2008年《手造の旅》モンゴルより
キリル文字で「ハラホリン」と書かれている。「カラコルム」はチベット語やチュルク語系の言語で「黒い砂礫」の意味。中国語で「哈剌和林」と表記するのはこの地名を聞き取った中国人が漢字の音をあてたものだろう。
この門の名前はそれをふたたびモンゴル語で(ロシアの)キリル文字を使って表記しているということになる。
縦書きモンゴル文字は半世紀にわたるロシア語教育の中で使われなくなってしまっていた。
※社会主義が崩壊にした1990年以降に独自のモンゴル文字を主に使用できる国家にしようと教育しはじめたが、経済的に強いつながりを持つロシアのキリル文字の優位は変えられなかった、というのが現在の状況だろう。
なにもない草原を四角く囲った寺が出現。
四角い壁の上に高さ十五メートルの白い仏塔(ストゥーパ)百八個がずらりとならぶ。
解説によればモンゴル帝国最初のチベット仏教寺院として16世紀に創建されたエルデニ・ゾーがここなのだ。
15世紀はすでに明帝国が北京を支配しており、元は北方に追いやられて「北元」(=モンゴル・ウルス)として存続していた。
カラコルムはクビライが首都を大都(=北京)に移すまでの首都だったが、北京を追われてから再び首都となっていたことになる。
この碑文はサンスクリット文字と共にモンゴル文字が併記されている。さて、いつごろの時代のものだろう。
↑クビライの時代=マルコ・ポーロが訪ねてきた時代のカラコルムには壮麗な建物があったとされているが、その名残はこの亀石しかない。
13世紀にマルコ・ポーロが「東方見聞録」に残した噴水の記述から↓こんなものが復元されていた
これ、モンゴルのお札にも描かれております
マルコ・ポーロの時代、世界最大の覇権国家だったモンゴル帝国の栄華は、この草原を見てもなかなか感じることが難しい。
むしろ、感じておくべきは、二十世紀の社会主義時代になる前は、この仏塔で囲まれた敷地に千人を数える僧侶が住む寺院がたちならんでいたということ。
残されたのは三つだけだったと言われる破壊と殺戮が行われた。
第二次大戦後に「博物館」となって四十年が経ち、1990年に民主化されてやっと今見るかたちで寺院・修道院が運営再開されているのである。
こういった仏像や
ツァム舞の衣装や面も、密か隠されていたもの。
今は「信教の自由」が認められ、お参りする人々と観光客のために、少しずつ施設整備がすすめられている途上だった。
キリル文字で「ハラホリン」と書かれている。「カラコルム」はチベット語やチュルク語系の言語で「黒い砂礫」の意味。中国語で「哈剌和林」と表記するのはこの地名を聞き取った中国人が漢字の音をあてたものだろう。
この門の名前はそれをふたたびモンゴル語で(ロシアの)キリル文字を使って表記しているということになる。
縦書きモンゴル文字は半世紀にわたるロシア語教育の中で使われなくなってしまっていた。
※社会主義が崩壊にした1990年以降に独自のモンゴル文字を主に使用できる国家にしようと教育しはじめたが、経済的に強いつながりを持つロシアのキリル文字の優位は変えられなかった、というのが現在の状況だろう。
なにもない草原を四角く囲った寺が出現。
四角い壁の上に高さ十五メートルの白い仏塔(ストゥーパ)百八個がずらりとならぶ。
解説によればモンゴル帝国最初のチベット仏教寺院として16世紀に創建されたエルデニ・ゾーがここなのだ。
15世紀はすでに明帝国が北京を支配しており、元は北方に追いやられて「北元」(=モンゴル・ウルス)として存続していた。
カラコルムはクビライが首都を大都(=北京)に移すまでの首都だったが、北京を追われてから再び首都となっていたことになる。
この碑文はサンスクリット文字と共にモンゴル文字が併記されている。さて、いつごろの時代のものだろう。
↑クビライの時代=マルコ・ポーロが訪ねてきた時代のカラコルムには壮麗な建物があったとされているが、その名残はこの亀石しかない。
13世紀にマルコ・ポーロが「東方見聞録」に残した噴水の記述から↓こんなものが復元されていた
これ、モンゴルのお札にも描かれております
マルコ・ポーロの時代、世界最大の覇権国家だったモンゴル帝国の栄華は、この草原を見てもなかなか感じることが難しい。
むしろ、感じておくべきは、二十世紀の社会主義時代になる前は、この仏塔で囲まれた敷地に千人を数える僧侶が住む寺院がたちならんでいたということ。
残されたのは三つだけだったと言われる破壊と殺戮が行われた。
第二次大戦後に「博物館」となって四十年が経ち、1990年に民主化されてやっと今見るかたちで寺院・修道院が運営再開されているのである。
こういった仏像や
ツァム舞の衣装や面も、密か隠されていたもの。
今は「信教の自由」が認められ、お参りする人々と観光客のために、少しずつ施設整備がすすめられている途上だった。