今朝名古屋を出て高山に向かった。
暖かい春の陽気で、東海北陸道・長良川SAのタンポポが咲き乱れ、新緑がみずみずしい。
ひるがの高原SAで休憩していたら、冷たい風が吹き、にわか雨まで降ってきた。
強風にあおられて泳ぐ鯉のぼりが、何だか寒そうだ。
ここで高速を降りて、156号線を走った。
少し大回りをして、御母衣ダム畔の荘川桜を見物して来た。
残念ながら、樹齢500年の2本の巨樹は、まだ蕾が固く一部がほころび始めた程度だ。
周りには屋台が並び、見物客も訪れていたが、寒さに震えて早々に引き上げていった。
明日から連休が始まるが、残念ながら今年は開花が間に合わないようだ。
ダム湖の周りの山は芽吹き前で、干上がった湖底の光景からは、往時の暮らしが偲ばれ、わびしい気分になる。
途中で「蕎麦正」に立ち寄り、荘川の清流を見下ろしながら、源流そばを食べた。
高冷地で育ったそばを石臼で挽き、打ちたての蕎麦を出してくれるのでとてもおいしい。
昼過ぎに集落に着いたが、公民館の桜はようやく開花し、まもなく満開を迎える。
月末まで、山里の名残りを惜しみながら、あいさつ回りや引継ぎ、家の後始末などをする予定。
カウントダウンが大詰めになり、5月からは新生活?がスタートする。
山里暮らしは思い出だけを持ち帰り、ブログを含めてすべてを残したままで去ることにしました。
若い人が後を引き継いでくれるので、新しい「山里便り」が誕生するかもしれません。
心からの応援をありがとうございました。
とても寂しくお名残惜しいです。さまざなな山里便りを見せていただきました。青田の写真が目に浮かびます。ユキちゃんも可愛かったです。
ブログはもう閉じられるのですか? ますます寂しくなります。
名古屋でのますますのご活躍を応援しています。
本当に有難うございました。
桜は残っても、白川村と荘川村にあった合掌集落の多くは、各地の観光施設に移築されて、村は湖底に沈んでしまいました。
村民の反対運動も、高度成長期の国策に押し切られ、貴重な山村文化が失われました。
高い山の本格的な雪解けが始まるまでは湖底が露わになります。旧村民のみなさんは、桜の季節に各地から集まりますが、どんな思いで故郷を見つめるのでしょうか。
わさびが付いていて、ピリッとした摺りたてをたのしめます。都会のそばを食べて、思い出したりしたりしそうですね。
飼い主もユキ同様に、放し飼いは許してもらえそうもありません。
辛いですが、先住者に添うつもりです。
期待を裏切り心苦しいですが、ブログは今月末で閉じる予定です。
ご愛読ありがとうございました。
これで安心して名古屋へ帰れます。
ありがとうございます。浦島太郎ですが、次の人生も大いに楽しみたいと思ってます。
あれ程の樹齢の桜の木が翌年には花をつけたのですからその技は
世界も驚嘆したそうですね
今の時期御母衣ダムの水位は下がっているのですか
雪解け水は入ってこないのでしょうか
湖底に沈む村 ダム建設には何とも切ない物語がありますが
初めてそれを実感したのは中学生の頃建設中の小河内ダムを目の当たりにした時です。
社会のことを何も分かっていない頃でしたから只々悲しかったのを
覚えています。
源流そば 手前にあるのは山葵でしょうか
打ちたてとは中々味わえないものです。 こちらも思い出のひとつに
なりましたね
いつも 里山の季節を感じつつ拝見していました。
楽しませてもらいました。ありがとう。
ユキちゃんも もう放し飼いはできいですね。
名古屋へ帰られてからのブログも楽しみです。
少しずつ帰名計画を拝見していて、
ご挨拶をと思いつつ、
なんとコメントしてよいか言葉が見つからず追、ご無礼いたしておりました。
ただ、若い後継者が見つかったとのこと本当に安堵しております。
今後は第3の人生が第2の人生以上に楽しまれることをお祈りしております。
こちらを通る時は、味比べを楽しんでいました。
湖底に沈んだ照蓮寺と光輪寺の境内の桜を移植したと言われてます。
白川村と荘川村の合掌集落は大半が散りじりになり、桜だけが残ったのは切ないことです。
名残惜しさが募りますが、何とか予定通りに完了しそうです。
これがかの有名な荘川桜ですか、
幹のすごいこと、さすが貫禄ありますね。
ゴールデンウイーク前に撤退完了のようですね。お疲れ様です。
鯉のぼりもビルの谷間よりこの方が似合います。
私までがお名残り惜しいことです。