント (4)
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