kotoba日記                     小久保圭介

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四世代家族

2018年12月30日 | 生活詩
四世代の会食があろうなど
若き日
誰ひとり
想像はしなかったはずだ

卓を囲んで
和食にみな
箸を伸ばし
食べることが
生きていることなど
すっかり忘れて
おだやかな歓談に
相槌を打ち
それぞれの思いはしまって
ともかく
こうして
家族という形を認めては
喜んでいる

わたしは彼らを見ている
四世代が集ったとき
当たり前のように
写真を撮ろうと誰それが言う
その家族の形の
ほんの隅っこに
わたしもいるらしいけれど
家族で生きている実感は
瞬時に通り過ぎ
すぐに消える
ただ
みなの笑顔が
わたしを幸せにはしている
笑顔の美しさは
それは他者であっても
同じように幸せにしてくれることは
誰にも言うまい

店の女が
カメラを持って
わたしたちの集合写真を撮る
「もう一枚、チーズで」
と言う
儀式はこの集合写真撮影で
だいたいが終わる

親子の前に
わたしはひとりだ
兄弟の前に
わたしはひとりだ
甥や姪の関係の前から
わたしはひとりだった
愛情がないわけでは
けっしてない
むしろ
誰ひとり漏れることなく
いとおしい人たちだ

彼らを見る
ほとばしるDNAの揩ェ
表情と体形と声にあらわれる
遺伝子の繋がりの凄さに
後ずさりして
わたしとて
しかも
その一員なのだ
一要素なのだ
そう思ったとき
わたしは家族という形から
観念で逃げようとしても
どうしようもないことを
悟った

どの人にたくさんの言葉が詰まっているだろう
それを見ている
見えやすい人と
見えにくい人がいる
黙っていても
しゃべっていても
内側に言葉がたくさんある人を
わたしは常に狙っている
わたしが言葉を書くのではない
彼らの内側にいる
言葉を外に出してあげるだけだ
わたしは見る
話し終えた時の
瞬時の表情
話を聞いている人の
瞬時の表情
そして
沈黙する人
わたしはカメラだ
わたしは見ている
それがたとえ
家族であっても

店の外に出ると
夜が
冷たい

それぞれ
違った道をゆく
元気で
じゃあまたね
気をつけて

挨拶が飛び
ほころぶ笑顔
みな
それぞれの生活に戻る
その時
彼らはそれぞれに
闇を抱えている
誰にも言えず
時にこうして
四世代が集い
安心しては
生きるしんどさに
戻ってゆくのだ

だからこそ

元気で

気をつけて