kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

バベル

2011年07月29日 | 映画
蝉がまわりの、
3本の木から、
サラウンドで聞こえていて、
鳴き声の中にいると、
うるさいといえば、
うるさいのだけれど、
音だと思えば、
音なのです。
どうして、
蝉はこんなに長く、強く、
鳴くのだろう、
と思います。
交尾のためなのだろうけれど、
「うるさくてよけい暑いわ」
とヒトに言わせるほど、
大音量です。
ここまで大きな音を出すゆえんは、
何故だろう、
と、いつか、
ちゃんと調べようと思ってはいるのですけれど。

午後、松下さんが自転車に乗って、
南からやってきて、
至近距離になって、
あ、松下さんだ、
と思い、
「松下さん松下さん」
と呼ぶと、
松下さんは、自転車を減速し、
くるりとこちらに大きなからだを、
向けました。
数十秒話して、
松下さんは北へ向かいました。
風が吹いていました。
今度は、
帰りしな、
友達と会い、
古い喫茶店に行って、
ウイスキー入りの、
ケーキを食べて、
コーヒーを飲んで、
何事かを話し、
家に帰りました。

帰ってから、
映画「バベル」を見ました。
菊池凛子、圧巻。
映画は、二度目ですけれど、
やはり、メキシコの国境付近を、
炎天下、さまよう女性のシーンが、
凄いです。化粧は剥げ、
生死をさまよい、歩く、助けを求めて。
そのバックには、
真っ青な空。
この空は凄いです。
このシーンだけでも、
この映画は凄い。
前にも書いたと思うけれど、
シンクロというか、
パラレルというか、
場所が異なったところでの、
共時性の面白さは、
たまりません。

ベルリン・天使の詩

2011年07月11日 | 映画
今日は風が吹いたので、
今日は風があるなあ、
って大脳の中で、
言葉に変換してから、
思いました。

白い鳥が、
北西に向かった、
青の中を。

2、3日前、
足の悪い、
イタリア製の帽子を被った、
お洒落な男性と、
僕は挨拶をしました。
顔なじみです。
僕らは壁に沿って、歩いて、
天気の話をしていると、
「私のように」
彼は私と言います。
服に気を遣う人です。
「私のように敗残者は」
彼は敗残者と言いました。

足が悪いので、
杖を持って、
片方は、
壁に手を置いて、
歩いていて、
傘が持てず、
雨が降ると、
濡れてしまうときがあるようで、
「雨、大丈夫かな」
と以前、訊きました。
「大丈夫でしょう」
と答えました。
「あと三十メートルだ」
と彼はその時、言いました。

敗残者という言葉の小箱を、
渡され、
「そんなことないですよ」
と僕は言いました。
僕に甘えるというのではない、
自分を見下して、
というのでもなく、
ただ、
彼は自分を、
敗残者だと言いました。
そういうふうに、
言いたい時もあるのでしょう。
独り言のように。
証拠に、
あとから小箱を、
開けてみると、
中は、
何も入っていませんでした。
敗残者という言葉だけが、
箱に貼ってあったのです。

きっと、
今度会った時は、
いつもの、
笑みをたたえた、
優しいお洒落な、
伊達男になっているのだ、
と思います。

ーーー

帰ってから、
昨日から観ている、
映画「ベルリン・天使の詩」を、
見終わりました。
何度も観たはずなのに、
初めて観るようなシーンが、
たくさんありました。
セリフは、
最初から最後まで、
詩です。
天使(精霊)になった、
人たちのセリフの中で、
「言葉で生きる」
だったか、
「言霊で生きる」
というセリフがありました。
肉体はなくても、
精霊たちには言葉が残る、
そのことを、
強く感受しました。
現世で言葉を使い、
来世でも言葉を使う。
言葉は、ずっと使う。
しゃべる口がなくても、
言葉で考え、思う、
僕はこのセリフだけで、
この映画を観た甲斐があります。
「人は何からでも誰からでも学べる」
なんて、嘘です。
優れた映画には、
多くの言葉がありました。

言葉を聞いていても、
言葉を持っていない人がいて、
言葉を発さなくとも、
言葉を持っている人がいます。

ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア

2011年06月24日 | 映画
晴です。
大きな雲です。
薄い雲もあります。
濃い雲もあります。
空にあります。
雲は東南へ向かいました。

とべら、
の前にいました。
風の中にいました。

帰ってから、
映画「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」
を観ました。
友人が良いと言っていたのが、
きっかけです。
僕は一度、
この映画を観ていると思っていたのですけれど、
思い違い、
初めて観ました。
小塚勉さんという才能ある人が、
同タイトルで小説を発表していたのを、
思いました。
あの小説は良かったし、
彼は2作しか発表していないけれど、
どちらもとても良かったです。
阿部和重みたいな感じで、
僕は彼の作品をまた読んでみたいと思っています。
彼がこの映画を観ているのは、
当たり前でしょう、
そんなことを思いもしました。

映画は、
もう観てください、
としか言いようがないです。
ロードムービーは僕は大好きなのだけれど、
ドイツの映画は、
たくさん観ているわけじゃないけれど、
しっくりきます。
そんなことを、
友人とも話していました。
「ベルリン・天使の詩」は、
ベンダースが小津安二郎に捧げた映画ですけれど、
小塚さんは、
「小津安二郎って嫌いなんです」
って言っていました。
「ベルリン・天使の詩」は、
浅田彰が、
地下道をカメラワークで駆け抜けるシーンを、
当時、
高く評価していたので、
僕もそのシーンに注目しました。

「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」
の海は、
オランダの海での撮影らしいです。
みんなよく調べているので、
なるほどー、
と知らないことを、
ネットで知ることができます。
ドタバタ、ロードムービー、海、
と、
僕の好きな要素ばかりの、
映画でした。
ロックです、この映画は。
だから、
この映画は、
判る、という人と、
うーん、わかんない、
という人の二通りしかない、
と思います。

愛を読むひと

2011年05月29日 | 映画
昨日、土曜日は、
喜多の湯に行って、
岩盤浴で体を温めていました。
ずいぶん、暑くなってきたのだけれど、
ちょっと疲労気味だったので、
行きました。
マッサージなどでも、
そうらしいのですけれど、
体の血行が良くなると、
ぐっと眠くなるそうです。
岩盤浴のあと、
ぐっすり眠り、
洗濯をして、
またぐっすり眠りました。

今日は日曜日です。
外は雨が降っていて、
台風です。
それでも、
図書館には行かなくてはいけなくて、
本をビニールに包んで、
本を返し、
予約してある本をカウンターで受け取りました。
高い税金を払っているのだから、
一冊でも本を読んで、
還元したいという、
吝嗇なモチベーションです。

その足で、八百屋さんへ。
よくこんな雨風の中、
自転車で野菜を買うなんて、
と我ながら思います。
そう感じたのは、
台風で、軒先に出してある野菜も店内に収まっていたし、
ほとんどお客さんがいなかったため。


先日、
読んだ内田樹著「日本辺境論」は、
とても面白くて、
頭の悪い僕でも、
判ったような気にさせてくれる本でした。
この日本人論は、
ふんわりと刺激があって、
そうか、日本人って、
超いい加減でそれで良いんだ、
って読後から思います。
のりらくらりというか。
本の中で、
識字率のことが最後の方で書かれてあって、
日本は識字率が高くて、
海外ではそれほどでもない、
という記述がありました。
そのことは、
おぼろげ、知ってはいたのですけれど、
識字問題を扱った映画が、
紹介されていて、
早速、今日、それを借りてきて、
観ました。
「愛を読むひと」という映画です。
ゲオのおねえさんは親切にそのDVDの場所を案内してくれて、
「恋愛映画ですね」と言いました。
「あそうですか」と僕は言いました。
ラブロマンスのコーナーに、
3本もあって、みんながよく観ている映画なんだな、
人気があるんだな、と思いました。
映画は、確かに恋愛映画の側面と、
識字問題の側面がありました。
識字だけのテーマだと誰も観ないのだろうから、
恋愛映画の要素も取り入れる、
という感がありました。
そして、原作は「良いですよ」と以前、
勧められていた「朗読者」だと知って、
尚に驚きました。
女優さんがとても素晴らしい演技をしていて、
良い映画だな、って思いました。

言葉の読み書きなんて、
当たり前にできるじゃないか、
というのが僕の常識です。
けれど、
こうして、
映画を通じて、
外国では、識字問題ということがあって、
この主人公のように、
本当に字が読めない、書けない、
というコンプレックスがあるんだ、
と思いました。
観て良かったです。

夜になってから、
勝間和代の番組で、
高橋源一郎が出るというので、
録画をお願いしました。
ETV特集では、
細野晴臣なので、
それをリアルタイムで観ました。
岸田繁も出ていて、
僕はくるりの特番を、
少し前テレビで観て、
良い歌を作る人だな、って、
気に鰍ッていて、
ちゃんともう一度、
くるりの演奏を聴いてみようと思いました。
細野晴臣は震災、原発問題の中での、
音楽論だったので、
安心しました。
僕は今、原発のことを言わない人っていうのを、
敬遠しているようなところがあって、
不遜な自分にも、おおらかさがなくて、
嫌だな、と思っているのです。
でも、逆に、原発問題から逃げたいという気分も強くて、
311以前のような、
なんでもない生活のブログを見ても、
気が休まるという、
アンビバレントな感情のただ中です。
セザンヌ先生に、
僕は、
「原発のことは考えてはいけない」
と忠告してもらっています。
原発で疲れた時は、
村上春樹を読みます。

震災後、
細野晴臣が1カ月半ぐらい、
音楽を聴くことも、
演奏することもできなかった、
と言い、
震災後のライブを中継した番組ですけど、
2曲しかやらずに、あとは話だったらしいです。
その気分は判ります。
「自分でこれからは(放射線を)防衛していかなくちゃ」
といった感じのコメントが、
とても印象的でした。

裏番組の源一郎の方は、
誰かを責めるという気にはなれない、
事故を起こしたのは、
自分の問題でもあるのだから、
という主獅フことを、
言っていました。
源一郎さん、偉いな、
って思いました。

めがね

2011年01月24日 | 映画


今日は最高気温が、
8度まであがり、
暖かい、
と、
皆が言いました。
明日は、
また寒いと、
言います。

小春日和で、
風もなく、
暖かい昼下がりでした。

写真は、
元、山であったところ、
今は側溝の脇になっていて、
マイマイの殻と、
ドングリです。
渦巻き模様のマイマイの殻は、
神秘的で、
銀河も渦巻きだから、
小は大を兼ねる、です。

帰ってから、
ニンニクの崇ミけに、
チャレンジしました。
今は便利で、
ネットで、
簡単にレシピが手に入ります。

昨夜、
映画「めがね」を見ました。
今日、
録画しておいた、
「めがね」の監督、
荻上直子を初めて見ました。
「めがね」は何度見ても、
飽きない映画で、
ぽかーん、とするには、
良い映画です。
とにかく、海がきれい。
最後の方で、
加瀬亮が、朗読するドイツ語の詩があって、
その発音を聴いていると、
どうしてだろう、
とても知的好奇心を刺激されました。
あと、
加瀬亮のせりふで、
「春の海、ひねもすのりたのたりかな」「ひねもす、っていう意味、先生判りますか?」
というのがあります。
調べてみると、
これは蕪村でした。
そして、
大貫妙子の歌で、
映画は終わります。

詩の内容が気になったので、
「日本語字幕」のセットにして、
紙に書き写しました。
与論島の海を見ながら、
こんな詩を加瀬亮が朗読します。

 何が自由か知っている

 道は真っ直ぐ歩きなさい
 深い海には近づかないで
 そんなあなたの言葉を置いてきた

 月はどんな道にも光をそそぐ
 暗闇に泳ぐ魚たちは宝石のよう
 
 ぐうぜんニンゲンと呼ばれて
 ここにいる私
 何を恐れていたのか
 何と戦ってきたのか
 
 そろそろ持ちきれなくなった荷物をおろす頃
 
 もっとチカラを
 やさしくなるためのチカラを
 
 何が自由か知っている
 何が自由か知っている



アウトレイジ

2010年07月24日 | 映画
昨日は夕方まで作業をして、
映画「アウトレイジ」を観に行きました。

映画は今、1800円します。
高いと思います。
だから、
サービスデーをねらって、
大高にあるマイカルシネマへ。
毎月23日は、一律1000円のサービス、
しかも、大高での「アウトレイジ」放映は、
昨日が最後でした。

アウトレイジは、
前評判が凄くて、
きっと誰もが、
あの北野武だから、
という理由で、
観たいと思っていると思います。
僕もそうです。
観ていて、
何度か、
目を手で覆いました。
ここまで残酷なシーンを、
よくみんな平気で観れたものだ、
と思いました。
思った以上の、
バイオレンス映画で、
圧唐ウれました。
ここまでする?
という感じです。
でも、
ここまでやっていいんだ、
という勇気をもらいました。
文字通り、
過激な映画でした。

夜道、
自転車を漕ぎながら、
暴力について考えました。
動物としての、
人間の本能について、
考えました。
理性は、
暴力を回避しようとします。
その、代償行為で避けようとします。
暴力というものを、
人間の根元として置いたとき、
あ、これも代償行為だ、あ、これも、
と、連想します。
暴力の、
代償行為を発明するのが、
文化かもしれない、
とも思いました。

もうすぐ、
テレビドラマで、
北野武が出演するというニュースを知りました。
内容は不確かですけれど。
「振り子のように、作品を作る」
と北野武は言っていました。
前作と対極的な、
という意味での、
「振り子」です。
バイオレンス作品の後に、
何が出てくるのか、
楽しみです。
僕が北野作品で一番好きなのは、
「菊次郎の夏」です。


嫌われ松子の一生

2010年07月22日 | 映画
映画「嫌われ松子の一生」を観ました。
あるセリフが胸に飛び込んできて、
そこで一度、鑑賞を中断しました。
しばらく、その言葉に打たれていて、
「これだ!」、
と思いました。

映画の中で、
一言でも、
本当に大切な言葉だ、
と思えるものにぶつかることは、
それだけでかなりの価値があり、
映画一本の全体の良さよりも、
勝ることがあると思います。

僕は最後まで見終わってから、
メモを取るつもりでした。
すると、
映画の最後の方で、
その言葉がリフレインされました。
僕は、そこで、メモを取りました。
正確なセリフを書き写しました。
映画の全体の中でも、
このセリフは、
大切にされているんだな、
と思うと、
よけいにうれしくなりました。

映画の最後は、
宮澤賢治の、星空と草原を、
思い浮かべさせました。

「嫌われ松子の一生」、
は、
以前、観て、
その色彩が、
強烈な印象として残っていました。
今回はそれだけじゃなく、
以前観た時には、
素通りしていた言葉や、
モチーフを、
感じることができました。

作品は変わっていない。
僕が変わっている。
良くも悪くも、です。
良い映画も、
悪い映画も、
良い音楽も、
悪い音楽も、
良い小説も、
悪い小説も、
全部、
こっち側の問題なのです。
そのことを、
最近、実感することが多いです。

空気人形

2010年07月11日 | 映画
昨夜、
映画「空気人形」を観ました。
あまり良いので、
今日、もう一度、観ました。
吉野弘の「生命は」、
の全詩が、途中で、導入されます。
この詩が、
この映画を文学にしているし、
ラストシーンに至るまで、
ずっと「生命は」が、
主題として、
扱われています。

人間は、誰もが何かを「欠如」していて、
それを誰かに埋めてもらって、
生きている。
それに、気づかないままで、
生きている、人間だけじゃなく、

乱暴に言ってしまえば、
そういう内容の詩です。
「欠如」ということを、
いろんな人がいろんなふうに、
言いますけれど、
吉野弘が言うと、
ふんわりと、
まるで当たり前のように、
触ったか、触らないか、
判らないぐらいに、
ふわふわして、
こころに収まります。
詩人というのは、
偉いなあとマジで思います。

空気人形は、
「わたし、こころを持ってしまったの」
と言います。
こころを持ってしまった、
というのは、
言葉を持ってしまった、
ということです。
連想するのは、
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」
と言った、
田村隆一の、
あまりにも有名な詩の一節でした。

高橋源一郎は、
最近のツイッターで、
「書かれるべき小説」という、
とても大事なことを、
ツイートしていました。
高橋の言葉で言えば、
「空気人形」という映画は、
撮られるべき映画だと、
思いました。
今。


パーマネント野ばら3

2010年06月02日 | 映画
どうしても、
「パーマネント野ばら」が、
観たくてどうしようもなくて、
自転車を漕いで、
まず、チケットセンターに行きました。
1350円でチケットを買い、
初めていくミッドランドスクエア。
都会の映画館は、妙にキラキラしていて、
ロビーの柱が、
どうして鏡張りなのか、
よくわかりませんでした。
ロビーで待っている時に、
疲れてきて、早く映画が始まらないかな、
と思いました。
今回で3回目の鑑賞になった、
「パーマネント野ばら」。
会場の照明が暗くなってきたとき、
すぐ横に座る人がいて、
それは僕の知っている人で、
でもどこで会ったのか、
しばらく思い出せませんでした。
それほど親しくしていなかったし、
たぶん、僕のことは忘れているだろう、
と思い、声はかけませんでした。
それよりも、映画を観たかったので、
気づかれないように、
静かにしていました。

どこに行っても、
なるべく気づかれないようにいつもしているのですけど、
「あ、こんにちは」などと言われるのも多々。
僕は人疲れしやすいので、省エネです。
名古屋は狭く、
あー、大高マイカルに行きたいな、
と本気で思いました。
緑もたくさんあるし。

3回観ても、やっぱり、
良い映画でした。
過分である、
とは思います。
ずっと前、
「ガンジー」が封切りになったとき、
7回だったか、8回観た、
という彼を思い出しました。
今回も、
どうしてこんなにこの映画が素敵なのか、
わからなくて、
こんなことは初めてです。
いろんなサイトで、
たくさんの人の感想を調べてみましたけれど、
どれも、僕には当てはまりません。
何年かして、
ああ、そうか、
と思う時があるのかもしれません。

この映画が、
何度観ても、
わからない、
ということを、
僕は大切にしていたいと思います。

帰り道、
まだ空は明るくて、
安い果物屋で、
キウイは安く、
かごに10個以上盛られたリンゴも安く、
バナナも買って、
ショルダーバッグに入れて、
帰りました。



柄本明

2010年06月01日 | 映画
今日は、映画「春との旅」を、
観てきました。
久しぶりに行った名演小劇場が、
映画館になっていたとは知りませんでした。
以前、加川良や高田渡を観に行き、
むすび座関連で、一度きり、
舞台で音楽を担当したこともあった、
懐かしい会場です。
今日、1日は映画の日なので、
安い料金で鑑賞できるのです。
そのためでしょうか、
すでに満員で、二回目の上演まで、
待たなければいけませんでした。
しょうがないので、
友達のところに行って、
時間をつぶさせてもらいました。
映画の中で、
主役よりも、
脇役の柄本明がとても良かった。
仲代達矢と柄本明が、
喧嘩をするシーンで、
柄本明がやられているのですけど、
わざとやられているのは、
ストーリーの中で、当然です。
その時の、柄本明のゆがめた表情は、
滑稽かつ、優しいという、
本当に味わい深い表情でした。
僕は柄本明という人が、
本当に好きで、
こうして書いていても、
ジーンとしてきます。

予定では、1000円で映画が観られる今日、
「パーマネント野ばら」を、
続けて観に行く予定でしたけれど、
疲れてきていたので、
家に帰りました。
朝作った、
里芋の煮物を夕食に食べました。

パーマネント野ばら2

2010年05月31日 | 映画
名鉄小牧線に乗って、
小牧まで行きました。
「座頭市」と「パーマネント野ばら」を、
観るためです。
「座頭市」は、あまりおもしろくなくて、
終わってから、ぐったり疲れました。
「パーマネント野ばら」は、
今日で二回目の鑑賞ですけれど、
一回目よりも、
さらに良いと思いました。
もっと観たいと思います。
帰り道、「パーマネント野ばら」が、
どうしてこんなに僕を惹きつけるのかを、
考えながら、駅まで歩いていました。
映画の中の音楽を聴く余裕が今日はあって、
三拍子でした。
僕は三拍子の曲や歌が好きで、
あー、良い歌だな、
と思うと、それは三拍子だということに、
ずっとあとから気がつくのです。

とにかく、俳優が全員すばらしく、
何といっても、
脚本の抜群な構成力が、
最大の魅力です。
「パーマネント野ばら」の中の要素のいくつかが、
僕の深いところに、
さわってくるので、
他の映画とは比べることはよした方が良いと思いました。

何かが、ある、
そんなふうに思う映画です。
楽しくて、
めちゃくちゃで、
せつなくて、
うつくしい。
こんなに良い映画があって、
帰り道の、
小牧城を乗せた緑の山に沿って、
橋を渡り、川をのぞき、
夕方になっても、
空は明るく、
どれだけ歩いたって、
僕は平気です。
あの映画の中で描かれる、
せつなさと、きれいなもの、
に、こころは、
すっかり魅せられて、
今、こうして書いていても、
胸がきゅうとなってきます。
そして、清々しくもあるのです。
でも、
どうしてこんなに良いのかが、
わからないのです。

パーマネント野ばら

2010年05月28日 | 映画
オジからもらった映画チケットが、
まだ二枚あって、
誰かを誘って行っても良いのだけれど、
見たい映画がたくさんあり、
今日も、大高まで行きました。
チケットの期限は、今月いっぱいで、
ネットで大高の上映案内とにらめっこでした。
どうしても見たい映画「パーマネント野ばら」は、
必ず見るとして、
問題は、
先日見た「てぃだかんかん」をもう一度見るか、
それとも、
週末から封切りになる、
「座頭市」を見るか、でした。
結局、全部見る、という結論になって、
今日で上映が終わる「てぃだかんかん」を、
まず見ました。
こんなことはないだろう、
と高をくくっていたのですけれど、
この映画、
2度目の方が良くて、
わー、もうたまらん、
と、ちょっとやばかったです。
隣にいた人も、
かなりやばそうだったので、
迷惑をかけることは、
なかったと思いますけれど。

沖縄の珊瑚の話ですけど、
沖縄を舞台にした映画は、
どれも良かったことを、
帰りの電車の中で思い出しました。

映画のはしご?
五分差で、ブースを変えて、
見た映画、
「パーマネント野ばら」。
帰りの各駅停車でゆく電車に揺られ、
一駅ごと、時間が経つたびに、
二度と見たくない映画、
という思いが、
「これは心に残ってしまう映画」
に変わり、
夜になってみると、
どうしても、
もう一度見てみないと、
収まりがつかないほどに、
じわー、っとなる映画でした。
こんな経験もなかったので、
早速、上映している映画館を調べました。
「パーマネント野ばら」は、
かなり良いです。
それだけは、間違いないと思います。



てぃだかんかん

2010年05月18日 | 映画
オジから、先日、
映画の券を頂いたので、
今日は久しぶりに映画を観てきました。
午前中に作業をして、
午後三時から電車に乗って、大高まで行きました。
「のだめカンタービレ後編」を観ました。
思ったとおり、ほどほどのおもしろさです。
のだめは、テレビドラマの方が断然おもしろいし、
これで「のだめ」は終わるのですけれど、
興行的には成功しています。
でも、メチャクチャなところが、
最初のドラマでは生彩を放っているのに、
今回は、「もういいかな」と思いました。

次に観た映画は、
「てぃだかんかん」。
これは良かったです。
この映画が観たくて、
行ったのですけれど、
思った以上に素敵な映画で、
もう一度観たいなと思います。
岡村隆史も松雪泰子も僕は大好きな俳優なので、
それも手伝っての感動でした。
「サンオイルをできれば遠慮してほしい」、
と映画の中で、海水浴の人に、
珊瑚を守る人がやわらかに言うところがあって、
サンオイルが海水に溶けて、
珊瑚に悪い影響を与えるということを、
この映画で知りました。
それと、香取マットのあの煙が気化して、
水槽の珊瑚に良くない影響を与えること、
何よりも、
珊瑚が動物である、ということを知っただけでも、
観てよかったと思いました。

帰りの電車の時間は調べていましたけれど、
映画館と、駅は近くて便利でした。

映画館は、きれいで、すっきりしていて、
これはいいな、また観にゆこうと思いました。
夜遅い時間の上映だったので、
人が少なかったのも、ありがたかったです。
胸がいっぱいで、
帰りの電車は、
ほろほろです。



僕が間違えて、
「ていだかんかん、を観てきたよ」
と言うと、
奄美大島出身の友達は、
「てぃだかんかん」、
と発音するんですよ、
と言いました。
実在のモデルになった珊瑚を植える人が、
今も、さらに珊瑚のことをやっていると、
友達は言いました。
「そういえば、沖縄でとても大きな珊瑚が発見されたらしいよ」
と言うと、
「それはすごい」
と故郷の海を思って、
彼の目は一点を見て、
言いました。
今度、奄美大島へ帰る時は、
一緒に行く予定です。


ワカラナイ

2010年01月17日 | 映画
昨日、映画「ワカラナイ」を観てきました。
嗚咽を抑えて、最後のシーンを見終え、
映画館はやっぱりだめだ、
特に映画は、
声を出して泣いてしまうので、
ハンカチを口に当て、こらえました。

この作品を観にいく大きなきっかけは、
いとうたかおさんの歌「Boy」が、
映画に添っているからです。
新しいバージョンで録音された「Boy」は、
映画にとてもよく合っていました。
あれこれ言いたいのですけれど、
いわゆるネタバレになってしまうので、
困っています。
上映後、一緒に行ってくれた友人二人と、
「ワカラナイ」について、
しばらく合評をしたのだけれど、
そのときに言い忘れたことを、
帰ってから思いつきました。
それは、
時代が歌に、
追いついた瞬間を、
映画館で僕らは、
確かに立ち会ったということです。

今日、レンタルで借りてきた映画が、
面白いのだろうけれど、
どうしても面白くない、
今、こうして書いている時にも、
「ワカラナイ」という映画が、
じわじわと迫ってきています。
それは上映中にも、感じたことで、
じわじわと、胸に宿ってくる感じが、
すごくて、
こんな映画体験はあまりない。
ぐい、ぐい、と押されるというか、
何だろう、
本物のすごさ、
とでも言ったらいいのかな、
どうにもワカラナイのだけれど、
何か胸に宿る感じです。
となると、
当然、もう一度観たい、
という欲求があります。
小林政広監督なんていう人は、
すんごい才能があるとしか、
思えません。
映像はきれいだったし、
現実にはそれはありえないだろう、
というシーンがありましたけれど、
そういった細部、を吹っ飛ばしてまでも、
言いたいことがある、
それを物語にしたい、
細部を飛ばし、
残ったのは、
生きている、という、
リアルさ。
こういうリアルもあるんだな、
と本当に僕はそう思いました。

あともうひとつ。
鳥のことです。
映画の中で、
鳥の鳴き声が聞こえます。
ホトトギス、
そして、
カラス。
僕はこのことが、
勘ですけれど、
この映画の深部にかかわる、
大切なことだと、
思いました。



包帯クラブ

2009年11月03日 | 映画
寒波到来です。
寒くて、空は晴れています。
昼から、
風がおさまり、
気持ちよい天気になりました。

労働が早く終わったので、
帰ってから、
映画「包帯クラブ」を、
もう一度最初から見ました。
音楽がハンバートハンバートなので、
ゲオで借りてきて、見たのですけれど、
こんなに良い映画に出会えるなんて、
本当についています。
あるサイトでは、
本編を忘れて、音楽にハマッタという人もいます。
けれど、
僕は、音楽を忘れ、
本編にハマリました。
モノローグが良いし、
最初のシーンも、
かなり良いです。
こんなに素晴らしい映画が、
ゲオの旧作コーナーで、
ひっそり置かれていて、
機会がなければ、
手に取ることもなかった映画です。
出演者全員が、良くて、
たくさんのシーンで、
泣いて、笑って、
こころの栄養満点の映画でした。
原作は確か「悼む人」を書いた作家。
場所にこだわっている、
ということでは、
「包帯クラブ」も「悼む人」も、
同じです。
原作はどちらも読んではいませんけれど。

もう少し、時間があったので、
映画「パッチギ!」も見ました。
何度見ても、好きな作品で、
亡くなった加藤和彦の音楽が、
ずっと流れているのですけれど、
音楽、特にラストシーンで、
「あの素晴らしい愛をもう一度」が、
流れるのですけれど、
加藤和彦が死んでしまったことを忘れ、
歌の美しさだけが、
映画の素晴らしさと一緒になって、
僕の中で、花を咲かせてくれました。