kotoba日記                     小久保圭介

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和魂洋才

2017年12月31日 | 生活
大晦日
今年も最後まで
なんとか
辿り着いた
めでたい

寒い朝
雨が降っていて
洗濯物が
干せない
明日に干そう
と曇天空を見

ざるそばを4枚
天ぷらを少し食べ
コーヒーを飲んで
和辻哲郎の『風土』という本や
和魂洋才ということを
話していた

日本文化に関して
写生文ということが
漱石論の中にあったらしい
そんな話の流れの中で
三島由紀夫の『金閣寺』でも
7割が自然描写であるという

日本人ほど
自然を文化に取り入れている
民俗はいない
というのは
古い友人の受け売りだけれど
それを今さらに
思う昨今

外国の文化は取り入れることができた
外国の思想はどうだったか
というわたしの質問の答えは
和魂洋才だった

民主主義は?
と訊くと
以前から
日本の集落では
最後の一人が納得するまで
ずっと会合を続けて
最後にまとめてから
行う習慣があるという
それは
民主主義が入る前から
実は日本は
民主主義的であったという

外国は狩猟民族であるがゆえ
個人主義というイデオロギーが
必要だった
日本は農耕民族
みんなが助け合わなければ
生きてゆけない
ゆえに
争いを好まない
和を尊び
万障繰り合わせの上
であるという

日本の知識人たちは
鴎外にしても
荷風にしても
和魂洋才ということを
わかっていたはずだ
という

日本にはオリジナルがない
と言い切ったのは内田樹の『辺境論』だった
そんなことも交えて
信心というか
かみさまとの
コンデャ塔X(交感)
を行うという
山に行けば
騒がしいのも
山の霊気との
交わり

いつだったか
「源一郎は自然のことなんて書かないでしょ?!」
とある方に言われたことを思い出す
村上春樹にしてもそう
つまり
ふたりとも
判った上で
自然を書かない
ということを
している

近代文学の後
中上や大江の後
現代文学の担い手たちは
日本人に根付く自然観を
振り払った

日本の小説は
外国と違って
人間だけを書くわけではない
自然を描く

そんな話を
アメリカ風の洋服を着て
イギリス風のコーヒーカップを手にして
大晦日




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