旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

1992年のモンゴルへ~ホジルト空港からカラコルム

2020-08-15 08:25:14 | モンゴル
1992モンゴルの旅
路線バスをチャーターしたのは後にも先にもこの時だけだ。

セスナ機でホジルトに降りると空港はがらんとしていた。
先の大型チャーター機の乗客がツーリストバスを二台とも使ってしまったのである。
そのバスには我々の座席もあった筈だが、臨時セスナ機がほんとに飛ぶのかもわからない状況だったから、先の飛行機の欧米人たちは「いいよいっちゃえ」と思ったのだろう。

呆然とする我々のもとへ、黄色いおんぼろ路線バスがやってきた。
窓ガラスの代わりに板がはめこまれた場所もある。政府がガソリンを買えないのでチャーター機がなければ空港に人はいないので路線バスを待つ一般客はいない。
そのまま近くのツーリストゲルまで直行してくれた。
午後、四十キロほど北にあるカラコルムへ行く予定だがこのぶんだと我々のためのバスはない。
「このバス、つかわせてもらえないかな?US二十ドルでどう?」
という提案をドライバー氏は受け入れた。
US二十ドルで職務放棄をOKしたドライバー氏を責めてはいけない。
こんなことも可能になる社会状況だったということだ。
我々だって予定していた観光をなんとかして実現しなければならない。
※予定通りの旅程を実現するのに最大の努力をすることが添乗員さんの義務。「できませんでした」と事後にもっともな理由を説明しても信頼は得られない。

ツーリストゲルの昼食のあと、路線バスが我々のためだけにカラコルムへむかってくれた。

カラコルムは13世紀モンゴル帝国時代の首都だった場所とされている。
マルコ・ポーロがヴェネチアからやってきたのもここだったとされている。
しかし、当時の栄華をしのばせるものは、まったく残されていない。
上の写真の白い塀もずっと後世に復元された寺院の跡なのである。

ただ、亀のカタチをした石だけが当時のモノだと伝えられている。
※この石は2008年に再訪したブログにておみせできます
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遺跡よりも、途中で訪問したふつうの遊牧民のくらしぶりがおもしろかった。

舗装されていない草原では車よりも馬の方が役に立つ。
子供達は鞍も鐙もない馬を自由に操っている。

ツーリスト用のゲルも当時は一般遊牧民のゲルと基本構造は同じだった。
言葉は通じなくてもゲルの子供たちといっしょに遊ぶ。

そうそう、ゲルで飼われている犬に日本から持ってきていた「かっぱえびせん」をあげようとしたら、鼻先で嗅いで「なにこれ?」という目でみられた。
そのあと、意外な?モノに食いついてびっくりしたっけ(^.^)
コメント
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