kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

三好達治さん!!

2021年12月27日 | 文学
  


雪が積もりました。降ってもいます。


さて、雪といえば、大好きな詩があります。
昔はみんなが学んだ詩人ですよ。
教科書にも載っている有名な詩人です。
今は載ってるのかな?
この人です。

三好達治さん。

「雪」

という詩があります。

こうです。




   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。




どうでしょうか。


大好きな詩というよりも、
凄い詩だと思うのです。
たった二行ですよ。

ふりつむ、ですからね。

もうね、言葉の最高件pですね、凄い。

これ、次郎いるの? 太郎だけで良くない?

って思いますよね。
違うんですよ。
ね、太郎の屋根に雪が降り積もってきますね。
で、次郎の屋根にも雪がまた降り積もってきますね。
これね、たった二行で、時間の経緯を表現してるんです。
太郎だけだったら、時間が止まってしまう感じがなきにしもあらずですけど、
次に、次郎の屋根も雪が積もってきてる。
これは時間が流れているというか、時間が重なってきてるんです。
雪は落ちた雪の上にまた重なってきますね。

もう先生、頼みます。たまらんです。マジ。
凄いでしょ?

気持ちが温かくなりますしね、
ああ静かで、良いですね。
詩って、思想じゃないですね。

でもどうしてこんなに短い言葉で
作れるんでしょうか。
三好さんに訊いてみたいね。
「まだ長いと思うけどね」
なんて言われたりして。

この詩はね、というか小説でも詩でも俳句でも何でもそうなんですけど、
黙読じゃなくて、音読するとまったく違うわけね。

この二行の詩、ゆっくり声に出して
読んでみてください。
これが言葉の「音」なんですね。
言霊なんですね。
ゆっくり、味わって、読んでみてくださいね。


これが文学の醍醐味ですわね。ハイ。
言葉のグルメですわ。
最高級の一品料理。ね。
舌がまろやかでふんわりしてて、
あとからじわーっとジューシーな広がりが
とろけますし、しかもキリっとしてますしねえ、
家庭料理の最高級品を味わうって感じね。
ああ幸せ。


---

20時まで残業。
雪はやみましたけど、
寒いので、
おむすびを3個食べて
忍びました。

帰ってからお風呂に入って、洗濯をして。

伶伶


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きゃりー

2021年11月22日 | 文学



先日、アウトレッドの服屋から
流れていた曲

やっと見つけた
声はきゃりーだと判っていた。

最初、バラードで検索

やっと見つけた
『Slow-mo』

一発で胸に宿った

新曲かと思ったら
2014年の作品

プロデュースの中田ヤスタカ
Perfumeも同じ中田ヤスタカだから
きゃりーとPerfumeが一緒に歌番組に出ることはめったにない。
一度だけ、見た。
あれ以来、おそらくない。

きゃりーは知性
きゃりーは人の悪口を言わない。親から「人の悪口を言ってはだめ。なんでかっていうと、あとからそれを知った本人が傷つくでしょ?」
厳しい親だったという

ファッションには
知性や理性、教養がいっしょくたになっていることが多い。

奇抜な服を
誰も来ていない格好、髪型、
それを原宿でやった
きゃりーだけじゃなく
原宿発信

きゃりーのPVを見ていると
その色彩が凄い
調べてみると
舞台美術は増田セバスチャン
この人が凄い
ずっと耳が聞こえず
聴覚異常を
知らずに過ごした
ある日
正常ではないと知った

けれど
聞こえない分だけ
視覚の世界が拡大した結果
色彩天国
素晴らしい舞台美術
もちろんきゃりーのファッションも
かかわっていると想像する

増田セバスチャンは
寺山修司と接点があることも
納得できる


次は肝心な作詞作曲楽曲構成を
自宅の一室で手がける中田ヤスタカ
きゃりー
Perfumeだけで
どれだけの楽曲を生産していることか
しかもどれも斬新

おそらく人間の聴覚に
心地よい音域の構成を
知り尽くし
どこで飽きるか
を知っている
飽きる前にやめる
「もっとほしい状態」にする
そういったことを
おそらくソフトか
音域方程式のような
計算式を持っている
というか熟知に至るまで
研究している
極めて
これは身体的
快楽とは脳ではない
身体
脳も身体の一部
それを優れた件p家は
知っている

音楽の方法は
他のジャンルに応用というよりも
転用できる
文学も他ではない

中田は当初
若い
きゃりーに座って歌わせたという
つまり
立ってレコーディングすると
エモーションが、情動がでてしまうのを
防ぐため
歌い手の気質にもよるけれど
きゃりーに汗は似合わないと
判断する能力
これは中田の才能

しかもきゃりーの声は
コンピュータに近いという
コンピュータにマッチしやすい音声だという
かといって無機質でもないのは
肉声だからです

クールに
というよりも
淡々と歌うために
中田ヤスタカは
きゃりーを座らせた

極めて身体的発想


きゃりーが
中田に電話か、メールで
「つけまつける」(つけまつげ、つける)
と短縮形で言って
「え。それいい」
と中田はきゃりーの日常会話を
拾った
それで
できた曲が
『つけまつける』

『み』という楽曲は
「み」しかない
楽しい、かっこいい、斬新。
発想があり
それを演出するのが
きゃりーとTempuraキッズ

Tempuraキッズとは
きゃりーと一緒に踊る
凄いダンサー達
ライブでは
Tempuraキッズのソロタイムも
確か20分くらいあった
それがまた圧巻

Tempuraキッズの個々人は
無記名となる
このセンスが
増田セバスチャンのものなのか
誰のものなのか
判らない
きゃりーのグループの面々は
それぞれのエキスパートでできている
楽曲、舞台美術、選曲、衣装、ダンス、舞台照明、音響、
とりわけきゃりーのCGは
「『ponponpon』のCGを作ったやつは、複数のLSDをやっているに違いない」と
世界で評価が高い
確かにあそこまでcrazyなCGを見たことがない。


CGに関しては、80年代初頭、ナムジュンパイク展を
福井放送まで友達と見に行った。
永平寺を撮影している関係から福井放送だったのだろうと思う
福井しかやっていなかった
当時大阪在住だったけど
行っただけの価値と衝撃があった
その前後
大阪毎日ホールで立花ハジメの『太陽SUN』のアルバムと同時に
ツアーがあって見にいった
あれも度肝を抜かれた

あれから40年たった
当時エレクトロャbプといわれ
中田ヤスタカまできたけれど
実はそれほど変わっていない
すべてCG映像はナムジュンパイクから始まった
とりわけ『TVgarden』は素敵だった

きゃりーぱみゅぱみゅ

あらゆるスタッフの総演出
きゃりーもまた構成にかかわるという
みんなで楽しむ
だから
聞いた見た側は
楽しい



一度
きゃりーのライブを
Zepp Nagoyaで聞いた
zeppはつねにスタンディング
ここで
見たミュージシャンのライブはたくさん

まず
音が良い
きゃりーのライブを見たのは
2014年前後だったと思う
お客さんは子供から
中年層まで


きゃりーのライブの中で
「こういう歌が歌いたかった」
という内省的な曲を披露した
つまり
ャbプとしてのきゃりーぱみゅぱみゅではなく
自分の正直なことを歌いたかった
というわけ

その曲の善し悪しはともかく
とても覚えているMCだった
自分が歌いたいものと
求められているものとの違い
「これを歌ってもいいじゃん」
と自由に歌う
それさえ
きゃりーになる

美輪明宏

一番注目する人物
きゃりー

下品さえ上品にできる人
きゃりー

音楽が一番早い
日本の最先端が知りたかったら
きゃりーの一番新しいものを見聞すればいい

曲が聞こえてきた
なんだこれは?

「KPP。きゃりーぱみゅぱみゅです」


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歌うたい、音楽家の文学性

2021年10月27日 | 文学
  




夜9時まで労働
鯨と一緒に
時々
鯨は鳴く

以前
名古屋に
『caravan』
という凄いバンドがあった
活動は短かったけれど
知り人ぞ知る
伝説のバンドです

そのバンドの録音物(1979年、天王寺野外音楽堂、最後の春一番)
でのステージを録音したものです
欲しいという方が何人かいて
今でも「送って!」と言う人も

そのテープ(現在はCDに変換され所持)と
吉増剛造のサイン入りの詩集
ペケ(いとうたかお氏)の多数のライブ録音物は
わたししか持っていない
宝もの

いずれ保管可能な誰かに
寄贈したいと思っています

何度も聞いたそんなcaravanのライブ音源を
口で奏でながら
歌いもしながら
夜の9時まで
飽きることなく
楽しく労働

いろんなことを思い出しては
ペケのライブを見にいった最初の会場であったり
どれだけの場所で
ペケを聞いたんだろうと
場所を指折り数えては
鯨とともに
夜が
ゆき

忍び武士から
ジュースとビスケットと最近買った本の差し入れ
ありがとうございます
また読ませて頂きます

帰路
家の近くで
すれ違う
三人の家族
幼い子供が
「パパはどうしてママと結婚したの?」
と聞いていた
答はすれ違ったあとに
発されたのかも知れないけれど
父と娘
そのあとを母がゆく

あの質問の答は
万の数ほどあるだろう
そしてどれも正解はないだろう
不正解もない

だから子供の質問は
文学そのものなのです

---

平沢進の『FGG』鳴る


  『FGG』   歌、作詩作曲 平沢進



 風に競えよ なお行く鳥 陽は落ちて
 遥かアニマの 声なき声 いまに来て

 
 家を想わす 牡鹿の群 宵は来て
 老いてなお行く アャ高フ火は 今燃えて


この歌を聞いたのは東京在住の時で
はて? アニマとは?
と調べると
そうか
と納得
同時に八木重吉を耽読していた時期で
いっきにその後の方向が決定してゆく道程

体を悪くして
帰名したある日
新聞のコラムで
『アニミズムの風景』という題で
山折哲雄先生が書いていた記事
当時は山折哲雄という
名前を知らず
良い記事だったので
切り抜いて
今でもスクラップしています

それほど

アニマという言葉と
アニミズムという言葉があることに
衝撃を受けた

結局
平沢進の歌詞の『アニマ』から
広い世界に出ることができた

さらに帰名して
シンガーソングライターの
ペケの歌詞を聞く

これが平沢進よりも
もっと奥深くて
判ったような気になっては
もっと判るまで
何年もかかった

ペケもまた
文学以外
何物でもない

高橋悠治の『カフカの時間』
武満徹の『時の園丁』

これらも音楽家の言葉だけど
小説家が書く言葉よりも
優れた言葉であるという
凄いことが
他分野でこそ
起きている
これは凄いことです


いつ
どんな言葉と出会うかで
わたしたちの
人生は
決まる



---

帰宅
バッグにチョコ
あ、Joeさんからだ
と思い
まったく知らずに帰ってきた
明日
お礼を言おう
ありがとうございました






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やぎさんゆうびんの永劫回帰

2021年10月24日 | 文学



終日
『やぎさんゆうびん』鳴る
このエンドレス感が
たまらん
ニーチェの永劫回帰だ

最初
どっちが
手紙書いたのかな
それって
卵が先か
鶏が先か
の世界

さすがの作詞はまどみちお大先生
『ぞうさん』の作詞家でもある

「ぞうさんぞうさんおはながながいのね? そうよかあさんもながいのよ」





である
凄い!
二番は「かあさんがすきなのよ」
とある
動物の本質的なところを
平明でひらがなで綴る

吉増剛造も
藤井貞和も
はっきり言って
真っ青である
まどみちおワールドには
かなわないですよ
マジ

名前からして

窓と道ですからね
凄すぎる


まどみちお大先生は
晩年
認知症になり
たしか100歳越えで
それでもふつーに
詩作していた
NHKのまどみちお大先生の
晩年のドキュメンタリーを見ずして
詩人が語れるか!?

やぎさんゆうびん
作曲は團伊玖磨先生!
凄い!

---


カラス
たくさん
現る

サウス先生と
大丈夫かなと心配になり
ナマステ先生に電話
「大丈夫、ありがとう」
お医者に行ったら
ただの皮膚炎だったらしい
良かった良かった

---

ベトナムのタンファ出身
名前はロスタ
21歳
「飛行機飛んでる?」
と聞くと
「まだ」
と笑顔で言う
「もうすぐ飛ぶから大丈夫」
「ハイ、アリガトゴザイマス」
と返る
帰りたいだろうな


9時半まで
ゴトウノオジ
忍び武士
ヨオコノオバと
北エリアにて

寒くて
ダウンベスト着る

帰ってから
たくさん食べて
スープに火を通すけれど
飲まずに
寝入る





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秋の夜長の文学話

2021年09月23日 | 文学
  
  
  



雨上がり


中日
お彼岸
秋分の日

大きな木喰仏の
夢を見る


自転車に乗った
二人のお坊様を見る
今時
檀家もすくないだろうけれど
忙しそうな
お坊様が見られて
うれしい
お彼岸だもんね

北海道の歌手の歌に
聞き入る

---

サイセイ氏に
昼間
詩を添付してメールを送ったら

電話鳴る
かけ放題のわたしが
かけ直し
3時間半話す
途切れるということがない
サイセイ氏との会話

今日はめずらしく
詩についてそして
文学だけで3時間半
いつもは社会学や政治
パンデミック
その時々の社会で起きていることの話題が
多い
サイセイ氏は社会学が明るいけれど
文学も明るい
激しく面白い電話となる


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カカムラ

2021年09月16日 | 文学
  
  


くもり


淡々さんから
ホルダーを3つもいただく
助かります
ありがとうございます
ホルダーが壊れていたので
うれしいです

久しぶりにツキちゃん登場
マジメだなあ
ツキちゃんは
いつも凄く
一生懸命労働する
それが良いね
見てて
気持ち良い

ビーンズ缶のプルタブが
取れて
開かず缶になって幾年月
今日
そのビーンズ缶を持っていくと
いるんです
缶切りを持っている人が

サウス先生が
「待っとけ。あるで」
と京都弁
バッグの中から
取り出したものは
爪切りや
ドライバー
ヤスリ
ナイフが
一緒になった
変なグッズ
しかも小さい
便利な代物
その中に缶切りがあるではないか

一日貸してもらい
帰宅して
無事
それでビーンズ缶が
開いた
食べた
ありがとうございます!

サウス先生のバッグは
まるで
ドラえもんの四次元ャPットみたいです

---

内田樹氏のリツイートで知った
Yositaka Nitta氏のツイート

以下


『今回どれほど彼のこの国での働きに救われたことだろうか。タリバンの検問所で、町のバザールで、兵士も市民も僕たちが日本人だと分かると「カカムラ、カカムラ」と笑顔になり心を開いてくれた。アフガニスタンを愛し農民と共に土にまみれ続けたひとりの日本人の情熱は今も人々の心に深く刻まれている。』

カカムラというのは
中村哲さんのことだけど
意味を調べると
「ナカムラのおじさん」
とある

それから
再び
中村哲さんの動画をいくつか見ていると
時間が過ぎてゆく
網膜に涙腺から
分泌される涙液を
ハンケチで拭い
見続ける

いつだったか
中村哲医師が書いていたことがある
印象的な記事
ウィキペディアより引用

以下

『アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、憲法9条の堅持を主張した』


憲法九条をわたしたちは国内のことと
考えがちですけれど
こうして海外で生活する人の言葉を聞くと
そういう効果があるのか
と思う

実際に中村哲さんは殺されたけれど
「中村医師だとは知らなかった」と
犯行に及んだ武装集団は言っているらしく
それを今
追求する動きがある

中村哲さんはアメリカもタリバンも否定しなかった
よって
最近になって
アフガニスタンを制圧した
タリバン幹部は
『中村医師は特別な存在』
という見出しを
新聞でもご覧になった方は多いだろうと思う

その見出しによって
日本人はタリバンへの見方が変わるというのも事実
しかし
そこは慎重であらねばいけないです










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本物の言葉

2021年09月14日 | 文学
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01180/


だから文学って面白いんですよね。
どこまでいっても底もなければ地平の終わりもない。
あらゆる件pの中で、文学だけがわけがわからない。
それがたまらん。
李琴峰さん、おめでとう!
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中山ラビ

2021年07月07日 | 文学


(音源 春一番コンサート74年 天王寺野外音楽堂 中山ラビ+洪栄龍&スラッピージョー)


中山ラビ氏が
7月4日
空の上に帰った

中山ラビを聞いていた時期は
中学生だったと思う
すでにあれから45年以上が経過

買ったアルバム
『ラビ女です』
上記のアルバム『春一番74』のオリジナル版で
復刻板では中山ラビと遠藤賢司の楽曲は収録されていない

おそらく『春一番コンサート』のアルバムはキングレコード系ベルウッドという
素晴らしいレーベルであり、当時大手のャ梶[ドール所属の中山ラビと遠藤賢司は
著作権の件でいろいろあったのではないか
と推測する

春一番コンサート1974年の出演者は以下

加川良  なぎらけんいち  JAM  武部行正  古川豪  田中研二 シバ  布谷文夫  林亭  高田渡  遠藤賢司  中塚正人  
村上律 朝野由彦  ダッチャ  いとうたかお  中川五郎  斎藤哲夫 中山ラビ  金森幸介  箕面参助  長野隆  中川イサト  
西岡恭蔵 ザ・ディランⅡ  松田幸一  キリギリス

---

当時
メロディがない
日本語の歌を聴いたのは
これが初めて
歌詞に
『高島屋』など固有名詞が
出てくるのも初めてで
いったい何を言おうとしているかが
わからない
けれど
声が
勢い走ってゆく快楽
これは
何だろうと思
名前は
中山ラビ『夢のドライブ』とあった

今さら
歌詞を検証してみると
以下になる

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楢山節考

2021年05月01日 | 文学
今村昌平の『楢山節考』は
何度か見ました。見てしまう。

熊野新宮の作家、
中上健次は生前、
深沢七郎の農場を訪れている。
そこでどんな会話があったのか。
因習と民主主義の隙間から、
現代の高齢化という木が芽吹き、
大木となっている。

それを見るだけでなく、
この手で触る。

老いは当たり前。
88歳の母を身近に感じる時、
感謝しかない。
子供の時してもらっただろうことを、
お返しする。

わたしの体は
わたしが選んだ母からもらって、
栄養食を食べ、
今に至る。

風、
ビル、
色、
痛み、
歌うこと、
考えること、
川、
空、
それは
この肉体があって、
目があって
見ることができる。

皮膚があるから、
痛みがある。
かゆみさえも。

それを尊く思う。

いつだったか、
名古屋の町中を
自転車で走っていたとき、

ビルがある、
風を皮膚が感じている、
車が通る、
思っている脳があって、
この体の
筋肉があって
自転車を漕いでいる、

これは凄いことだ、
体があることって凄いことだ、
と直感し、
見る聞く思うが、
新鮮で、
まるで生まれた子が
まわりを見るような
不思議の連続感覚が
あった。

目覚める、
とは
あの数分の
出来事だったかも
しれない。

そういう視点に立つと、
社会の構造の中で
旧態新態で
あろうと
なかろうと、

一人の魂の持ち主として、
思うこと。

それは
移りゆく
社会構造の
中では、
決して
捕らわれることがない。

世界がどうであろうと、
この体があるという奇蹟。
いずれ
借り物の体は
朽ちる。

そして
また
空に帰ってゆく。

たくさんの経験をして。

母(ぼ)こそ、
源。

そこに
身体的感覚で、
切り込んでくる
日本人の因習文化の源は、
『自然に帰る』。

すごくたくさん、
思わせる作品だ

今でも思います。

深沢七郎の
楢山節考が出た時
三島由紀夫は
のけぞったという


三島が
水鉄砲で
バキューンバキューンと
声を出して遊んでいたら
深沢七郎は
実弾で撃ってきた

そんな感じ。


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ドラマに学ぶコロナ渦の物語

2021年01月03日 | 文学
  


氏神さまに去年をお札を
収めにゆく

その足で湯に入れる色香りを買う
その足でスーパーで食材買い
最近
買う物が決まってきている
まず
キムチ
納豆
豆腐
揚げ出し豆腐
焼きそば
塩抜きピーナッツ
ダークチョコレート
鯖の缶詰
甘い物を少し
半額になったヨーグルト
食パン

ところが今日は違う
何とおせち料理に使う
小魚の佃煮と
シジミの佃煮が
半額
おーやったー!
こんなおいしそうなものが
半額なんて!
ついてる

しかも
最近
どれだけ種類があるんじゃ
というほど
並べられている
ヨーグルトの類い
その中で
半額シールが貼ってある
これを買う
つまり
毎週
違うメーカー品種の
ヨーグルトを買う
これって
多様性のあるヨーグルトの菌を
飲む、食べること
これほど
腸が喜ぶことはない
しかも
安い
小久保圭造は賢い
としか言いようがない
どうしよう。。。
自画自賛ほど
気持ちいいことはない
ああ、気持ちいい。。。

帰ってから
おにぎり先生にメール

無料配信で『逃げ恥じSP』見る

コロナ渦をドラマに導入するという難しさ
それをかなり思う

暗い世相の時
明るいものを求める
それが真実だ

でも作者というのは
コロナ渦や311
戦争を表現の中に取り入れないでは
いられない
どうしてか?

無視できないほどのことだから
物語なんて嘘だから
そんな嘘は
大きな真実の前で
弱体化する
発表を見合わせる人も
311の時にはいた

ドラマだって
脚本を書き直す人だっているだろう
当然の葛藤

今回逃げ恥SPの感想が
本編ほど良くなかった
と多数ある

何故か
コロナ渦をドラマに導入したから

コロナ渦に表現する方法は3つある

1 コロナ渦を無視する(家政婦ナギサさん、七人の秘書、姉ちゃんの恋人)

2 コロナ渦を何割か導入する(逃げ恥SP、#リモラブ)

3 潜在的コロナ渦を物語りで導入(311の時の『マルモのおきて』)

もう一つ
コロナ渦を題材にした
『不要不急の銀河』は
コテコテ文学の又吉直樹の原作である
これだけはちょっと特別で
上記の3つのカテゴリの次の『4』には相当しない

ドラマ、物語は
どんなものでも
わたしは大好き
社会性を入れる入れないという
論争はつまらない
勝手に
好き勝手作ればいい

それは文学という
もの凄いものから
得た思いです

というわけで
だらだらした休日4日間年末年始は
終わり
カフカ先生に
久しぶりにお会いし
距離を保って
升半のお茶を差し上げ
「またゆっくり」
とコロナ渦
お茶することもなく
ああ
去年夏書いた小説の推敲できなんだ
どうしよう。。。
まあいいか
というわけにもいかん。。。はあーーーー。
やばい
時間が迫る。。。










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もっとすごいヤツがいた

2020年11月04日 | 文学
  



最初に小説において
神話的要素、及び神話という言葉とぶつかったのは
大江健三郎と中上健次の解釈と理論を
あらゆる評論や対談で解読していた時です

何故
大江健三郎を読み始めたか
というと
三島由紀夫の対極にあった小説家だったから

三島から始め
文学への傾唐ヘ
反対のものを読むことも大事でした
それは三島を理解したいという一念から

文学とはもの凄く難解なもので
今でもそうです

もちろん
三島が影響された
または三島が発言した作家をたどってゆく作業
レイモンラディゲやコクトー
ボードレイル
埴谷雄高や稲垣足穂など
かじる程度に読んでいきました
三島の原点はどこにあるかを知りたかった
仏文だし
まあフランス文学だろうな
と思ってはいたのですけれど
日本文化というものを当時
わたしは敬遠していた

対極の大江健三郎を読んだ
何故
対極だったかというと
思想的
ということだったんですけれど
三島には思想はない
それは確かです
そこに関しては話が逸れるので
今回はやめておきます

大江健三郎の中期
『個人的体験』から
大江文学は始まった
初期はニヒリズム
水槽の死体を棒で突っついたり
人間を物として見る目線は
詩的でさえあったけれど

『新しい人よ目覚めよ』あたりから
ウイリアムブレイクの詩が引用されてきた
その後
ダンテの『神曲』や
フラナリーオコナーの詩が引用されて
日常に彼らのキリスト教的神話が
導入されてきました
文化人類学者の山口昌男の影響も強く
評論家の柄谷行人は
「大江健三郎は文化人類学を導入したが中上健次は文化人類学の対象そのものだ」
と中上健次と大江健三郎の違いを見事に言い当てました

まず大江を読んでいて
ああ
これは三島を超えている
と思った
なぜなら
四国の森の山村の話が
キリスト教的な示唆に包まれてゆき
平凡な村民たちが
神話的な人物と重なってゆく
その面白さは
三島にはなかった
もっとはっきりいえば
三島は何も信じなかった
大江は障害を持った子供ができたあと
神話的になってゆく
この違いは
文学に大きく反映されました
大江は信じている
森を木を人を息子を

次に大江と一緒に語られる
『最後の文学』者のもう一人
中上健次です

被差別部落を路地と名付け
路地は世界に繋がっている
と言った
すごいと思った
そして
路地の平凡な人々が
今度は仏教的加護において
生きている熱情
血が流れても
輪廻転生ということで
血族にこだわった
それはガルシア・マルケスであっただろうし
色々ある

『奇蹟』という小説で
最後
主人公が
仏の掌の上で
持ち上げらているシーンは
圧巻でした

普通の生活に神と仏が混じり合っている
これは三島にはなかった
最後
『豊穣の海』のラストのみに
それはあったから
もう少し書いてほしかった
『何もないところにきてしまった』
っていうところを読んだ時の読後を
今でもおぼえています

当時
三人ともこれはどうやって読んだら
いいのかな
と思って
まず読む
とにかく文学はむつかしい
何が何だかわからない
わからないというのが
本当に魅力だった
再読するともう
違う意味が生じて
違う疑問が出てくる
この面白さはたまらん

そして待ちに待った
後書きのあとの
解説を読むんです
それは文庫のみに書かれてあったけど
それを読むのが楽しみだった
そうか
そんな意味があったのか
と納得
解説は評論家や作家が書いていて
気に入った
わかりやすい解説だったら
その評論家の本を借り
その作家の本を借りた
文学の海
文学の森
どこがどう繋がっているのか
たどってゆくのか
混じり合って
たちのぼって
消えて

混沌ですね文学は

ただ読み漏らしがあった
小島信夫と古井由吉と石牟礼道子です


大江も中上も文庫で買って
解説で解釈の勉強をした
それだけじゃいけないと思って
三人の評論を片っ端から読んだ
『國文學』なんていう大学文学部のテキストは
図書館で閲覧のみだったから
買って読みました
だから今でも本棚に数冊あります

特に三島の評論は当時あったものは
全部読みました

中上は三島の輪廻思想に自身も重ね
天皇ということも
日本
日本人
日本語ということも言っていた
それは三島と重なっていた
ところが
三島には神話がなかった
神話の代わりに自己愛があった
自己愛をはぎ取ってゆくと
神話が生まれる
つまり
他者です
他者への思いこそが
神話的に成らざるを得ない
どんな宗教も
言っていることは愛です
それ以外は言っていない

三島は最晩年になって
やっと宇宙的ビジョンをつかんでいたはずなのに
自己に固執して
物語を作った

この三人を耽読した経験は
おのずから
神話というものを意識せざるを得ない
だからといって
聖書を読むことはしなかったけれど
大江が書く聖書の一節と
物語の重なり方は
物語を文字通り
『重層的』にした

信じる
祈るというのは
原理です
一本の柱がある
それはキリストであり仏であり神であり
単一です
それが原理主義

その人間中心主義の反省から
出てきたのが
構造主義
機械のように
機能する作り方
ビルなど構造主義に最たるものです
建築現場にいると
鉄骨の骨組み
壁という肉
塗装という服
内装という臓器
配線という血管
配水線という汗線
窓という呼吸

これは構造主義です

原理主義は一本の木として成っている
葉はフラクタル(無秩序)に茂り
幹はまっすぐではない
年輪があり
どんどん太くなってゆく

構造が平面的垂直的としたら
原理はまっすぐ伸びる一本の木

これは本当に大事

三島は構造主義の最たるもの
村上春樹も
つまり誰も信じていないのが両者です
または現代です

現代日本に神話はあるか?

ないです

日本ははっきりした宗教がない
これがまた何でも受け入れる面白さでもある

大江が描いたダンテの『神曲』は活字では
むつかしかったので
絵本で読みました
それは何度も何度も
ベアトリーチェですね

そして三人とも
日本、日本人、日本文化から
逃れることはできなかった
何故か
彼らが書いていた言葉が
日本語だったからです


そしてこの三人より
もっとすごいヤツがいた
それを後に知った
宮沢賢治です
神話でも構造でも原理でもない
現象学の対象そのもの
全部ある
全部そこにある
それが宮沢賢治です

宮沢賢治ほど
日本語が似合わないヤツもいないし
造語たくさん作っちゃうし

日本、日本人、日本文化ということに
彼は興味がなかった
そんなものどうでもよかった
彼が愛したのは人であり
石であり空や風だった

カテゴリーというものは
宮沢賢治にはない
自由であり
その自由という概念もない
そんなのは愚問

今起きていること
それだけだった
点滅する光みたいな感じね
未だに新しい解釈が生まれる
永遠に不明の件p家です



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灰野敬二、大友良英、吉増剛造

2020年07月20日 | 文学


 


昨夜は
秋葉原
グッドマンでの
無観客ライブを
YouTubeで堪能する

凄い
ノイズ、ノイズ、ノイズ

最後は
灰野敬二と大友良英
もう圧巻
どの出演者もとにかく凄かった

ノイズっていうのは
ほんとぶっ飛ぶ

灰野敬二が放つ言葉は
声も良いし
凄くて
昨日の言葉は凄かった
なので筆記する
記録しておかねば
と必死

無観客ライブではすでに定番の
リアルタイムツイッターで
誰かが歌詞を聞きながら
文字起ししてくれたので
助かった
お礼を言っておいた

灰野敬二は
吉増剛造がとても好きなんだろうな
って思った

たまらん
現代詩が
こういうノイズに近い場所にある
っていうのが
もううれしくてうれしくて

中原昌也も
文学者かつDJ


現代文学とノイズ







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岡井隆氏 空に帰る

2020年07月16日 | 文学
  
  

先日
歌人
岡井隆氏が空に帰った

難しいので
ちゃんと
最後まで読めなかった
歌集

けれど
中日新聞で
ずっと連載していた
『けさのことば』で
どれだけ
詩人と詩を知ったことか
岡井隆と書いてあったけれど
こんなに凄い人だとは
その時
知らなかった

『けさのことば』

黒田三郎
山之口獏
茨木のり子
石垣りん
中上健次
吉増剛造
吉岡実
大岡信
などなど
数えきれない
詩人や文学者
歌人もあっただろう
紹介されていて
気になった詩があれば
それを読む
新聞の連載が目的とした
言葉の泉の入口案内人としての
岡井隆氏の紹介する短い詩と
短いコメントは
たいへん役に立った
まさしく手引きだ

文学が好きでしょうがない友人は
引っ越し屋をやっていた頃
ある引っ越しで行ったところが
「妙に本がたくさんあるなあ」
と思っていたという
それが
「まさかあの岡井隆とは知らなかった」
と今でも後悔している
あの時
捨てる本をもらったら
どれだけの価値か
と今でも言う

至近距離で岡井隆と会っているし
名古屋からどこかに引っ越す時だ

今夜あたり
電話して
また岡井隆の話でもしよう
彼もまた
岡井隆氏が
空に帰ったことを
知っているだろうから
「そうなんよねえ」
と彼は言うに決まっている
わたしは
結局
古井由吉氏と同じように
同時代に生きながらも
古井由吉氏や岡井隆氏の
凄さが判らずに
のほほんと生きている
その悔やみは
あとから
来るのかも知れない

現存している作家だったのに


---


シジミチョウを追う
捕まえられず
それぞれ
散らばる






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文学とコロナ禍 伊藤氏貴氏へ

2020年05月28日 | 文学
   

本日付けの中日新聞夕刊に
文月桾] 伊藤氏貴氏の記事

素敵な批評家の印象があるので
丹念に読む

新潮6月号の表紙が「コロナ禍の時代の表現」とどかーんと書いてある話から。
内容はそれに関する作品の目次があるわけではない、とも。
ただ二冊取り上げていたのは、
金原ひとみ著『アンソーシャルディスタンス』と
鴻池瑠衣著『最後の自粛』

どちらも「コロナ関連」の作品。

記事の中で
『ソーシャルディスタンス』を『フィジカルディスタンス』と言い換え、『フィジカルディスタンス』を金原作品に合わせて「フィジカルディスタンスシング』と言い換えている。

ソーシャルディスタンス → フィジカルディスタンス への言い換えは、
専門家会議の副座長、尾身茂氏の発案。
理由は「ソーシャルディスタンス」(社会的距離)より「フィジカルディスタンス」(身体的距離)の方が良いのではないか、という社会という大きな枠組みだと適切ではない。ということ。

尾身茂先生は、おそらく、さらに経済が落ち込み失業者があふれることへの配慮からソーシャル(社会)を外したと思わる。

というわけで伊藤氏貴氏は、そういう言葉への配慮をしっかりとらえて時評を書いている。
文中、鴻池作品を解説する際、阿部和重著「インデビジュアル・プロジェクション」を引用していて、あれそんな内容だっけなと、久しぶりに読む懐かしい題の内容を思ったけれど、思い出せない。ただインディビジュアル・プロジェクションがめちゃくちゃ面白かったのは覚えている。

記事を読み、文月桾]だし、コロナを外すわけにはどうしても書けないという批評家の悲哀さえ見える。無理をしてコロナと文学をくっつける意味の模索は新潮6月号表紙でも物語っているけれど、そこに伊藤氏は『くっつけられないもどかしさシンパシー』を得たに違いない。
それはほぼ大多数の作家が抱える問題です

ここで思い出すのは311

あの時、いとうせいこう氏の『想像ラジオ』という作品を生み出せないでいる作家たちの中で、
高橋源一郎が『恋する原発』を書いた。あれは最初、まったく意味がわからなかった。
そしてわかった。今でもおぼえているけれど、『恋する原発』という小説には、どのページにも、ゴチック文字で『おまんこ』と『ちんこ』が連発するのだった。それを地下鉄の中で読んでいて、さすがに人目を気にした覚えがある。
 あの時、何故高橋は隠語を連発するのか、それがわからなかった。
ぱっと判ったのは、「何を書いてもいいんだ」というメッセージ。
当時、同調圧力の中、新聞をはじめあらゆるところで検閲があった。見えないところであった。これは本当です。

このblogでも実際にあった話

原発反対のデモが名古屋であって、それを前日にURLを貼って、時間、場所の詳細が判るようにしていたのだけれど、
ロボットが動いた。
当日の朝には、そのサイトには飛べなかった。
友人のTwitterも数年後に完全に凍結された。
意味がわからん。それ以降、友人は一切、口をつぐんだ。

311の時、高橋が示した言葉の自由。あれは、まさしく時代を現わした作品であり、いとうせいこう氏のやり方とはまったく違う。どちらもあり。

そして今、わたしたちは、どうやって書くか、
ということを思う。
311の時、多和田葉子の近未来短編小説がコメント欄でひどく批判されていた。これは先行きが暗くなる作品だ、と。わたしは一番好きな作品だったから、読者の批判が信じられなかった。
そのアンソロジーには川上弘美が『神様』をアレンジした大胆な作品もあった。
音楽家の尾崎亜美が新作を出すのをやめ、すべて書き変えたとか、
映画界では園子温が急きょ、発表直前になって『ヒミズ』に311をぶち込まざるを得ない心情であったりとか、
本当にいろいろあった。

それを今回も思う。
きっと伊藤氏貴氏も同じ思いなのではないのかな、
とコロナと文学をくっつけるもどかしさを、感じるばかりです。





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本当に『生きた』日

2019年12月30日 | 文学
茨木のり子という詩人は
体質に合う

今朝起きると
昨日読んでいた
大量の新聞の中あった
茨木のり子の詩が
頭に浮かんだ


紹介されていたのは
『ぎらりと光るダイヤのような日』
から抜粋されていた


 世界に別れを告げる日
 人は一生をふりかえって
 自分が本当に生きた日が
 少なかったことに驚くであろう
 指折り数えるほどしかない
 その日々のなかのひとつには
 恋人との最初の一瞥の
 するどい閃光などもまじっているだろう

以上の全文を
記憶していたわけじゃない

最後の時
本当に「生きた」
といえる日が
どれだけあったんだろうか

そんなふうに覚えていて
早朝
蒲団の中で
過去を思っていた

すると
本当に「生きた」
日は
素晴らしい日だけではなく
辛く悲しい
苦しく
寂しい
それでも
人生の
振幅が
大きく揺れた日
それを全部集めると
苦しい思いをした日
寂しい思いをしたあの日
悲しみに打たれ
号泣したあの場所
あの数日

ということは
喜怒哀楽こそが
人生の醍醐味
それが
ぎらりと光る日の記憶

そう思うと
辛いことや
悲しいこと
自信を失うことでさえ
それは
本当に「生きた」

いえるように思えてならない

だから
もっと悲しみ
もっと喜び
もっと苦しみ
もっと嬉しい
そんな日を刻む

できればうれしい
楽しいがいいけれど
薄っぺらなうれしさは
ぎらりとは光らない

以下
全文




 ぎらりと光るダイヤのような日
 

           茨木のり子


  短い生涯、とてもとても短い生涯
  60年か、70年の

  お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
  コックはパイをどれくらい焼くのだろう。
  教師は同じことをどれくらいしゃべるのだろう。

  子供達は地球の住人になるために
  文法や算数や魚の生態なんかを
  しこたまつめこまれる。

  それから品種の改良や
  りふじんな権力との闘いや
  不正な裁判の攻撃や
  泣きたいような雑用や
  ばかな戦争の後始末をして
  研究や精進や結婚などがあって
  小さな赤ん坊が生まれたりすると
  考えたり、もっと違った自分になりたい
  欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

  世界に別れを告げる日
  人は一生をふりかえって
  自分が本当に生きた日が
  あまりにも少なかったことに驚くであろう。
  指折り数えるほどしかない
  その日々のなかのひとつには
  恋人との最初の一瞥の
  するどい閃光などもまじっているだろう。

  <本当に生きた日>は人によって
  たしかに違う。
  ぎらりと光るダイヤのような日は
  銃殺の朝であったり
  アトリエの夜であったり
  果樹園のまひるであったり
  未明のスクラムであったりするのだ。


良い詩人ですね。。。




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