旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

1992年のモンゴルへ~南ゴビのゲルに二泊してウランバートルへ戻る

2020-08-14 09:00:14 | モンゴル
1992モンゴルの旅より
南ゴビのツーリストゲルにて
ただ広い草原の中にあるツーリスト・ゲル

中は四人一部屋でこんな感じ。

真夏でも夜は寒くなるのでストーブが必要。

トイレ、水シャワーが共同になっている
今はもっと快適なゲルやコテージ式のホテルもあるようだが、当時はウランバートル以外の宿泊で他に選択肢はなかった。
観光はおんぼろバスに乗って渓谷入口にたどりつき、一時間歩いて氷河の残りを見学した。

食事は現地式の羊肉料理が主。これは美味しいのです(^.^)

西欧的な料理のほうが微妙

白いご飯のうえに黒い粉がふりかけてあって何かとおもったらチョコレートだったのには驚いた。
**

南ゴビのゲルに二泊し、再びズルチン旅行社のチャーター機でウランバートルへ戻る。

清朝末期から1924年に社会主義のモンゴル人民共和国が成立するまでの短い期間、チベット仏教の生き仏をトップとする政教一致の大モンゴル国が存在した。
その当時のトップである生き仏ボグド・ハーンの弟チョイジンラマの宮殿だった場所。
大きな仮面をつけて踊るツァムを見せてもらった。

↑額に書かれた寺の名前、いちばん右がチベット文字、次が漢字、左の二つはモンゴル文字だと認識したのだが…二行あるから二種類併記なのだろう。
モンゴル文字と同じように縦書きするウイグル文字や満州文字ク文字などがある。どれかは分からない。
うしろに稚屈なタッチで画かれた残虐な絵が何を意味するのかも知り得なかった。
1924年にはじまる社会主義時代には多くの寺が焼かれ僧侶も殺されたときいている。
***

ウランバートルのホテルに入る前に市内のデパートに行ってみる。
外国人旅行客はいわゆるドルショップで買物することなっていた当時、物売りと少しでも交渉するそぶりをみせるとどっと人があつまってくるのだった。

デパート内はがらんとしている。
1989年に訪れた社会主義末期のブルガリアを思い出した。
統制経済を厳格に実行しようとしても庶民はしたたかで、高く売れるモノを安い正規ルートにはのせない。
戦争末期から戦後の日本もそうだったように、経済政策が破たんするとヤミ経済がふくらんでゆく。
外貨と自国通貨のレートを国が決めようとしても、実体経済に即したヤミレートに流れてしまう。

ここ半世紀ほどの日本は自国通貨「円」に何の心配もなくていられたからこそ繁栄を享受してこられたが、モンゴルも含めた多くの国々はそうではない。
自国通貨を信用できない国を一度でも訪れてみれば、今の日本がどれだけ守られた場所なのか理解できるだろう。
コメント
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